がんフーフー日記 -14ページ目

成仏のその先へ

ダンナである。



別に私は仏教徒でもなんでもないが、

今回は成仏という言葉を使ってみる。


成仏と辞書で引くと、


1. なやみからはなれ、仏の位を得ること

2. 死んで極楽に行き仏となること


とある。


仏も極楽も、やっぱりごぞんじないのだけれど、

それとは別に、もろもろの感情が溶けきって空に還る感じというか、

ずっと抱えていたわだかまりがすべてほどけて、

「もう満足です! ありがとー!」となんもかんもが許せてしまうような

瞬間というのは身に覚えがあって、

そういうものを表現するうまい言葉を他に知らないので、

ここでは成仏という単語を使ってみる。


おかしな勧誘ではないので、ひとまず安心してください。




ヨメが成仏しているかどうかは、正直わからない。


あれから9ヶ月近くたつが、

やっぱりぺ~のことは気になるだろうし、

空から眺めて私の相変わらずのていたらくに

はらわた煮えくり返ってるかもしれないな、とか思ったりする。

最近は肩こりがひどいのだが、もしかしてそれも

背中にべたーと張り付いたヨメのせいかしらん、と考えてみたりする。


まあ、成仏していてくれたらそれでいいし、

そうでなくても全然かまわない。

だったらじっくり見てなさいよという気分も一方ではある。





ただ、私自身に関して言えば、

いまは完全に成仏しています、と言うことができる。


生きているのにそんなことを言うのはおかしな感じだが、

最近とみにそう感じるのだから仕方がない。


ここ数年、いろんなことがあって、いろんな感情を抱え込んだ。

いろんな不条理もあったし、いろんな納得いかないこともあったし、

いろんな「なんで俺だけ!」的なかなしみも怒りもあった。


でも、今はそういうわだかまりは、きれいさっぱり消えてしまった。

山のように抱え込んでいたはずの、どろどろとした救われない、

産業廃棄物のような感情は、まったくどこかへ消え去ってしまった。



本が作れた、というのは、もちろん大きい。


あの濃密な日々を、自分の納得いく形で結晶にすることができた。

させてもらった。


その時点で、私の中にあったどろどろの大部分は報われてしまった。


それを持って、両親やヨメ親族、友人たちにお礼を伝えることができた。

いつかぺ~が大きくなったときのための、宝物を残すことができた。


私の役割は、終わった。

やっとひとつの輪が完結した。


そんなふうに思えた時点で、私はもう成仏していたはずだった。




そもそも、実際はそれ以前からわだかまりなんて

そんなに抱えていなかったのかもしれない。


なぜなら、私は自分の支払ったものに比べて、

もらったものの方が圧倒的に多いような気がしているからだ。


ヨメにはたくさんのものをもらった。


あまりにもおもしろい人生をもらった。

たくさんの友達をもらった。

きらきらした瞬間をもらった。

自分の中の一番いい文章を引き出してもらった。

身近な人たちとの距離をぎゅっと近づけてくれた。

ぺ~をもらった。

ぺ~がふりまく光をもらった。

やるべきことをもらった。

人生の深淵を見せてもらった。

なにより、マリアナ海溝より深い愛情をもらった。


そして、本まで作らせてもらった。


もう、十分だ。

プラスマイナスでいうと、圧巻の黒字。

多少は支払うものがあったかもしれないが、

結果、ありあまるほどのサムシングを私はヨメからもらっているのだ。



もらったのは、ヨメからだけではない。

家族から、親族から、友人から、これを読んでくれた読者の方々から、

たくさんの心遣いを、愛情を、私はもらった。

ヨメ亡きあとも、今度は「本にしてくれる」というカタチで、

出版社の方たちに貴重な何かをいただいている。


だから、もう私は十分なのだ。

何も恨んでないし、何も悔やんでない。

気色悪いかもしれないが、

ただただ「ありがたや~」という感謝の気持ちだけで

今はすっかりスッキリしてしまっているのが現状だ。


きっと、成仏という感覚は「足りる」「足りない」という満腹感と

結びついているのだろう。

生き足りない、愛され足りない、報われない……

満ち足りないところに、たぶん執着は発生する。






さて、長々とえらそうに書いてきたが、本題はこれからだ。


そんな精神的にすっかり成仏してしまった私は

今や齢39にして「余生」をすごしているような気分である。

もちろん今後のことは考えなければいけないのだが(考えろよ)、

今はただ「本、売れんかな~」という淡いスケベ心だけをよりどころに、

フワフワぽけ~っとした毎日をすごしているだけだ。



でも、どうやら物語はまだ終わらないようなのだ。


今度こそひと区切りついた気がしたし、実際私自身もそう思っていたのだが、

もはや私は大海に放り出された笹船のようなもの、

いつのまにか新たな流れに巻き込まれ、

次のストーリーに立たされていたりする。


どんどん新しい愛情が投げ込まれる。

どんどん新しい登場人物が増えていく。


一体なんだろう、この必死で、でたらめで、

おもしろすぎる人生というやつは。





明日(5月31日)の昼過ぎ、ここをのぞいてみてください。


私自身が一番びっくりしている展開で、

『がんフーフー日記』、さらなる続きが始まります。