ゲーム後進国日本 -10ページ目

CEROは必要悪? その1

前回ローカライズ問題で暴力表現に触れたが、今回はそのレーティング問題のお話。
日本のレーティングといえばCEROだ。あの悪名高いCERO。誰もが口を揃えて批判するCERO。個人的な意見を言わせてもらえば、レーティングというものは必要だ。テレビゲームの悪影響の存在を肯定するわけではないが、PTAがヒステリックを起こさない程度にプレイヤーの年齢層の区分けは必要だ。子供に対してCERO○以上のゲームは買っちゃダメ、と決める親も少なくないだろう(いてほしくないが)。それに、ここまでゲームの暴力性とその影響が問だたされるようになった以上、子供の購入を制限するレーティングも必要だ。これは確かに売り上げとしてはマイナスかもしれないが、逆に言えば余計なしがらみにとらわれる事なく自由な大人向けのゲーム作りができるだろう。

CEROは十分、その責務を果たしている。それでもCEROが批判されるのは、その責務の果たし方があまりにも酷過ぎるからだ。

CEROには5つの年齢区分がある。A,B,C,D,そして18歳未満購入禁止のZだ。しかし実際にはこの上にもう一つの区分がある。それは「レーティング不能」だ。日本で発売できないゲームはこれに当たり、Z区分なのに規制されているゲームはレーティング不能のゲームを修正したものだ(メーカーの自主規制の場合もあるが、例えばGoW2の規制はCEROの要請であると開発者が語っている)。CEROの審査が通らなければ、正規の流通ルートに乗せられないので事実上発売禁止となる。なぜ18歳未満購入禁止なのに規制する部分が出てくるのだろうか?だったら20歳未満禁止のZZ区分とか22歳未満禁止のZZZ区分とか、キチガイ以外禁止のウルトラZ区分でも新たに設けるべきだ。問題があるのならそれ相応のペナルティ(販売方法の制限とか)を与えるだけで済ませればいい。CEROがすべきなのはあくまでゲームをその年齢のユーザ向けと決めるだけであって、発売していいかどうかを決めるべきではない。もちろん常識的に考えて発売できないだろうという表現も存在するだろう。だがCEROは、その発売禁止のハードルがあまりにも低すぎるのだ。ちょっと残酷なシーンがあるとすぐ修正を強いられる。まるで日本のZ区分のゲームは、背伸びしたい小学生向けだ。

ちなみに北米のレーティング機構であるESRBについて紹介しよう。ESRBもCEROと同じようなレーティング形式であり、対象年齢が13歳以上のT、17歳以上のMがついたゲームは年齢未満の子供が購入する際に保護者の同意が必要となり、もっとも上位のAOは18歳未満購入禁止だ。しかしAOで発売されるタイトルは実はかなり少ない。自分の知る限りではmanhuntぐらいだ。これは別にESRBが販促などにペナルティを課しているわけではなく、AOに格付けされると、ウォルマートを初めとする大手小売が陳列してくれないからだ。これは暴力ゲームを販売する反社会的な企業という風評被害を防ぐためである。ESRBはただレーティングするだけであり、その結果販売できるかは社会に任せる。実に理想的なシステムだ。(まあこのシステムを今の日本に導入すると、Z区分のゲームが全て発売されないことになるが。あくまでゲームの表現に寛容な北米だからこそなせる業である)

CEROの問題点としてもう一つ。CEROの審査というのはあまりにも曖昧だ。例えばCERO審査において人体損傷はZ区分だろうがご法度中のご法度だが、テクモのNINJA GAIDEN2は敵をバラバラに切り刻むごとができる。レーティングに首をかしげるものを挙げれば、北米レーティングでは17歳以上推奨なのにCEROでは15歳以上推奨のCであるCOD4だとか、他のゾンビや人外生物を殺しまくるゲームがZ区分にされている中何故かD区分のバイオハザード5とか、挙げればキリがない。こんな適当な審査で、海外の名作ゲームの表現が削られたら文句しか出てこない。そういえばあくまで噂だが、Dead SpaceがCEROを通せなくて日本で発売できないのはカプコンがバイオ5と比べられるのを恐れて、コネを利用してCEROの審査を厳しくしているからだ(カプコン社長の辻本氏は、CEROの現役員、前会長)、というものがある。眉唾ものの話だがもし事実ならばカプコンに一つアドバイスしたい。日本の大多数のユーザがDead Spaceの面白さに気付くわけないから、安心しろ。

ハード破れて山河無し

PS3とXbox360が次世代ハードと呼ばれてはや数年。今やハード競争も落ち着きを見せており、サードパーティの囲い込みもすっかり見なくなった(どうせ時が立てば他機種で完全版が発売するし)。大作タイトルはどれもマルチだし、PS3の独占タイトルは日本の中小メーカーによるそれなりのゲーム、Xbox360の独占タイトルはPC版の劣化版がほとんどだ。あとはファーストパーティが単純に売れるゲームを作っていくだけだろう。


だが、ユーザ達は今まさに全面戦争を繰り広げている。言わずもがな、ゲームハード戦争だ。


ネット上でゲームの話となれば、どこもかしこもが戦場となる。amazonだろうが個人ブログだろうが彼らは場所を選ばない。新作ゲームが発売されれば、それが独占タイトルなら自慢と罵り合いが始まり、マルチタイトルならどちらが優れているかの論争が始まる。まともなゲームの話なんてできたもんじゃない。


あまりにも下らなすぎて、勝手にやってろと言いたくもなるが、ここである問題が浮上していきている。日本のゲームコミュニティが機能しなくなっているのだ。


今やゲームに関する話し合いの場というのは、ネット上のコミュニティサイトが主流である。テレビゲームが市民権を得ていない日本の場合は、特にそうだろう。ユーザ達はここで語り合い、時にはゲームを褒め、時にはメーカーを貶し、果てにはPS3のLinux機能削除に対する訴訟問題やL4D2不買運動などに発展したりする。製作者もブログなどでメッセージを発することが多くなり、ネットでの状況がゲームに影響を与えることも少なくないだろう。


しかし日本の場合、ユーザが一致団結するところを、ハード戦争のせいで話が逸れてしまうのだ。むしろネットコミュニティの充実により、ハード戦争が激化したと言える。例えば少し昔の話、Xbox360のメジャー級独占タイトル、Gears of War 2が暴力表現のせいで日本版の発売が危ぶまれた時期があった。だが日本のユーザ達はハード論争に固執して、規制についてはあまり問題視されなかった。CEROや日本の表現規制の低レベルさに一石を投じようとすれば、XBOX360信者として馬鹿にされ、相手にされなかった。しばらくして日本語版は発売されたが、あまりにも時間が空いて今更感が漂っていたし、マルチプレイは暴力表現のカットにより日本隔離サーバという仕打ちだ。


もう一つ事例を挙げよう。FF13だ。もう多くの人が忘れかけていると思うが、海外ではFF13がXbox360でも発売されているのだ。しかし日本では発売れていない。何故か?スクウェアエニックスは日本のメーカーだし、日本語データも存在するのだから、日本でXbox360版が発売されないのはおかしい。もちろんSCEJとバッチリ密約を交わしているのは明白なのだが(日本はPS3独占にしてください。アイツら文句言うだけて行動に出ないから大丈夫、みたいな)、消費者として納得いくはずがないのは当然のことだろう。しかし日本のユーザ達は、そういった問題を槍玉に挙げる事は少なかった。PS3派は日本で発売されないことを嘲笑し、Xbox360派はPS3独占でなくなったこと、そしていつしかFF13自体の批判をするようになった。まがりにも日本ではPS3独占タイトルだからだ。結局、今でもXbox360版FF13が日本で発売される話は聞かないし、欲しがる人も見かけない。


このようなゲーム発売に関する諸問題だけでなく、今やゲームに対する正当な評価もまともに下せない状況に陥っている。昔と違って今はクソゲーを掴まされる確率が減ったのだが、それはネットによる口コミや動画による効果が大きいだろう。だが、それもハード戦争のおかげで正当さを失いつつある。つまらないものを擁護し、面白いものをやってもいないのに批判する。ゲームのプレイ動画も、今では動画にコメントを付けられる。どう見てもつまらないものや面白そうなものにケチをつけてばかりだ。勿論、様々な意見を交し合うのは良い事なのだが、発売ハードによって左右される意見なんて不必要である。


最後に。何故、ハード戦争は起こるのだろうか。例によってここからは個人的な想像である。恐らくゲーム機の値段が、一般的な商品と比べて高価だからだろう。そこでどちらを買うかという選択が生まれる。選ぶのに失敗したら金銭的ダメージはそれなりに大きい。だから自分が選んだハードが、一番優れていると思い込みたいのだ。さらに彼らにはゲーマーという自負がある。ゲームを見る目には絶対の自信があると思い込んでいるのだ。それを否定すれば、今までのゲーム人生は何だったのか、という事になる。アニメや漫画でもそうだ。彼らは一度批判したものは徹底的に叩き続ける。自分の感覚は間違っていないと思い込んでいるからだ(このブログも、そうだろうか?)。彼らがセカンドマシンを買ってもそれは変わらない。自分が一番に決めたハードだから。


最後の最後にもう一つ。次世代ハードで一人勝ちと言われ、ファーストタイトルがモンスターヒットしているWiiについて今回触れなかったが、触れたくも無い。日本はおろか世界のゲーム業界をまさに破壊しつつある悪魔のゲーム機だ、というのは流石に言い過ぎか。しかしあんな低レベルのハードやゲームが売れるのは、本ブログの志向として好ましくない。基本的に自分はハード戦争に関しては公平な立場のつもりだが、Wiiに関しては批判的な態度を取らせてもらう。

少数派は悪

日本のゲームはクソだ。洋ゲーをやろう。そう思った人が手にとったソフトはなんだろうか。ダウンロード販売で購入したソフトや個人輸入したソフトだったりもするが、大抵は、特に家庭用の場合は、日本企業がローカライズしたソフトだろう。ヘタクソな吹き替えや誤訳、残虐表現の規制。果てには何の修正もされてない物にペラペラのマニュアル付けて数倍の値段で売ったりするあのローカライズされたソフト達だ。

ローカライズと聞いて思い出すのがFallout3だ。英語訳は問題なかったし吹き替えも秀逸だった。発売日も海外版からさほど遠くなく、「日本語化」としては問題ない出来だっただろう。しかし大きな問題があった。イベントが一つまるごと削除されていたのだ。核爆弾を起動させて街一つ破壊するというイベントが。

まあ、これに関しては仕方がないかもしれない。核というのは日本人にとって色々と問題が多発するワードだ。しかもFallout3の場合、そのイベントの後に破壊された街に行くと、被爆してグール化した街人まで出てくる始末だ(個人的にはサイコーに面白い表現だと思うけど)。アメリカでも高層ビルに飛行機が突っ込むゲームなんてのが発売されたら総スカンに違いない(少し不謹慎は話をすれば、9.11テロに比べれば核爆発なんてごくありふれた表現なのだから、自粛すべきものとして同列に扱うのはいささか不平等だが)。COD4等他ゲームの核爆発がOKなのは、CEROが発作なり集団ヒステリでも起こしたのだろう。

イベントがカットされる理由はよくわかった。だがこれで良かったとは全く思えない。このイベントが一つカットされたことによりFallout3というゲームの魅力がわずかながら、いや個人的にはかなり、削ぎ落とされてしまったのだ。いくら核がタブーとは言えそのイベントがあるのと無いとではどちらが面白いだろうか。

さて、Fallout3のローカライズにおける変更はそのイベントだけではない。ローカライズの十八番、暴力表現の規制だ。具体的に言えば人型キャラクターの部位破損が無くなった。これは何か、これまで日本で体がバラバラになった人たち全てに配慮しているのかだろうか?ゲームの暴力表現は子供に悪影響という論があり、それに対しても色々と追求したいが、Fallou3はCEROZ指定だ。18歳以上しか購入出来ない。これがレーティングの上限なので、日本人はいくら年を重ねても、暴力表現を見てはいけないということだ。アメリカ人はOKでも日本人は駄目。つまり日本人が精神的に劣っているからということか?

これについて、日本人は暴力表現を嫌うという節がある。カプコンの稲船氏も、そういった日本と海外の表現の受け止め方の違いからデッドライジングの規制が生まれたと語っている(デッドライジングはどうやらビジネスを見据えた自主規制らしいので、論ずるに値しない)。日本で暴力表現規制が起こる原因の一つがこれだろう。嫌いだから、不気味だから悪いものと判断し規制するのだ。ただこれは日本に限った話ではない。例えばアメリカなら子供と性表現は最大級のタブーだ。北米版龍が如く3でキャバクラが削除されたように。

結局、規制というものは周りの他人がどう思うかに尽きる。プレイヤーがどこで生まれてどう成長しようが関係ない。その国の大多数がどう思うかに大きな裁量がある。「その表現がどのような影響を及ぼすか」という問題にハッキリとした答えは出ないのに、それを規制する側は勝手に解釈して勝手に答えを出す。当人はそれを正義だと思っているからどうしようもない。特に日本においてテレビゲームはいつの時代も悪者扱いだ。実際にゲームが悪者なのなら文句は言わないが、そうである根拠は彼らの感情と思い込みだけだ。