がんフーフー日記 -15ページ目

父子手当と『骸骨ビルの庭』と『SOMEWHERE』

ダンナです。



出版だの営業だの、なかなか浮かれた日々をすごしているように

見える私ですが、実をいうと普段はそんなに浮かれておりません。


いや、浮かれないというか、だらだらしているというか。

それでも時々は、山積みになったままビニールシートをかけている

「今後」ってやつが、ちらちら視界に入ってくるので、

広島に行く前にちょっくら川崎の区役所に行ってみました。


これからぺ~と2人で暮らすとしたら、

なんかラッキーな施策とかなされてないかしらん、と思って。



ヨメが病気になったとき、ウチは出産も同時進行だったため

保険やらなんやらの手続き関係は死ぬほどややこしく、

でたらめに増えていく書類地獄の中、なんとか生還したのであるが、

それでも高額医療費制度などには本当にお世話になり、

当初想像していた額面ほどの医療費の損失は起こりませんでした。


そんなわけで、「こっちから出向いて訊いてみりゃ、さすがに

なんか助けてくれる制度とかあるんじゃないか」という物乞い根性で

行ってみたのですが、いやー、厳しかったですねー。



母子手当と同じように、やっと父子手当も出るようになったみたいですが、

扶養親族をぺ~1人とすると、年収57万未満の人で全額41,720円支給。

さすがに年収57万ってこたーないし、それでも月4万程度。

補助がもらえる最低ラインも年収230万未満。

さらには子どもとの同居が絶対条件というから、

実家に預かってもらってこっちで出稼ぎという線も消滅するというワケです。


担当の方も、「生活を支えるというより補助という意識で……」と

言っていたけど、

まあ、これでは東京賃貸生活はできないですよね。



次に子ども支援室というところに行って、

保育園の現状なども訊いてみたのですが、

別に父子だからといって認可保育園に優先的に入れるかというと違う、と。

あくまで最初の基準は日常における労働時間であり、

その中で同ランクの人を比べる際に、世帯状況が影響してくるぐらいだと。


つまり、最初にバリバリ仕事してないと、預かってもらえない。


じゃあ、ひとまず仕事をばかすかやらせてもらうか、

そしたらそしたで、ぺ~の世話はどうしようか、

いやー、やっぱり無理だろう両立なんて、

でもやってる人もいるんだしさー、

しかしこっちは現状フリーランスという立場だしなー、

てことは、もう一度ハローワークか……


などとウンウン考えていたら、また頭がイタくなってきたので、

私はちらっとめくった「今後」の上にそそくさとビニールシートをかぶせ、

熱いお茶でも煎れて飲んでみたりするのです。


こうなったら、ひとまず……


本、売れろ!


なんて。




本当に切羽詰っている人はガムシャラに生活しているわけであって、

現状こうしてすべてを後回しにできている自分は、

本当に環境的に恵まれた人間だと思っている。


恵まれついでに本なども読む。


宮本輝さんの『骸骨ビルの庭』。

戦後すぐの相当生活が苦しかった時代。自分が食べることさえ大変なのに、

戦災孤児や、親に棄てられた子など、たくさんの子どもを引き取り、

わが子として育て上げた男性が大阪・十三にいた

――というのが、物語の骨子。


もちろん惹かれたのは、その男性が自らの人生を犠牲にして、

たくさんの子どもたちを一人前にすることに専心したところ。


子どもを育てるとは、どういうことか?

自分の中の漠とした疑問に答えてくれないかと思い、手に取ってみたのだ。


同時進行で延々描かれる、畑作りの描写に

きっと心情は重ねられているのだろう。

後ろに伝える、ということ。

何かを遺す、ということ。

やっぱり私も、私という行き止まりでオシマイ、という人生観は

ちょっと淋しく感じていたのだ。


しかし、読んだ率直な感想は「まー、子どもを育てるって大変だ!」。


そして私はビニールシートに背を向けて、

今度は冷蔵庫の中を物色してみたりするのです。



先日は、恵まれついでに映画まで観てしまいました。


ソフィア・コッポラ監督の『SOMEWHERE』。

放蕩三昧の好き勝手生活を送っていた映画スター(たぶん40くらい)が、

ひょんなことから別れた妻の元にいた娘(小6くらい?)を預かることに。

何気なく流れる父娘の時間。

それが終わったころ、彼の心に変化が起こる――。


とにかく娘のエル・ファニングちゃんがかわいいというのはさておき、

まあ、これも父子ものである。

最近は父子ものにしか引っかからなくなっている。


父になるということ、大人になるということ、

誰かのために生きるということ、自分の何かをあきらめるということ。


ラスト近く、スターが娘に「そばにいてやれなくてごめん」と言うところでは、

私もついつい想いが重なり涙が出た。

泣いてるくらいなら会いに行けよ、というツッコミも聞こえてきたが、

そういう揺れが今の私のダイモンダイなのだ。



改めてブルーシートに囲まれた何かを腕を組んで眺めてみる。

とても巨大で、これを片づけるのはとてつもなく大変そうだけど、

今はとりかからない。


そういうものがそばにありながら、

横に蒲団を敷いてぐっすり寝れる自分を、

「とても大人で良い」と思っている。

一方で「どうかしてるぜ」とも思っている。


おやすみベイビーちゃん。

いろんなことは、また明日。