救急車にお世話になってしまいました |  みどり色の地球

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実は日曜日に救急車に乗ってきました。付き添いではありません。私が担架で運ばれてしまったのです。そして約2時間半に渡る、いわゆる「救急たらい回し」にあうのです。医療機関が少ない埼玉東部での日曜日救急の大課題に直面したルポです!

なぜ、救急車を呼ぶ羽目になったかといえば、今から思えば、前日の熱中症状を甘くみたせいだとわかるけれど、その時は何が何だか…。救急車にお世話になる前日からのルポです。

 

6月18日(土) 

精神的に超ストレスフルな1週間を終え、娘の母校の運動会に駆けつける。それぞれの学年の表現を見た後、吉川美南駅前で行われている生活クラブのイベントに駆けつける。子ども相手にお菓子釣りをしたり、コネコネ石けんを作ったり、の野外活動。

  

お隣のテントが忙しそうなのでお手伝いに入ったら、交代要員が来ないまま、お昼休憩もままならない状態に。テント下でしたが背中だけ日に当たっていて、暑いなぁと感じていた。確かに水分は10時から15時までで500mlほどしか飲まなかったから足りなかったかもしれない。

14時半頃、少し気持ち悪さを感じるが、空腹のせいだとイベント内を食べ歩く。しかし改善せず、水をたっぷり飲んで、はちみつや熱中症予防のタブレットを口に入れても、イオンで涼しんでも、どうも気分が晴れない。私の役目も終えたし帰ることに。家に着いてからも、水分を取ってゴロゴロ。ぐ~たらしたまま夜寝でぐっすり。

 

6月19日(日)

翌朝、たっぷり眠った割に昨日の疲れを引きづっているなと感じながらも、会議で座っているだけだし…と朝から3つの会議を渡り歩く。

1つ目は普通に終え、家に戻り、お昼ご飯を食べる。

2つ目の会議で頭痛と肩こりがひどくなってくるが、よくあることなのでスルー。

3つ目の会議で「どうも変だな…早く帰りたい!」と思いながらも頑張って乗り切る。

 

家に帰ったとたんに、お腹も背中も張ってきて、ブラのホックを外し、緩めの緑の短パンに履き変え、横になる。気持ちが悪くなってきて、横にあったごみ箱からビニールの内袋を抜いて、ごみ箱に嘔吐を2回。体が痛い。寒気がしてきたので、やっとの思いで立ち上がり、部屋にかかっていた緑色の上着を一枚羽織る(この時点で上下緑色の服になっている)。症状があれよあれよと悪化して、動けなくなる。時計を見ると17時半。

 

17:40 

家族lineに「気持ち悪くて死ぬ~」と打つ。夫の帰りは18時半ごろという。

救急車を呼ぼうか迷いながら、夫を待つ。

夫が帰宅し、夫の質問に答える形で大体の状況が伝わると、体温計を持ってきてくれて、測ると「37.2度」。

 

その後の時間は、記録するような夫ではないので、検査時間が出ているものしかわからない。

 

緊急相談センター

夫はまず「7119」緊急相談センターに電話。

すると市内1カ所含め、近隣4カ所の病院を電話番号と共に紹介してくれた。

まずは最近お世話になった病院へ電話すると、外科の先生がいないのでダメ。

次に、診察券のある病院へ。そこは既に緊急患者が5人いて、来てもいいけど、検査や診断はできず、点滴と薬くらいしか出せないけど、いらっしゃいと言う。電話を切ってから「何のための点滴と薬なんだ?」とぼやく夫。

 

呼んだ救急車は10分もしないで到着

動けなくなってから既に1時間半以上。もう待ちきれなくて「救急車を呼んで~」と懇願。

119に掛け(19:17)、電話口で夫が3回目の説明をする(2回は自分で電話した病院に対し)。

電話向こうから、熱があるから、暖かくして待っているようにアドバイスされ、電話が切れた。「サイレン出さないように入って来てって言って」と絞り出すも既に遅く、気の利かない夫にため息(…をつく暇もなかったが)。その後、何やら色んなものが私の体にのっけられた(後から見たら、冬物のコートとどこから引っ張てきたのか選挙用のボロい毛布だった)。夫が3回も同じ説明をしながら、たぶん心配も募り、声が大きくなるのがわかったので、「お願いだから大声ださないでね、みんな一生懸命やっているんだからね」と。合間合間に冷静な自分がいる。

 

救急車は10分も経たずに到着。地元の消防隊です。顔見知りの人が来ているのかもしれないけれど、すごく苦しくて、目も開けられない。そんな苦しいのに、冷静な自分が散らかっている部屋を恥ずかしがって、夫に「ふすまを閉めて」とお願いをしているのが我ながら可笑しい。さらに可笑しいのは、苦しいのと寒いのとで、とりあえず履いた「緑&緑」の服装も恥ずかしいなと頭をよぎる見栄っ張りな自分。

今から振り返ると、散らかった部屋の真ん中で、ボロい毛布と冬物コートの下から、カエルみたいな緑色の恰好の、髪の毛を振り乱したおばはんが出てくるわけだから、恥ずかしさの極みです。

 

救急車の中で待てど暮らせど(夫曰く2時間=本当は約1.5時間)

担架が体の脇に寄せられ「移動できますか」と言われるが、どうにも体に力が入らない。どうやって乗せられたのか記憶にないが、担架で狭い折れ曲がった廊下を巧みに抜け、玄関を出ると、救急車の中へ運ばれた。

いよいよ、病院探しに入る。足元で「○○病院へ電話します」と消防隊員がつどつど告げる。目をつぶっているので誰に言っているのか、私へなのか夫へなのかわからないが、とりあえず頷く。「そうですか。またよろしくお願いいたします。」という言葉にダメだったんだなとわかる。

「次に□□病院に電話します」「またよろしくお願いいたします」が繰り返される。7、8個くらいの病院に電話をかけただろうか。それでも見つからず、次に6号基準を用いると言う。「○○病院に先ほど電話していますが、今度は第6号で掛けます」と。「へ~、そんな仕組みがあるんだ」と、頭の片隅が仕事モードになる。

 

第6号基準

埼玉県では「重症の場合は2回以上、それ以外の場合は6回以上の受入照会をしても受け入れに至らない場合」または「現場到着から30分以上経過した場合」に適用され、各地域で基準病院となった医療機関(埼玉県内12病院)は、原則として傷病者の収容を受け入れることになっている。

後から聞くと、命にかかわる重篤の場合は3次救急医療機関があって、24時間体制で必ず受け入れてくれる体制があります。川越からドクターヘリがやってくることも。


私の場合は重篤ではないので、6回以上&30分以上に該当したので第6号発動。実際10カ所位断られていたし、1時間以上たっていたと思う。結局は他県の病院に受け入れてもらうことになった。

 

病院に着くも待てど暮らせど(夫曰く1時間=本当は約40分)

△△病院に到着しました。発熱があったためコロナ検査をしたのが21時08分なので、逆算すると約9時に病院に到着だろう。救急車を呼んでから1時間40分で病院に到着というわけだ。

 

コロナ検査のために看護婦さんが来て、鼻の奥に無造作に棒を入れてグリグリして、立ち去ってからがまた長かった。

私の体調はというと、病院に着くころには足が破裂しそうなくらい腫れて硬くなって動かなくなりました。といっても、それは私だけの感覚で、見た目には変わらず。消防隊員の説明では脚がつっている状態だそうです。血圧を図ったりちょっと締め付けると手も硬直して痛くなります。痛くて息をあげていると、消防隊の方から「酸素は十分あるから、吐くことを意識して」「体の中のバランスが崩れちゃっているんだね」と言われ、「ふーふーふーふっふっふ」と吐ききるように努力はすれど、とにかく無我夢中な訳ですよ。

 

昔読んだある本で、電車の中などで便意をもよおした時「ありがとう」とお腹をさすると、無事に次の駅までもつという伝説を知った。それ以降「ありがとう」で危機的な場面を2回乗り越えた経験があったことを思い出し、ひたすら、ありがとう・ありがとう・ありがとうと呪文を唱えた。

ありがとう‥‥

ありがとう‥‥

ありがとう‥‥

それにしても、まだか⁈ 

たぶん、家の前で止まっていた時と同じくらい止まっていたと思う。

(本当は半分だけど、痛すぎて時間が長く感じたのだろう)

 

そして、やっと病院の中に。

病院の中に運び込まれ、点滴が打たれる。たぶんこの時に一緒に採血をされて血液検査に(21:46)。つまり、コロナの検査から、血液採取検査まで38分。

夫が救急車を呼んでから治療まで約2時間半。

 

点滴をうけ30分後くらいに痛みが治まってきたのだろう。少しだけうつらうつらしたような気がする。そうだ、私は横になったら最後、どんなに頭痛があっても、親知らずを大工事並みに抜いても、おたふくでも、帯状疱疹でも、速攻眠りにつくのに、この数時間、寝っ転がっているのに一分足りとて寝ることができないくらい痛かったんだと思うと、やっぱりよっぽど痛かったんだと思う。

 

22時40分くらい、診察が終わる。娘は「泊ってくれば~」と言っていたらしいけれど、入院はやめて、翌日の予約をし、会計が終わって病院での終了が23時。

 

月曜日の予定は病院以外すべて返上。これが眠れる眠れる。

火曜日はズーム学習会と、病院。と夜にライン会議。

水曜日は審議会と病院。その後、総会に途中から参加。夜の市外の会議はキャンセル。

色々予定は返上しても、その分病院に行く感じでなんだかなんだか。

でも、病院でぼ~っとする時間もいいものです。

 

一連の騒動で「こんな自分」を発見&今後に活かそう!

転んでもただでは起きません。

●予定の立て方はほどほどにしないといけないと実感。

活動のプレイヤーでいたいと思う私は、どうしても年々忙しくなるのですよ。あぁ~、本当に困った。

少し前のSNSで 朝①朝②、午後①午後②、夜①夜② というスケジュールを組んだ話をした直後のこの失態。土曜日の熱中症も、いつもなら大丈夫な条件が、超ストレスフルな出来事と、忙しさが相まって起こっている。超ストレスフルな時に息抜きができるゆとりや、市民の方に呼び出された時に駆けつけられるような余裕も必要だと思ってはいるのです。

●人前でよい自分をみせたいという潜在意識が原因かも。

仕事に手を抜かない自分。責任感の強い自分。一度関わったら最後までやり抜く自分。元気いっぱいの自分。…などなど、そういう自分でいたいから、具合が悪くても人前でそれを出せないのだとしたら、それはとっても良くないこと。普段、割と自分を出していると思ってきたけど、さらにその奥の自分っていうものをさらけ出すのは本当は苦手なのかも。服が緑&緑でもいいじゃん、家が散らかっていたっていいじゃん、って、本当の本当の自分をさらけ出すって今後の私のテーマかも。

●年々散らかっていく我が家。昔話をするなら、昔はピッカピカだった。ピッカピカの状態でないと恥ずかしくて人をあげられない→人が来ない家→人が来ないから散らかるの連鎖。後はエネルギーが外で切れちゃって、家のことができないことも今回の反省にしようと思う。家のことをやる時間もスケジュールに入れることにしよう。

●あと、家族が私の動きを全く把握していないということは、こういう時いかんな~。

さて、反省がどこまで活かせるか。

後半、自分事の話になってしまいましたが、救急車で2時間半の待機ルポでした。

 

最後に、この一連で痛感したのは、救急隊員さんも救急の看護師さんもお医者さんも、本当に大変な状況の中で頑張てくれているということ。諦めず、目の前の患者を励ましながら、これを毎日やっていると想像するだけで頭が下がります。感謝しかありません。ありがとうございました。

後はどう医療体制を整えていくかという話で、病院や消防の方々のほうが、政治でどうにかしてくれと期待されている訳です💦💦