世界は孫で回ってる
ダンナです。
ようやっと本日、広島から川崎に戻ってきました。
ぺ~を広島の両親に預けて、だいたいひと月が過ぎたのですが、
あまりのわが家の変貌具合に正直、驚いている次第です。
まあ、楽しそうなこと、楽しそうなこと。
ぺ~はわが一家にとって初孫であり、
両親と赤子がコミュニケーションしているシーンなど
これまで私は見たことがありませんでした。
だから、老人2人が静かに暮らす実家に彼をしばらく預けると決めて
一体どういうことになるか、しばらく不安であったのですが、
目下、わが家では気色悪いぐらい幸せそうな茶の間が
出現してしまっているというのが現状なのです。
ぺ~登場以前、私が広島に戻ると
両親は右から左から、猛烈にステレオで話しかけてくるので、
「普段この家ではどれだけ会話がないんだろう……」と考えていました。
おそらく想像するに、両親2人だけの生活に私が入ることで
明るさは5倍増程度、ワット的には白熱灯から蛍光灯へ、くらいの
変化があったことだろうと思います。
しかし、今の茶の間の明るさはケタが違います。
私の体感値では、ルクス的に3ケタ近く明るくなっていると思われます!
おぼろ月夜の清水寺が、いきなり灼熱のサハラ砂漠になった感じというか、
線香花火がバズーカ砲でスパークした感じというか、
もう目を開けていられない、まぶしすぎる茶の間なのであります。
「息子」パワーをはるかに凌駕する、
「孫」パワーの威力というのは一体どうなんでしょう?
あるときのこと。
実家で携帯に電話が入り、ちょっと隣りの部屋で話して、
茶の間に戻ろうとしたひととき、そこから漏れてくる声に足が止まりました。
ぺ~の楽しそうな笑い声が聞こえ、それに釣られて
父と母の、これまた楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
明るいリビングから聞こえてくる3人の声は
絵に描いたような幸せに満ちていました。
私は驚いていたのです。
私はこれまで、そこまで無邪気に、楽しそうに笑っている父の声や母の声を
聞いたことがありませんでした。
ウチはどこにでもあるフツーの家庭なので、
いいときもあれば悪いときもあり、各自が何を考えてるか正直不明で、
一緒にいればしゃべることもどんどんなくなってくるような、
そんな平凡な親子関係を築いてきました。
しかしそんなこれまでとは裏腹に、
ドアの向こうの部屋からは、パーフェクトなシアワセが漂ってきます。
私はしばらく暗い廊下につっ立って、私の親と私の子が織りなす
キャッキャとしたハシャギ声のアンサンブルに耳を傾けていました。
これで少しは親孝行ができたのかな、とぺ~とヨメに感謝しました。
こんな風景を見て考えるのは、
今は亡き私自身のじーさんとばーさんのことでした。
物心ついて以降、しわがれて、どこか辛気臭い思い出しかないけれど、
もしかして私が出てきたばかりのころは、あの人たちも
こんなふうに無邪気にはしゃいでくれていたのだろうか?
ただ私が元気でそこにいるだけで、
とてつもないシアワセを感じ取ってくれていたのだろうか?
こうして、私の両親にシアワセをまき散らしたことも、
大人になったぺ~はきっと忘れてしまうのでしょう。
そして、もしかして、物心つくころには、
彼らのことを辛気臭く感じるようになるのかもしれない。
いつかの私みたいに。
子ができたことで、親を想う。
孫を扱うことで、連綿と続いてきた営みを想う。
ぺ~という補助線を得たことで、
私が見えるようになったのは「時の流れ」でありました。
彼がいなければ、私は「いま」と「ここ」からなかなか
逃れられなかったような気がします。
今、私には、けっこう遥かな時間の流れが見えています。
また、別日のこと。
親戚が大集合する家へ、ぺ~をお披露目に連れて行きました。
ここでも空気が変わっているのです。
あれほど田舎臭く、地縁・血縁のわずらわしさを感じていた
おじさん、おばさんたちの雰囲気が、
ぺ~の登場によって、またしても色彩を変えているのです。
私は、「ぺ~くんのお父さん」に変えられていました。
親戚のおじさん、おばさんは、
おじいちゃん、おばあちゃんに変えられていました。
私の両親も、「ぺ~のじいちゃん」「ぺ~のばあちゃん」に
すっかり肩書が変えられています。
ぺ~の登場により、
全員がまるで将棋のマス目をひとマスずつ進んだように、
役柄がひとつずつ繰り上げになっているのです。
出てくるメンツは同じはずなのに、
その新しい役柄がみんなはとても嬉しいようで、
新しい劇はフレッシュな声色で展開されていきます。
ぺ~の登場が、全員の役柄を変えてしまうって!
世界は孫で回ってる。
どうやら、それは間違いのない事実のようです。
ぺ~のディープインパクトがもたらした、「新しい世界の新しいヒビ」を
彼と一緒にこれからも探検していこうと思います。