普段の年ならプロレス界隈のみの盛り上がりだったのに、2025年のプロレス大賞は主催の東スポだけで様々なメディアで注目されました。

年間MVPに選ばれたのは上谷沙弥(STARDOM)。これまで男性ばかりだったMVPの初の女性受賞者となります。


年間最高試合賞は2025年上半期のプロレスを盛り上げたOZAWAと清宮海斗の一戦(NOAH、1月1日GHCヘビー級選手権)。
最優秀タッグ賞はYuto-Ice&OSKAR(NJPW)
殊勲賞はDDT所属でありながら米国AEWと新日にも参戦するKONOSUKE TAKESHITA(DDT/AEW/NJPW)。
敢闘賞はフリーランスとして女子プロレス各団体に参戦して話題を作るSareee
技能賞は現役引退を控えた棚橋弘至(NJPW)。
新人賞はTHE RAMPAGEに所属しつつプロレスに参入した武知海青(DDT)。
そして女子プロレス大賞は当然ながら上谷沙弥。

今年(2025年)のプロレス、特に女子プロレスが注目されたのは、上谷沙弥がマス向けメディアであるテレビで新しいスターとして取り上げられる機会が増えたからでしょうが、なんだかんだ言っても「テレビ」の力って大きいですよね。
で、今年のプロレス大賞で私が注目したのは、格闘技ではなくダンスをバックグラウンドとして登場したプロレスラーたち。新人賞の武知海青は当然ながら現役のダンスパフォーマーですし、MVPを争った上谷沙弥とOZAWAもダンサー出身です。
ひと昔前までは「プロレスはダンスじゃねえぞ」なんて怒られたものですが、今年のプロレスは女子も男子もダンサー出身者が盛り上げた事実があります。

上谷沙弥がバラエティ番組の一コーナーではあるもののプロレスを披露した際には「TBSでは51年ぶり、地上波23年ぶりの女子プロレスの生中継」と話題になりました。
プロレスは2000年代に入ってから長い間日本では「冬の時代」が続いていたわけですが、2024年の『極悪女王』の地均しを経てようやく「地上」に出れたということなのでしょう。

最近、私が気になっているのは、世界三大プロレス大国といえば米国・メキシコ・日本ですが、この三国以外におけるプロレスの復興傾向について。
例えば、現代日本プロレスの創業者とされる力道山は朝鮮半島出身で、韓国でも1970年代まではプロレスの人気はあったはずですが、キム・イルとキム・ドク(日本でのリングネームは大木金太郎とタイガー戸口)の後に続く名前が出てこない状況が長く続いてきました。しかし、ここ数年、新しいプロレス団体として2018年に設立されたPWS Korea(Pro Wrestling Society Korea)が徐々に人を集められるようになってきて、客席を見ると子どものファンが多いのに驚きます。
日本とメキシコを除く世界各国はどこも、自国のプロレスが衰退し命脈を細々と保つばかりになった後に市場を米国WWEが制覇し、歴史の断絶からどこの国でもローカルなプロレスすらも「WWEごっこ」になり、国によってはプロレスそのものがWWEと呼ばれる(例えば「日本のプロレス」を見て「日本版WWE」と呼ぶ)ような状況がありました。全てがWWEになってしまうのかな、なんて2010年代までは思っていたのですが、WWEごっこではない独自のプロレスが各国で復興し、再び各国固有のプロレスの歴史に接続したら面白い。
そんな時、WWE式ではない日本とメキシコのプロレスを教える立場として、昔の知人たちが世界各地を伝道師かのように旅しているのを知ると感嘆します。

個人的に2025年に気になったプロレスラーは、WWEが登場させた新キャラクター、El Grande Americano。

メキシコ湾改めアメリカ湾からやって来た謎のマスクマン。
この色々と微妙な時代に、AIで作ったチープな存在しない歴史、偽史をキャラクター化したプロレスラーは興味深い。
エル・グランデ・アメリカーノ=大アメリカ人とは米国に呑み込まれたメキシコ人なのか、それともメキシコに呑み込まれた米国人なのか。
私はプロレスを伝統芸能化していない生きた民俗芸能だと思って観ているのですが、このキャラクターは民衆のどのような想像力に寄り添ったものなのかストーリー展開が気になります。


今回、紹介するのは、藪耕太郎の『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか 大正十年「サンテル事件」を読み解く』(2025年)。

1921年に来日し柔道家たちに異種格闘技戦を挑んだ米国人プロレスラーのアド・サンテル(Ad Santel)を軸に近代柔道とプロレスの関係を記した本ですが、読みながら、何だか懐かしい気持ちになりました。
私の若い頃も異種格闘技戦ブームの時代だったので、うさんくさい山師な興行主やドサ回り、各国の民俗的な武術道場への体験入門とか、色んなことあったな、と。日本人の特権として、どこの国でも日本人は戦闘民族として一目置いてくれるので、するっと中に入れてしまう。
著者の藪耕太郎は1979年生まれの立命館大学出身ということは、76年生まれの棚橋弘至とは同世代か。
2025年現在、日本最大のプロレス団体である新日本プロレス社長の棚橋弘至は立命館大学、スターダム社長の岡田太郎は同志社大学のプロレス同好会出身。棚橋弘至がプロレスラーになる頃は学生プロレス出身者はプロレスの世界では嫌われるしいじめられるなんて言われていたけれど、男子と女子の日本最大手がどちらも学生プロレス出身者が社長になるのだから時代は変わりました。

そんな本の中からサンテルと講道館の対決に至る主筋からではなく、コラムとして挿入された「職業レスリングからプロレスリングへ」より。
近代スポーツの歴史を辿ると、アマチュアが誕生してからプロが登場する、というパターンが多い。ただし中には例外もある。そのひとつが近代レスリングだ。その発祥には不明な点も多いが、大別すると、一方にはフランスのサーカスを発祥とする、投技主体の大陸ヨーロッパ型レスリングがあり、これは後のグレコローマン・レスリングへと繋がる。他方、イギリスのランカシャー地方を中心に発展し、多彩な関節技と攻防の自由度の高さから、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(手あたり次第)」(以下、「CACC」)と呼ばれるスタイルもあった。グレコローマンと並んで現在ではオリンピック種目となっているフリースタイル・レスリングは、CACCを祖としつつ、アメリカでスポーツライクに発展したカレッジ・レスリングに由来するものだ。
近代スポーツとしてのレスリングは二つの流派があり、現在のオリンピックでもグレコローマンとフリースタイルに分かれて競技されていますが、この二つは同じ競技から分かれたのではなく、グレコローマンは(ヨーロッパ)大陸式で、フリースタイルは英米式と出自が異なります。なので、流派というよりは相撲と柔道のように異なる格闘技だと考えた方がよいのかもしれません。
どっちが相撲で柔道か? となると、グレコローマンが相撲でフリースタイルが柔道と見ると分かりやすい。

レスリングがサーカス発祥だと聞くと不思議に思う人もいるかもしれません。Greco-Romanとギリシア・ローマ式レスリングを名乗りますが、古代のレスリングとの連続性は無く、街の腕自慢たちの祭りにかこつけた半ば喧嘩騒ぎの格闘に、フランス人で元兵士のサーカス興行主ジャン・エクスブライヤが1848年に共通ルールを作ったのが始まりで、この共通ルールが出来たことで格闘技興行が国境を越えて打てるようになったのです。そこにいかにも伝統があるかのように見せるためにグレコローマンを名乗るようになったとされています。
英米式のフリースタイルも始まりは似ていて、英国での腕自慢たちの祭りの日の「手あたり次第(Catch As Catch Can)」の力比べが洗練化され、米国でスポーツ化して現代のレスリングにつながるとされます。

"近代スポーツの歴史を辿ると、アマチュアが誕生してからプロが登場する、というパターンが多い"のに対し、近代スポーツの概念が確立する以前から存在するプリミティヴなスポーツ…例えば、日本人に分かりやすく言えば、まずお祭りでの賞金付きの草相撲があって、それが全国共通ルールで大相撲となる。そして相撲が仮にスモウ・レスリングとしてオリンピック競技になれば…とイメージすれば、近代スポーツとしてのアマチュアレスリングと興行としてのプロレス成立までの過程が分かりやすくなるのではないでしょうか。
開拓時代の西部では、殴る・蹴る・絞める・捻るに加えて、目潰しから耳削ぎ、頭突き、噛み付き、その他あらゆる攻撃が許容される喧嘩や決闘の習慣があったという。やがて各地に小規模な町が形成されると、各町を代表する「親方ブリー」と呼ばれる屈強な喧嘩自慢が登場し、町同士の代表が闘って互いの力を誇示していた。同時にこうした闘いは観客を動員してのお祭り興行としての一面もあり、やがて喧嘩自慢たちは見世物一座に加わって巡業するようになる。
これが格闘技興行のどこの国にもあった原風景。
娯楽に乏しい開拓時代のアメリカ大陸では、武器を使わず素手で行なう喧嘩が最大の娯楽の一つであり、こうした祭りの日に開催される草相撲ならぬ草喧嘩が徐々に興行化し、喧嘩自慢は見世物一座のサーカス団の巡業稼業に加わる一方で、町に残った"親方ブリー"は裏稼業にも通じた町の顔役の一人として興行のプロモーターとなって、後に言う「テリトリー」の初期段階を形成していきます(「テリトリー」は日本語に訳すなら「シマ」とか「ショバ」の概念が近い)。

興行として成立させるためにはレスラーが毎試合ごと怪我をするのでは商売にならない。徐々にルールは整備されていきます。
その後、南北戦争以降の三〇年間で、初期に見られた粗暴な闘争は様変わりしていく。町々を巡業するカーニヴァルは都市を拠点とする定期的なイベントに変わり、また観客層も骨が折れ血が迸る粗暴な戦いを好む荒くれ者の自営業者から、仕事の疲れをいやす程度の刺激を求める賃金労働者へと代わった。関節の取り合いやフォールの奪い合いなど、細かな技術の応酬を旨とするCACCの人気の高まりは、こうした社会変化に呼応している。スピーディでテクニカルなCACCは凄まじい勢いで資本主義社会が形成される〈金メッキ時代〉のアメリカと合致していたのだ。
南北戦争は1861年から65年にかけて戦われますが、戦後の米国は急激な経済発展を遂げます。
1870年代から90年代にかけての米国はマーク・トゥエインの本のタイトルからGilded Age(金メッキ時代、もしくは金ぴか時代)として知られます。
経済発展によって米国社会は急激に変化し、粗暴な荒くれ者の時代は終わり、単なる喧嘩自慢ではない、英国から舶来した上品でテクニカルな格闘術としてCACCが導入されてキャッチ・レスリングとなり、興行としても洗練されて現代プロレスにつながっていきます。
その一方で、CACCは体育にも取り入れられ、学生がやっても健全なカレッジ・スポーツとしてのアマチュア・レスリングへと分岐していったのですね。
この点でアマレスの形成期は、日本における柔術から柔道への変化と時代をほぼ同じくしており、『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか』というタイトルになるわけです。
アメリカの職業レスリングを見舞った最初の危機は一九〇〇年代前半に起きた。八百長試合の発覚である。このとき職業レスリングには非洗練的あるいは反都会的という刻印が捺され、
~(中略)~
職業レスリングの試合は少なからずスポーツを装ったフェイクである、という認識が広く共有されるようになる。二〇世紀に至ってなお、前時代的なサーカス芸が横行していたこともそれに拍車をかけた。とはいえ、中にはリアルファイトも混じっているとも思われていたし、なにより試合の結末が決まっていようがいまいが、職業レスラーがCACCの専門家である以上、その実力に疑いはなかった。
金メッキ時代を過ぎ、20世紀に入る頃には、現代プロレス成立まであと一息。
経済発展した米国にヨーロッパのレスラーたちが次々と海を渡って集まり、1905年にはThe World Heavyweight Championship(統一世界ヘビー級王座)が制定されて世界一を決める試合と称して興行が打たれるようになりました。初代の王者はジョージ・ハッケンシュミット。エストニアからやって来たレスラーです。
この世界王者ハッケンシュミットのライバルがアメリカ王者のフランク・ゴッチ。1908年4月3日に行なわれた両者の戦いは多くの観衆を集めた注目の一戦でしたが、(広義の)プロレス史に残る疑惑の一戦となり、それまでの数々の八百長疑惑の総決算となって米国の職業レスリング興行は失速。「フェイク」の概念が広く認識されるようになったのです。

ただ、興行にはフェイクも含め「虚実入り乱れるものだ」という共通認識が行き渡ったことで、1910年代から20年代にかけ、
この頃、現在私たちが知るプロレスが誕生する芽があった。
~(中略)~
実力よりも見た目の分かりやすさが重視されるようになり、ルックスに秀でた美形のレスラーが登場するようになっていく。その傍らでは、まるで一九世紀の見世物小屋が復権するかのように、いわゆる〈怪奇派フリークス〉レスラーも登場した。シナリオが本格的に導入されるのもこの時期だ。ある職業レスラーは、当時の様子を次のように振り返る。「レベルの高い試合をすると、退屈で飽きられ、観客に嫌われてしまう。だから、ほとんどの試合はフェイクをやり切るしかない。フェイクが観客にバレてもなお、フェイクの試合を受けたよ。(中略)全く厳しいゲームだ。どう転んでもどうせ間違いなんだから」。レスラーありきの試合から観客ありきの興行へと、職業レスリングは舵を切ったのだ。
1914年から18年にかけて戦われた第一次世界大戦はヨーロッパを疲弊させる一方、無傷のアメリカ大陸は繁栄を謳歌します。多くの移民がアメリカ大陸に流れ込み、世界各地から腕自慢の格闘家たちもやって来ます。その中には日本の柔道家たちも。
この結果、レスラーに様々な独自のキャラクターを割り振って対決させる現代プロレスが誕生するわけです。
異なる出自とキャラクターを持つレスラーを対決させつつ、観客を盛り上げて試合を成立させるためには、当然ながら、レスラーたちには「お約束」の共通認識が必要となります。
一九三〇年代になると、プロレスの約束事を理解することは観戦上の作法にすらなる。やや長い引用だが当時の記事を提出しよう。
として1932年の『Collier`s Weekly』誌に掲載されたビル・カニンガムの「The Bigger They Are」という記事を引用しています。
……原文を探したのだけど前半部分しか見つけられなかったので私自身で確認してはいないのですが。また文中に加えられた訳注はカットして二次引用します。
おそらく最も驚くべき点、それはファンたちがこれらの物語を幾度となく見て知っているにもかかわらず、なお同じようにショーに集まるということだ。〈良きプロレスの街〉でプロレスの観客を観るのは勉強になる。彼らはパフォーマンスのルーティンを完璧に理解しているように見え、彼らの行動は初心者にも帰り支度を始めるタイミングを正確に教えてくれる。
このドラマはほぼ三幕構成で上演される。第一幕では、最終的な勝者が攻撃的な姿勢を示し、清潔かつ紳士的な方法で優位に立つ。彼は粗暴な対戦相手の卑怯な手口をものともせず、速さと技術、そしてスポーツマンシップで観客の支持を獲得する。
第二幕では、粗暴な対戦相手が徐々に攻勢を強めていく。主人公は反撃を仕掛け、戦いはほぼ互角ながらも、対戦相手の汚い戦術が徐々に奏功し始める。第三幕では、最終的な勝者が対戦相手の残虐で不当な戦法により不利に追い込まれていく。彼はリングから叩き出されたり、残酷にも後頭部にパンチを貰ったり、膝蹴りを食らったり、痛々しくも股を裂かれたり、あるいはそれ以上に散々な目に遭う。
人として許容できる限界にまで達し、観客が粗暴な対戦相手に野次を飛ばし、疲労困憊する被害者には同情の声を上げる中、被害者は突如として凄まじい〈フライング・タックル〉でマットから飛び掛かり、一〇ガロンのアイスクリームよりも冷徹に対戦相手を打ちのめす。
重要なのは、お気に入りのレスラーが完全に力尽きたようにみえるや否や、大都市の観衆は帽子やコートに手を伸ばし始めることだ。それがショーの終わりを告げる合図だと彼らは経験的に知っているのだろう。しかし、彼らは来週また戻ってくるのだ。それもほとんどが友人を連れて。
なぜか?
なぜなら、それが何であろうと、あるいは何かでなかろうと、それは見るに値する刺激だからだ。
1930年代に形勢逆転のフライング・タックルを必殺技としていたのはガス・ソネンバーグ。
NFLのプロフットボーラーからプロレスに転向したアメフト仕込みのタックルがソネンバーグの売りで、格闘技をバックグランドとしてしていないキャラクターありきのプロレスです。

百年近く前に書かれたこの"三幕構成"のプロレスの試合展開フォーマットは今も基本的には変わっていませんよね。これはプロレスだけでなく、例えば、アクション映画の戦闘シーンでも基本は同じですから「観客の求めているもの」がこれなのでしょう。
プロレスについて話せば必ず「プロレスって八百長だろ」と冷笑してみせる人が現われます。でも、そもそもプロレスには、プロレスが誕生したその瞬間から八百長という概念は存在しません。それも昨日今日の話ではありません。"プロレスの約束事を理解することは観戦上の作法"としつつ、"それは見るに値する刺激だからだ"と、プロレスというエンタメをショーとして楽しんできた百年の歴史があるのです。
その上で、帰り支度と伸ばした手を思わずマニアでも止めるようなプロレスを創り出そうと、プロレスラーたちは命を懸けてもいるのです。

ただ、「お約束」とか「お作法」が必要なエンタメはハイコンテクスト。マニアだけじゃない大衆的人気を得て維持するには絶妙なバランスが欠かせないのが難しい。
今の日本の大衆マスが、ハイコンテクストなエンタメを理解できるかどうかは疑問なんだよな。



2025年も年末となり、様々なジャンルで今年を振り返る記事やランキングが出ていますね。
日本の洋楽誌ではスペイン出身のROSALÍAが高く評価され、『MUSIC MAGAZINE』では彼女のアルバム『LUX』がポップ部門1位、『rockin'on』では全体6位。

活字メディアもオールドメディアだとかいう不思議な言葉に含まれて雑誌を読む人も少なくなったようですが、自分の視野に入ってこないジャンルについて知るきっかけになると思うんですよね。インターネットは結局のところ自分が知っていることしか知らせてくれない。

『MUSIC MAGAZINE』のラテン部門1位はメキシコ出身のSilvana Estradaの『vendrán suaves lluvias』でしたが、もし、私が今年、スペイン語圏の音楽としてアルバムを一枚、ラテン音楽を聴かない日本人に紹介するとすれば、Mon Laferteのアルバム『FEMME FATALE』かな。
『MUSIC MAGAZINE』に寄稿するような人たちと私の趣味は合わないけれど、だからこその知識の拡張が得られる。

モン・ラフェルテは出身国のチリでは最も米国グラミー賞に近いチリ人歌手として知られますが、活動拠点はメキシコ。

リンクしてあるのは、Mon LaferteとNathy Pelusoの『La Tirana』。

このMVを懐かしく感じるのは、私がメキシコの場末を面白がって飲んだくれていた若い頃を思い出したわけじゃなく、昭和のムード歌謡ムンムンなところ。
アルバム『FEMME FATALE』全体としてもラテンアメリカ人だけでなく日本人にも懐かしさを感じられるはず、と昭和生まれだけど昭和の夜は知らない世代の私が紹介します。
日本の昭和歌謡がメキシコ音楽の影響下にあったのは明らかですが、ラテン音楽を聴く日本人の間では逆転してモン・ラフェルテの楽曲を「ラテン演歌」なんて表現する人もいます。彼女自身も知っているのか『Antes De Ti』と演歌を意識した曲を発表していますし、『Paisaje Japonés(日本の風景)』と名付けた曲も私が幼い頃に流れていた歌謡曲っぽい。
そんな彼女の楽曲がグラミーを獲ったらチリ人やメキシコ人だけでなく日本人にとっても面白いとおもいませんか。是非、これまで知らなかった人がいれば過去の曲も含めて聴いてみてください。
そういえば、ROSALÍAには逆に日本の場末感を旅する『TUYA』があったな。
地上波のテレビ局が予算の掛かる時代劇を作れなくなった代わりに、大作時代劇が公開される場として、NETFLIXはじめとするインターネット動画配信サービスが主戦場となっています。

NETFLIXドラマ『イクサガミ』の公開は楽しみにしていたのだけど、なんだか残念だったな。

明治時代を舞台に、幕末維新期を生き残ってしまった剣豪や忍者たちが京都から東京まで東海道を旅しながら死闘を繰り広げる今村翔吾原作の時代小説『イクサガミ』は明らかに時代劇としての映像化を狙った「親切な」小説で、プロデューサー兼主演の岡田准一は「新しい時代劇を作る」と意気込んでいたのに、うーん……。英語吹き替えで見れば良かったかな。一枚フィルターを嚙ませれば。

今村翔吾作品の次の映像化は、江戸時代を舞台に羽州新庄藩の大名火消を描く『羽州ぼろ鳶組』のアニメが控えています。

日本のWOWOWとLeminoが大作時代劇として公開するのが北方謙三原作の『水滸伝』。

北方謙三の小説は二十年くらい前に読んだきりだけど、解釈が面白かったと記憶しています。

ただ、日本の新作時代劇に期待しながらも失望を繰り返すのはなんだろう。出来の良い作品なら世界が喜んで買うだろうにと期待が大きすぎるのかな。
まあ「新しい時代劇」はまだトライ&エラーの時期なのでしょう。トライすることに冷笑を浴びせるようなことはしたくない。今の日本で最も不要なものが冷笑だと私は思っていますので。


清水克之の『室町ワンダーランド』第五章の「歴史ドラマの現実味」より。
歴史学者である僕によく投げかけられるのが、「歴史を好きになったきっかけは何ですか」という質問。これは、もう何度も同じ答えを繰り返しているのだが、小学校三年生のときに見た歴史ドラマ「関ヶ原」(TBS系、一九八一年正月放送)がきっかけだ。
~(中略)~
そんなわけで、僕はこのドラマがVHSビデオになったときにすぐ買って、DVDになったときもすぐ買って、何度となく視聴して、いまではほとんどのセリフを覚えてしまっている。
~(中略)~
ただ、これをウチに遊びにきた学生などに見せると、悲しいことに、あまり反応がよろしくない。とくにBGMがメロドラマ調で、古臭く感じるらしい。あとは、俳優が過去の人たちばかりなので、あまり親近感を覚えないようだ。「なんでこの良さが分からないんだ!」と説得を試みたこともあったが、最近では、もうこれは仕方のないことなのかな、と思うようにしている。

そういえば、昔は年末年始に民放各局が大型時代劇を用意していたものでした。
1981年1月2日から4日にかけての三夜連続でTBSが放映したのは司馬遼太郎原作の『関ヶ原』。
主役となる石田三成を演じるのは加藤剛で、相対する徳川家康は森繫久彌。三成腹心の島左近は三船敏郎で、家康腹心の本多正信は三國連太郎。
よく年配の歴史ファンほど「最近の歴史ドラマはいい加減だから……」とボヤく人がいるが、それは偏見だ。僕が見たところ、歴史ドラマの時代考証は、どれも昔に比べて格段に正確になってきている。
~(中略)~
比べると、近年の大河ドラマなどは、衣装もセットも台詞も極めて厳密に作られている。よく「むかしの俳優のほうが頭身が低くてリアリティがある」などと言う人もいるが、そもそも僕らに戦国時代の記憶はないのだから、それは後づけの理屈だろう。たぶん年配の方々が最近の歴史ドラマにリアリティーを感じなくなるのは、時代考証や俳優の演技力の問題などではなく、演じる俳優との年齢関係に影響されているのではないかと思う。
僕自身も、いまだに「関ヶ原」のおかげで徳川家康は森繫久彌以外には考えられないし、織田信長を自分よりも年下の俳優が演じるようになってから、どんな歴史ドラマにもむかしほど没入できなくなっている。きっと初見の"刷り込み体験"に加えて、歴史上の人物はつねに自分よりも"年上"でなければならない、という変な思い込みが根底にあるような気がする(実際、僕らよりも四百歳ぐらい年上には違いないのだが)。
だから、旧ジャニーズ事務所の若い俳優さんなどに戦国大名を演じられると、たとえ役柄の年齢と俳優の年齢が一致していたとしても、なんとも言えない落ち着きの悪さを感じてしまう。頭では理解できるのだが、最後まで残るこの違和感。
現在の歴史劇(フィクションを前提とする時代劇ではありません)のTVドラマは、昔に比べるとしっかりと時代考証を入れて作られているのは歴史学者からもお墨付きです。
だけど、昭和に作られたTVドラマのほうが何故か史実っぽく見える。それは子どもの頃の刷り込みと年齢関係の変化にあるのではないか、と清水克之は言います。
これは俳優だけの話ではありませんよね。例えば「昔の政治家や財界人には貫禄があった。それに比べて今の政治家や財界人は小粒だ」みたいなことを言う人がいます。たぶんそれも、自分よりもずっと年上の存在だったイメージと、世代交代で年下が増えていく現実の誤差が作用しているはずです。
ましてや、貫禄があってほしい歴史上の偉人たちに年下の俳優がキャスティングされるようになるとどうしても軽く見えてしまうものなのでしょう。
……私も分かりますよ。年下ではないけど『水滸伝』が織田裕二と反町隆史だと、若い頃に刷り込まれた「トレンディドラマ」のイメージが邪魔をする。

また、昔の人たちは現代人と比べてもっと頭身が低かったとか、老いるスピードが早かったというのも一面の事実ではあるのでしょうが、当時の武士層は当時の庶民層より相対的に栄養状態が良いのだから、現代において庶民より若々しく背の高い俳優がキャスティングされても別に不自然ではないはず。

1971年生まれの清水克之が、旧ジャニーズ事務所出身の"自分より""若い俳優さん"で意識しているのは、同じ司馬遼太郎の小説を原作とする2017年公開の映画『関ヶ原』で主人公の石田三成を演じた1980年生まれの岡田准一なのかな。

2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では岡田准一は織田信長を、主人公の徳川家康を1983年生まれの松本潤と、旧ジャニーズ出身者が演じています。

史実の石田三成は41歳で関ヶ原ですから、ほぼ"役柄の年齢と俳優の年齢が一致"していますし、織田信長は49歳で本能寺なので四〇代の俳優が演じるのが年齢的に自然。
織田信長を描く作品で最初の山場となるのが、桶狭間の戦いを前に「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と舞う場面でしょうが、50歳以上の年齢の人にとって歴史上の人物のほとんどの(生年に諸説あるとしても)当時の年齢は年下で、俳優の年齢を一致させるならば当然そちらも年下になるわけです。
晩年の豊臣秀吉は老いて耄碌した姿で描かれますが、朝鮮出兵時の秀吉は55歳ですし、関ヶ原に臨む徳川家康は57歳。2025年現在、彼らを年齢で配役するのなら1967年生まれの織田裕二辺りの世代が適齢期なんじゃないですかね。
自分が若い頃に観たドラマのなかの俳優ほど、貫禄ある歴史上の人物としてリアリティーを感じてしまう心理。とりあえず僕は、これを歴史ドラマの「想い出補正」と呼ぶことにしている。
~(中略)~
自分の内なる「想い出補正」を客観化できないと、本当の議論がとても難しい。僕らが歴史に感じるリアリティーの正体は、意外に不安定なものなのだ。
"思い出補正"は意識して客観化しアップデートで修正し続けないといけませんよね。そうしないと「老害」になってしまう。

……「おじさん/おばさんになると最近の若い俳優やアイドルの顔が区別つかない」なんて言う人もいますが、私もおじさんですが全くそんな風に思ったことがない。覚えようとしながら見ているわけじゃないから顔と名前が一致するかといえば曖昧だけど、顔の区別がつかないとは思ったことがない。あれって結局のところ「年下の顔なんて覚えてやるものか」という見下しなんですかね?
私が個人的に歴史ドラマのリアリティーとしてあってほしいと望んでいるのが、風土に根差した顔や所作を持つ配役。その土地で育ったからこその顔や所作ってあるじゃないですか。例えば、織田信長とその家臣団なら尾張だけじゃ狭すぎるにしても名古屋文化圏で育った俳優たちで固めて領域の拡大につれて顔の種類が増えていくような配役を見たい。毛利軍は広島文化圏、武田軍は甲信出身者と。
ただ、今でも「最近の若い俳優やアイドルの顔が区別つかない」と"年下"を拒否する人たちはそうなるとますます混乱しそうです。


Disney+で2024年から放映された『SHOGUN 将軍』で時代考証を担当したフレデリック・クレインスの『戦国武家の死生観』(2025年)の「はじめに」より。
二〇二一年、お正月を過ぎたところで、突然一通のメールが届きました。真田広之主演の新作ドラマ「SHOGUN 将軍」の時代考証を担当してほしいという内容でした。私は思わず目を疑いました。その作品は、かつて世界中で大きな反響を呼び、私を日本の歴史の世界へと誘った物語でした。
~(中略)~
三年に及ぶ時代考証の作業は、戦国武将の生き方や精神性を丹念に掘り起こす旅でした。クリエイターやスタッフとの議論を重ね、衣装や文化的要素の細部にいたるまで史実に忠実であることにこだわりました。その努力は実を結び、ドラマは高い評価を受け、海外の視聴者に戦国時代の武家文化の深みを伝えることができました。
フレデリック・クレインスは1970年生まれのベルギー出身。日文研(国際日本文化研究センター)に在籍して日欧交渉史を専門としているので三浦按針を主人公のモデルとする『SHOGUN 将軍』の時代考証担当としてこれ以上ない適任者だったのでしょう。


そんなクレインズが歴史学者となるきっかけとなった作品は、ジェームズ・クラヴェルが1975年に発表した小説を原作として1980年に米国NBCが放映し、少し遅れてヨーロッパでも放映されたドラマ『SHOGUN』だと言います。

ベルギーの少年が日本を舞台としたTVドラマに魅せられ、長じて日本で歴史学者となり、『SHOGUN』のリメイクに関わることになったわけです。
歴史学と歴史エンタメ作品は当然ながら区別すべきですが、でもそんなエンタメ作品が未来の歴史学者を生む。2024年の『SHOGUN』も日本国外で未来の日本史学者を生むかもしれませんね。

また、『SHOGUN』の成功は、続きを見たがる日本国外の視聴者に映画『関ヶ原』を売り込むこともできたようです。徳川家康をモデルとする主人公の『SHOGUN』と石田三成を主人公とする『関ヶ原』の描き方の違いは日本人以外には混乱を招いたよう。しかも『SHOGUN』で敵役となる石田三成をモデルとする石堂を演じた平岳大は『関ヶ原』では島左近を演じてますから。
しかし、その一方で、国内からは意外な批判の声も上がりました。「武士はもっと礼儀を重んじ、民衆を守る存在だった」「暴力的すぎる」「そんなにすぐに切腹しなかったはず」。これらの指摘に私は戸惑いを覚えました。
なぜなら、史料に記された実際の戦国武将の姿は、まさに激情的かつ衝動的、時に暴力的で、そして確かに、驚くほど頻繁に切腹を選んでいたからです。
こうした国内における反応の根底には、潜在的な歴史的誤解があります。現代の日本人が思い描く武士像は、実は江戸時代につくられたイメージなのです。戦国時代と江戸時代の武士――同じ「武士」でありながら、その精神性は大きく異なっています。
2024年版『SHOGUN』は1980年版『SHOGUN』にあったオリエンタリズムを意識して排していると真田広之はじめとする日本人出演者たちは語っていました。
ところが、日本"国内からは意外な批判の声も上が"った、と。その理由を現代日本人一般の武士像が、"江戸時代につくられたイメージ"で誤解されているからではないかとクレインズは言います。

とは言うものの、"暴力的"じゃない武士像が私には分からない。武士だけじゃなく民衆も現代の日本人からすれば想像できないほどに劇情的で衝動的で暴力的だったのが過去の日本のはず。

清水克之も『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』(2021年)の「はじめに」でこう書いています。
彼らは、自分の利害を守るために「自力」で暴力を行使することを、必ずしも"悪"とは考えていなかった。やられたらやり返す。場合によっては、やられてなくてもやり返す。しかも、そうした衝動の発露を美徳とするようなメンタリティーを、彼らは持ち合わせていた。それは武士だけに限ったものではなく、僧侶や農民にまで通底するものであって、彼らは常日頃から刀を身に帯びて、往来を闊歩していた。加えて、彼らは同じ仲間が蒙った損害を、みずからの痛みとして受け止め、万一、仲間が他の誰かによって傷つけられたときは、寺院や村をあげて集団で報復に乗り出す。それは、もう立派な戦闘行為という他ない。歴史教科書をみると、この時代は「〇〇の変」とか「××の乱」といった政変、戦乱が目白押しだが、それは史書に名をとどめたほんの一部の話であって、当時の社会では、現実にはそこかしこの様々な階層の間で、無数の無意味で名もない「変」や「乱」が巻き起こされていた。
この本の帯には「日本人が温和なんて大嘘!」とありますが、民俗史料を読んだり、現場に立ってみると、過去の日本の権力者層や治安関係者がいかに日本人から暴力という牙を抜くのに注力してきたのかを強く感じられます。
そんな彼らの努力の結果、日本人は日本人の自己イメージとして「温和」だと思い込むに至ったのでしょう。昭和の時代だってまだ覚えている人は生きていますが現在よりはるかに暴力的だったはずです。

例えば昭和の空気感として、佐藤愛子のエッセイ集『老兵の消燈ラッパ』に収録された2010年初出の「ロバちゃん山羊ちゃんのお話」より。
かつてこの国では、いや、この国だけではなく世界のどの国でも、男の値打ちは「男らしさ」にあるとされていた。男たる者は闘争的野心的で、意地と誇と責任感に富み、弱い者を守る力強い存在でなければならない――。そう教えられ、そうなるために努力するものであった。
その一方、女の方は、そんな頼もしい男、自分たち弱い者を守ってくれる男たちを憩わせ慰め、活力を与える蔭の力として必要な存在とされていたのである。
思えば長い歴史だ。女の立場からいうと男の専横に仕える忍従の長い歳月だった。日々の糧を得るために必要なものは何より「力」だという時代だったから、生物学的に非力な女性は男性に依存するしかなく、そこの心の奥はともかくとして、それなりに均衡を保っていたといえるのである。
その頃女が憧れたのは「男らしい男」だった。男らしいということはまず「力がある」ということだ。私が育った村ではお祭りの力くらべで米俵を三俵担いだという大工がいて、私たちはそれだけで彼を尊敬した。喧嘩に強いということも男の値打ちのひとつだった。学校ではいつもクラスで一番の優等生よりも、喧嘩に負けたことのない力持ちの方が一目置かれていた。屋台の焼芋屋のおじいさんを虐めているやくざのチンピラ五人を向こうに廻して殴り合いをし、五人とも叩きのめしたという大学の三年浪人生は「正義漢」や「たいした男や」と褒めそやされて、私たちは敬意を払った。彼の母親は私の家に来ては、
「あんな息子、どもなりまへん。ぐうたらぐうたら寝てばっかりいてからに、それやから三浪しますねん!」
とボロンチョにいっていたが、私たちは「ぐうたらぐうたら寝て」いてもいざとなると正義のゲンコを握って弱きを助けた三浪さんを尊敬したものである。
だが日進月歩で文明が進歩していくにつれて、「力」はとりたてて鑽仰されるほどのものではなくなった。力よりも大事なものは機械文明に即応できるアタマである。米俵三俵いっぺんに担いだ? それが何やねん。フォークリフトで運んだらええのや、ということになった。喧嘩が強いことは何の値打ちもないことになった。やくざを叩きのめしても、一緒に警察に引っぱられて留置所に入れられるだけである。なにがどうあっても「暴力はいけない」のである。
佐藤愛子は1923年生まれ。彼女が"育った村"は現在の兵庫県西宮市鳴尾町から甲子園にかけての一帯。
こうした空気感は昭和末期の時代にもまだ日本社会に薄まりつつも残っていましたよね。時代をさかのぼれば「力」こそが正義を担保するという意識や空気感はより強かったであろうことは想像がつくはずです。

だからこそ、現在の「自力救済」の方向に進みつつある現状は岐路なのだと思っています。結局のところ「自己責任」と「自力救済」は同じものなんですよね。
であれば、再び牙を生やしてアニマルスピリットを取り戻し、その代わりに暴力の横行も認めるかどうかの。
アンチ・フェミニズムでジェンダー規範の再強化を望むような人も少なくないようですが、でも、そうなった時には腕力がものを言う社会になりますが大丈夫ですか?


そういえば、池波正太郎の時代小説『剣客商売』が英国で『The Samurai Detectives』のタイトルで翻訳され少し話題になっています。
ここ数年、英国では日本のミステリー小説がブームになっていて、2024年には柚木麻子の『BUTTER』が英国における外国小説で最も売れた本となり、25年には王谷晶の『ババヤガの夜』がミステリー文学のダガー賞に選ばれました。

英国で日本人の暴力表現が新しいエンタメとして広く受け入れられているわけですが、そこに現代を舞台にしたものだけでなく、時代小説が加わってより広い表現が知られるようになったら面白いな。私たちがシャーロック・ホームズを読むように英国でサムライ探偵ものが読まれると。

春日太一の『時代劇入門』(2020年)第一部第二章の「時代劇ってなに?」より。
「そもそも、なぜ時代劇を作るのか」という話をします。
時代劇なんてべつになくなってもいい、作らなくてもいい、現代劇だけ作っていればいい――という考えの方もいるでしょう。でも、時代劇には作られ続けた方がいい理由があるんです。
それは、「日本人古来の精神を尊ぶため」とか「日本の伝統を知らしめるため」とか、そういう堅苦しい話ではありません。ひと言で言えば、「エンターテイメントの表現手段として、時代劇はとても優れているから」ということです。ようは、時代劇の最大の強みは、現代劇では表現できないことをやれる。
まず、根本の考えとして持ってほしいのは「時代劇はファンタジー」だということです。現代から時間のベクトルを未来に伸ばすとSFになり、過去に伸ばすと時代劇になる。そういう考え方をしてもらえればいいと思います。
~(中略)~
つまり、思いきった嘘がつけるということですよね。――観客に説得力を与えられれば――何をやってもよいのが時代劇。いろいろなイマジネーションを盛り込める場なのです。
~(中略)~
ネット界隈を中心に「あれは史実と異なる」「実際はこうだった」とか指摘してマウンティングしたがる人って結構いますよね。そういうのは無視してください。「時代劇」は「劇」なのですから、楽しんでナンボです。
私が重要視するのは作品として説得力があるかないか、その一点です。
時代劇におけるリアリティとは史実どおりかどうかではないのですね。リアリティを担保するのは「説得力」です。
エンタメ作品として時代劇は現代劇よりもファンタジーとして自由に作ることができ、そこには観客をファンタジーの世界に誘う説得力さえあればいいのです。
その上で、日本の時代劇は他国の時代劇に比べて国外展開に優位があります。サムライとかニンジャは半ばファンタジー世界の住人として説明なしに使えますから大衆向けエンタメとして強い。

……そういえば以前、英国では日本そのものがファンタジーとして楽しまれていると読んだことがあるな。小説などのエンタメ作品だけでなくタブロイド紙の下世話な記事も含めて、こことは違うどこか日常を忘れる場としての「日本」。
時代劇の話ではなく現代劇ですし、英国の作品でもありませんが、平岳広も出演するブレンダン・フレイザーの主演映画『Rental Family』(2025年公開)は、そんなタブロイド紙の日本のネタ記事がどんな風に欧米で消費されているのかの一端が分かるような作品。

ブレンダン・フレイザーは『The Mummy(日本語タイトル『ハムナプトラ』)』シリーズでスターとなりますが、その後、メンタルの調子を崩して一線から離れていました。そんな彼が昔は有名だったが日本に移民した今は売れない俳優役を演じることでキャラクターへのメタな没入感を与えつつ「日本」に観客を誘導するのですね。
映画のプロモーションと復帰の挨拶で米国のTVトークショーをハシゴするフレイザーと司会者の会話を見ていると「日本」への外からの視点について色々と気付かされます。
その意味では『SHOGUN』との連続性も感じるところ。
ドラマ『イクサガミ』を英語吹き替えで見れば良かったかな、と思ったのは知らない国のファンタジーだと一回離れる必要があったのだろうな。

話を戻しましょう。
それから「史実通り」というのがまた曲者で。史実というものは、絶えず歴史学者の中で説が更新されていきます。そうなると、たとえそのときの時代考証通りに作ったとしても、その考証は少ししたら新しい説によって覆されるかもしれない。だとすると、「史実通り」「考証通り」は唯一無二の正解とはいえない。
作り手が面白い作品を作るための選択肢を得るために、史実や考証を学ぶことは大切です。それによって表現の幅が大きく広がることはありますから。でも、そこに寄りかかり過ぎたり、絶対視することは危険です。
観る側も、それは同じ。前にも書いたように、「史実と違っている」と批判する人がいますが、私がそういう人に言いたいのは、「現実と空想の区別はつけてください」。
その当時は史実通りに作ったとしてもその後に主流の学説が変わって史実通りでなくなってしまうことは少なくない。今の時代に昭和に書かれた有名な歴史小説を読むと、当時はそうだったのだろうけど今は違う(とされている)「史実」に引っかかってしまう経験はあるはずです。
難しいですよね。当時はリアリティを出すために史実や考証を学んで活用したはずの記述が時代の変化によって逆に作用してしまうのですから。
"ネット界隈を中心に「あれは史実と異なる」「実際はこうだった」とか指摘してマウンティングしたがる人"には大人の鑑賞態度というよりはかえって「ぼく、知ってるもん」と言いたがる幼児性を感じてしまう。
時代劇を作る理由として「大きな嘘をつける」と述べました。その「大きな嘘」の最たるものが大がかりなアクションです。
これは日本の映画やテレビドラマの現代劇ではなかなかできません。
現代劇で数十人数百人が武器を持って殺し合うようなアクションに説得力をもたせるのは難しいですが、時代劇ならばそういうものだと不自然さは感じないですよね。
また、日本国外にエンタメ作品を売る時にも、日本人が刀を振り回して戦うだけで喜ぶ一定の観客が得られます。まあ、この場合は時代劇でなく現代が舞台であってもかまわないのですが。真田広之の出演した『Jhon Wick』や平岳広の出演した『Giri/Haji』のように。
そして何よりの強みとして、現代の社会問題を盛り込める――という点があります。つまり、現代劇としていまの社会問題を取り上げると生々しくなってしまうことでも、時代劇というフィルターを通すことで「いや、これは昔のことですから」と逃げられるわけです。
実は、江戸時代から既に「現代では描きにくいことを過去の問題に仮託して描く」という手法がありました。あとで詳しく述べますが、「忠臣蔵」がそれです。
「忠臣蔵」の元になる、元・赤穂藩の浪士たちによる吉良邸への討ち入りは、江戸時代の実際に起きた事件です。赤穂浪士・四十七人が吉良上野介の家に乗り込んで討ち果たすわけですが、当時は平和な元禄時代。今でいうテロ的な襲撃事件です。
これを当時、そのまま劇でやると幕府批判になるわけです。しかも「騒乱を起こして吉良上野介を討ち果たす」という犯罪者を肯定的に描いたら、それはもう取り締まりの対象です。
そこで、時代を南北朝時代に置き換えました。吉良上野介を高師直という、足利尊氏の執事だった人間に替え、赤穂藩から伯州の物語に変える。
浅野赤穂藩の浪人たちによる吉良上野介襲撃事件が発生したのは1703(元禄15)年。この事件を題材に採った作品は事件直後から次々と発表されますが、現在の「忠臣蔵」につながるのは1706年に近松門左衛門が発表した『碁盤太平記』。この作品で近松門左衛門は、舞台設定を室町幕府形成期の『太平記』の時代に置き、吉良上野介(義央)を足利尊氏の執事であった高師直、浅野内匠頭(長矩)を伯耆守護の塩冶判官(高貞)として登場させます。吉良家は足利一門であり、江戸幕府では格式と伝統ある「高家」と呼ばれていましたから知る人が見れば一目瞭然。
「忠臣蔵」として完成するのは1748年発表の『仮名手本忠臣蔵』ですが、この作品中でも近松門左衛門による「太平記」設定は踏襲され、「忠臣蔵」の時代設定と人物が事件どおりに書かれるようになるのは「江戸」がリアルタイムではなく「時代」となった明治以降。
こうした、「過去に舞台を移すことで、オブラートに包んで現代批判をする」という手法は伝統的にありました。
映画の世界で時代劇が大きなブームになるのは、大正末期から昭和にかけてです。この時代には、治安維持法によって政府批判の言論や表現に対して厳しい取り締まりが行われるようになっていました。その一方で農村を中心に飢饉は続くし、工場の労働者はひたすら貧しく、貧富の差は開く一方。
といって、現代劇でその状況を批判的にやってしまえば捕まってしまう。そこで登場したのが、「傾向映画」という時代劇でした。たとえば、悪代官からの重税に苦しんでいる農民たちを救うために侍やヤクザが立ち上がるとか、そういう話を作りながら、現代に対する不満や批判を江戸時代に仮託し、庶民の怒りを掬いあげていきました。
「傾向映画」とは1920年代から30年代前半にかけて作られた左翼的な「傾向のある」映画です。
大正デモクラシーを経て、映画を単なる娯楽作品として作るだけでなく社会問題などを含めて描く作品が現われます。
そんな時代背景のなか、1923年に発生した関東大震災によって関東から関西に多くの芸能関係者が一時避難した結果、現代劇を撮っていた東京と時代劇を撮っていた京都の人材交流が行われるようになり、京都で作られていた時代劇にも当時の社会問題や世相を取り込んだ新しい時代劇が生まれるようになりました。
この時代に、剣戟ブームを作り後の時代劇に大きな影響を与えたのが阪東妻三郎主演の映画『雄呂血』(1925年)。
大正デモクラシーの時代が終わり、昭和に入って言論統制が厳しくなっていくと、現代劇で左翼的傾向があると睨まれそうな社会問題を扱う作品は発表が困難となり、時代劇のなかで「傾向」は生き残ったのです。

そういえば冒頭で紹介した一つ、北方健三の『水滸伝』も彼自身が体験した学生運動を取り込んだ作品でしたね。
そうした作品は戦後になってからもあります。たとえばテレビ時代劇『必殺からくり人』(一九八六年)に、こんなエピソードがあります。越後の貧しい村で育った人間が、悪事を重ねながら江戸に辿り着き、江戸で「闇公方」と言われる地位にまで昇りつめる。そしてかつて越後でひどい目に遭った人が「闇公方を殺してほしい」と「からくり人」という殺し屋チームに依頼します。
この「闇公方」って、ロッキード事件で逮捕された元総理、田名角栄がモデルなんですよ。当時の大権力者です。現代劇で田中角栄そのものや、それと思しき人物を殺す話はいろいろと問題が起きます。でも時代劇なら田中角栄っぽい人間を殺す――ということでエンターテイメントとして成り立つわけです。
時代劇には「悪代官」「悪徳商人」が悪役としてよく出てきます。それは実際に江戸時代にそういうのがたくさんいた――というより、そうした人間に対する庶民の怒りがぶつけられているわけです。
"ネット界隈を中心に「あれは史実と異なる」「実際はこうだった」とか指摘してマウンティングしたがる人"たちは「江戸時代にはそんなに悪代官はいなかった」なんて言いたがります。でも"「時代劇」は「劇」なのですから"、史実どおりでなくてもかまわない。
それよりも、悪役としての悪代官や悪徳商人が何を仮託されたかが重要です。
元総理を暗殺する題材も現代劇で扱えば生々しく差し障りがあるけれど、江戸時代を舞台とする『必殺』シリーズであれば"エンターテイメントとして成り立つわけです"。
今の時代に誰の顔が浮かんだかは知りませんが、舞台が江戸ならそれはフィクションでありファンタジーです。

とはいえ、今現在の日本で昔の時代劇のポジションにあるのが、Vシネマと呼ばれるジャンルにおける大ヒット作で、Vシネの枠を超えて映画やテレビドラマでスピンオフも作られるようになった『日本統一』シリーズになるのだろうな。

横浜の不良少年二人組が関西に移住してヤクザとなり、自分たちの組を率いて「日本統一」を目指すという大枠の物語はありつつ、カルト教団問題や闇バイト問題など時事ネタがエピソードに挿し込まれた"ヤクザが立ち上がる"物語です。
これは現代劇の形をとった時代劇だよな。変な話ですが。
今年(2025年)公開の映画『田村悠人』のトレーラーなんて昭和の剣戟映画の予告編みたいだし、組員たちのキャラクターソングは昭和のテレビ時代劇で流れる導入歌のパロディで。
セットや衣装など時代劇は作るのにカネがかかります。でも現代劇ならばセットも衣装もそのままでいけますからね。その時、「ヤクザ」は現実の存在ではなくファンタジーな存在として描かれる。

ただ、時代劇というフィルターなしに自力救済としての暴力が現われる現在の社会の方向もどうなのかな? と思うところはあります。
また、陰謀論だって、現実社会に適用しようとするから害悪なのであって、時代劇のなかにエンタメとして落とし込めばそれはそれで立派な物語になるはずです。
だからこその時代劇の復興に期待しているのもあるのだろうな。


リンクしてあるのは、ONE OR EIGHTの『BET YOUR LIFE』。

先行するK-POPに対し、日本の男性アイドルの独自性を発揮しようとすればやっぱりサムライ・ニンジャになるのでしょう。BMSG所属の〈MAZZEL〉の『DANGER』MVやLDH所属の〈PSYCHIC FEVER〉の『SWISH DAT』MVなどを見つつ、「新しい時代劇」はこの方向にあるのかもしれません。
だとすればダンスに習熟している現在のアイドルたちを「剣舞」として育てたら海外にも売れる時代劇が作れるようになるのかな。K-POPにも少し意味合いは違うけど「カル群舞」という言葉がありますが、サムライ・ニンジャ幻想を満たすような「剣舞」で。
本筋では紹介できなかった文章をいくつか散漫にはなりますが追記していきます。


2026年のNHK大河ドラマが『豊臣兄弟』ということで、本屋に行くと豊臣秀吉と秀長を扱う歴史/時代小説が多く出版されています。また、豊臣政権周りの研究書もこれを機会に出版されていて興味深い。
とはいえ、なぜ今の時代に豊臣秀吉なんだろう? しかも秀吉ではなく弟の秀長が主人公ということは秀吉の晩年は描かないのでしょうから。

「豊臣兄弟」の戦闘部隊を率いた仙石権兵衛(秀久)を主人公に織田信長の勃興から江戸幕府成立までの時代を描くマンガ『センゴク』。その作者、宮下英樹の『歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか? 』(2024年)第2章「世を渡り、出世を賭す武将たちの群像」より。
北条の祖、伊勢宗瑞(早雲)は荒廃と銭の病が蔓延する京から移って、関東に秩序ある禄寿応穏の国を作りました。後に、その北条家は全国屈指の政治体制の整った国となります。北条氏直の時代にいたるまで、五代にわたって極めて盤石な体制を維持しました。
そこに皮肉にも、経済力で肥大化した豊臣軍が「西から」侵攻してくる。北条家は、小田原という巨大な市街を要塞化していますから、国民を総動員して城下町まるごと籠城します。民衆も、愛する国を守らんと厳しい自警団を作ります。
それでも、北条氏直は秀吉に敗れました。
「秩序ある良き国」は「経済力で肥え太った国」に結局敗れる。そういう「歴史の不条理」が究極的なテーマです。地道であることの強さと経済的な強さの運命的なぶつかり合い。敗れた北条は最後の戦国大名家となります。北条の御書置(憲法)は「例え滅亡するとて、義理に背いてはならない」。失敗の少ない優れた統治者でさえも滅亡する歴史の非情を描きたいと思いました。
昭和の時代までは「小田原評定」なんて言葉で、小田原北条家は豊臣秀吉に滅ぼされた無能な一族のように描かれてきましたが、1990年代からその安定した統治システムの再評価が進み、そうした史料を基に現在の歴史/時代小説では、ここで宮下英樹が記したような描き方が主流となっています。
室町幕府の政所で財政も担当した伊勢家の出身の新九郎が"銭の病が蔓延する京"を離れて関東に禄寿応穏の新しい国を打ち立てる。しかし、その北条家が五代目氏直の時代に、銭の力を我が物とした豊臣秀吉の西軍に踏み潰されていく。そんな物語です。
歴史学者の本郷和人先生からは、歴史学と政治思想は切っても切れないこと、政治が変わると歴史の語られ方も変わるということを教わりました。
日本の「歴史学の歴史」を大づかみにまとめれば、戦前の皇国史観や戦後のマルクス主義の民衆礼賛史観、生産力史観といったものがまずあり、その批判的な発展系としての網野史学の流行などを経て、現代ではより実証的な方向に進んでいるといいます。つまり歴史学それ自体も、政治社会の変化に相当拘束されている
"歴史学と政治思想は切っても切れない"し、"政治が変わると歴史の語られ方も変わる"のならば、どうして小田原北条家がここ三十年ほどの間の日本で、何となく再評価が進んでいるのかも分かりますよね。また、文書主義で多くの公文書を後世に残している小田原北条家は実証歴史学にも親和的。
ただ、歴史学者や語り部としての歴史小説家などの持つ歴史の語りと、大衆マス層の持つ歴史の語りの間にはギャップがある。このギャップを日本で最も大衆マスなNHK大河ドラマと比較するのは面白いかもしれません。なぜ今、豊臣秀吉なのか、と。
……神奈川県小田原に行くと「NHK大河ドラマに北条五代を」とキャンペーンをやっているのを見かけますが、大衆マスに拘束されるNHK大河ドラマで小田原北条家を好意的に描く作品なんてできるのだろうか?
歴史漫画を描き続けていて、いまだに悩ましいことがあります。どんなに勉強し、歴史学の論文を読んでも、答えが出るものなのかどうかわからぬもの。それは「歴史精神」です。
歴史学はどんどん実証的になっています。一世を風靡した網野史学などは、実証によって検証されながらも、やはり思想的で非実証的なところがあるとかなり批判されるようにもなってきています。『センゴク』で様々な新説を取り上げたように、僕自身も実証歴史学の成果に励まされています。
ただ時に実証的すぎるあまり、もっと大きな「歴史精神」のようなものを摑みとれなくなってしまう瞬間があるのではないか、と感じることもあるのです。
ちょっと例を出します。「一揆」に参加した民衆は「階級意識」を持っていたと言えるでしょうか? 往年のマルクス主義史観であれば、もちろんそこに「抵抗性」を見出し「階級闘争」があったと主張するでしょう。
ですが、実証歴史学によれば、そんな階級闘争は「なかった」ということになります。一気に参加した民衆は、奪えるものを奪っていた民衆にすぎず、ならずもの同士の争いでしかなかった。そこにマルクスが探し求めた階級意識はなく、ならずものの集合体でしかなかった。あるいは一揆で襲う側も襲われる側もならずものだとされるようになってきています。
実証歴史学の最大の弱点は史料が無いものを語れないこと。そして史料がある方が正しいとされがちなことです。
皇国史観の代表的な歴史学者である平泉澄が民衆史を志す学生に「百姓に歴史はありますか。牛や豚に歴史はありますか」と言い放ったと伝わる時代があり、その反動としてのマルクス主義史観のあった昭和の時代を過ぎ、網野史学の流行を経て実証歴史学の現在につながるのですが、史料が無いものは語れないとしてしまうと「百姓に歴史はありますか。牛や豚に歴史はありますか」の時代に戻ってしまう。

ここで宮下英樹が意識しているのは呉座勇一らのことなのだろうな、と2017年10月に日文研(国際日本文化研究センター)が行なったシンポジウムを収録した『戦乱と民衆』(2018年)より呉座勇一の発言。
従来の研究では、一揆は権力と戦う「反権力」の存在とされていました。一方で、足軽は大名の手下なわけですから「権力の手先」と位置付けられてきました。そのため、おおざっぱに言えば、土一揆は高く評価され、足軽の評価は低かったのです。
ところが、その両者は、じつは同じ人がやっている。実態としてもやっていることは略奪ですから、同じことをやっているというわけです。したがって、「土一揆はすばらしく、足軽はけしからん」という論は、まったく成り立たないものなのです。
そこから見えてくるのは、民衆が必ずしも反権力の動きをしていたわけではないという事実です。民衆は、その時の状況に応じて反権力の動きをみせることもあれば、権力の手先として動くこともあった。飢饉や戦乱の時代には民衆は生き延びることに必死で、生きるためには手段を選ばなかった。それが足軽や土一揆という存在を通して見えてきた、歴史の事実だと思います。
……"「土一揆はすばらしく、足軽はけしからん」という論"なんてものはあるのだろうか? 皇国史観の反動で第二次大戦敗戦後の昭和の一時期にそのままではなくとも似たような論はあったのでしょうが、1980年生まれの呉座勇一が直接に対峙したことがあるとは思えない。彼の発言を追って読んでいると「マルクス主義、マルクス主義」とよく出てくるのだけど、なんだか昭和の時代にタイムスリップでもしたかのよう。

1976年生まれの宮下英樹はこう続けます。
しかし、僕は思います。「うーん、本当に?」と。年貢を払う側と受け取る側があった以上、史料には残らない精神性として階級闘争はあったのでは、という気がしてしまう。それをどう解釈すればよいのでしょう。
たとえば、先年のブラックライブズマターでの抗議運動を細かく実証すれば、「ブラック」が経営する商店を「ブラック」が打ち壊しているような例も見つかるでしょう。しかしそれを「証拠」として「ブラックライブズマター」という運動のなかにある反差別闘争的な「精神性」をすべて否定してしまっては、どこか腑に落ちないものが残ります。
実証主義には、できる限り「歴史精神」を否定しようとするモチベーションがあって、
~(中略)~
歴史学の論文のなかに「精神性」や「運命論」を安易に盛り込むと「それって感想ですよね?」というふうに指摘されてしまうそうです。しかしエビデンスと感想をあまりに断定的に切り分けるのは危ういのではないでしょうか。いじめの調査をし、なにも証拠が発見できませんでしたという結果が出たとしても、それで「いじめはなかった」と断定してしまうことが危険なのは自明です。
"史料には残らない精神性"を後の時代から追いかけようと思えばとても難しい。
Black Lives Matterのムーヴメントだってたった数年前の話なのにもう忘れられています。史料に残るであろう、例えば当時の警察記録だけで歴史を追ってしまえば略奪の記録だけが残って、なぜ、このようなムーヴメントが発生したのかは無視される可能性は十分にあるわけだし、"「いじめはなかった」"という公式記録だけが残ってしまうような事例は、この社会に生きていれば普通にあることも分かりますよね。
「それって感想ですよね?」という言葉には、「感想」というものの意味を軽く見積もってしまう危なっかしさも感じます。
「人権を守った方がいい」という法治国家の「精神」は、いくら法によって保障されているといっても、その法の向こう側に何があるかといえば、突き詰めていえば目に見えない何か、まさに「感じて思っていること=感想」の「集積」でしかないのではないでしょうか。
感想がある、ならば、そこにもっと「何か」が積もり積もっているのではないかと慎重になってみる。そうすれば歴史を読み解くヒントが見つかるかもしれません。ウェストファリア条約のような社会契約がなかった時代を知るには、「感想」と向き合うのがとくに大切であるように思えます。
「ロマンなきロマン」を追い求める実証歴史学には、僕も大変共鳴しています。けれど、史料だけを信じていくと、「ロマンなきロマン」というロマンにかえって吞み込まれてしまいそうになります。マルクス主義は「神」の代わりに「理性」を立ててしまったと評されることがありますが、まさに答えが出たと思うときにこそ世の中の本質は遠のいてしまうもの。「精神論」を信じない代わりに「史料」を信じるというのではなく、どちらも大切にしていきたい。
もちろん学問としての歴史学と、エンタメとしての(マンガ等も含めた)歴史小説の立場は違います。学者と作家が違うのは前提の上でです。
ただ、公的な史料からは読み取りにくい時代の、ここで言う「精神性」みたいなものを改めて抽出しようという新たな学問として最近は「感情史」というものが流行を始めていますよね。アメリカ大陸では2001年の同時多発テロをきっかけに、ヨーロッパではドイツ統一後の東ドイツ地域での混乱をきっかけに理論化が始まり、日本ではパンデミックで始まった2020年代に入ってから次々と翻訳が出版されるようになりました。
どうしてそう感じおもうに至ったか、の分析は陰謀論という偽史が蔓延る今の時代に改めて必要とされているのでしょう。

……数年前に「それって感想ですよね(笑)」というのが流行りましたが、これを言う人って他者の感情に対しては冷笑して理性的なふりをしてみせても、自身の感情を否定されると暴発するのが面白い。実は言った本人が"呑み込まれて"いるのだろうな。


『室町アンダーワールド』に収録された垣根祐輔と時代考証に助言した早島大祐の対談を収録した第3章「歴史研究と歴史小説の接点とは」より。
早島 南北朝や室町時代がじわじわと人気が出ている、というのは実感としてあります。なぜわかるかというと、学生にゼミを選んだ理由として「何時代をやりたいの?」と聞くんですよ。そういうときに、南北朝という答えが返ってくるんです。
垣根 それはなぜ?
早島 聞いてみると、高校でやっていないからだと。実は今、教科書のほぼ半分が近代史なんですよ。明治維新以降の内容。
垣根 私たちが子どものころってそんなことなかったですよね。近代史なんて授業でほとんど習ってなかった。明治維新までやったら時間切れ(笑)。
早島 そうそう(笑)。今は明治維新以降が手厚いんですよ。
~(中略)~
だから大学でその前の時代をやりたい、という動機を持つ学生が増えている。南北朝とか室町に焦点が当たっているのは、やったことない、よくわからないから、という子が増えてきていますね。
「日本史の授業は近代史に入る前に時間切れになるので日本人は近現代史を知らない」と言う人を見かけますが、"明治維新までやったら時間切れ(笑)"と笑い話に出来るのは1966年生まれの垣根涼介や71年生まれの早島大祐らの昭和末期の80年代に教育を受けた世代まで。
少なくとも、私が高校生だった1990年代には「大学受験では近現代史が重要だ」と重点的に授業でやるようになっていましたから、学校や教員にもよるだろうけど、余裕をもって近現代史を授業した上での他の時代を進めていくのが平成以降の主流のはずです。
日本国外でも、まことしやかに「日本では学校で近現代史を教えていない」なんて語られているのを少なくない頻度で見かけます。日本人でもおもねってか無知ゆえか「そうそう近現代史を私も授業でやらなかった」みたいなことを言う人がいますが、嘘をつくのは止めたほうがいいし、もし本当に知らないのだったらアップデートしておいたほうがいいのに、なんて見かけるたびに思います。


例えば、教科書として使った人も多いであろう山川出版社は、大人向けの歴史教科書として高校日本史の教科書をベースに『もういちど読みとおす山川新日本史』を2022年に出していますが、上巻で旧石器時代から18世紀までを一気にまとめ、下巻は18世紀から21世紀までと一冊まるまる前段階の近世を含めつつ近現代史。

また、昭和の時代に教育を受けて「歴史の授業って年号の暗記ばかりさせられた」みたいなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、今の時代はあまり年号は重視されなくなっているのですよね。
例えば、昭和の人は「1192いいくに作ろう鎌倉幕府」なんて覚えているのでしょうけれど、鎌倉幕府の成立時を1192年とは教えなくなったように年単位の細かい数字は学説が変化する可能性がありますから入試問題にも使いにくい。

アニメ『逃げ上手の若君』エンディング曲の『鎌倉STYLE』歌詞にも
いい箱(1185)つくろう? いい国(1192)つくろう? 諸説もyou know? 超有能!
とあります。
私が中学生高校生の頃でも1185年も1192年も諸説があると授業でやった記憶。
昭和の時代に教えられた「歴史」と今の「歴史」は違う、という話はちょくちょく話題になりますが、授業の組み方や教え方も昭和と平成以降では変わっています。

なので、現在の日本史の授業で空白の時代になりがちなのは、鎌倉時代末期から江戸時代成立の間にある室町時代前後頃。関西学院大学で教授する早島大祐は現在の室町ブームを"だから大学でその前の時代をやりたい、という動機を持つ学生が増えている"と語っています。
こうした部分も昭和と今は違うとアップデートしておいた方が良いですよね。


同じく1971年生まれで明治大学で教授する清水克之の『室町ワンダーランド』第三章収録の「能(NO)!倍速視聴」より。
映画やネット動画などを倍速で視聴する若者が増えている、ということが、いま話題になっている。僕なんかは大学で若者と接する機会が多いので、同じことをずいぶん前から危ういなと感じていた。
コロナ禍で大学の講義ができなくなったとき、講義内容を動画にして学生に各自家庭で視聴してもらうという授業形態に、しぶしぶ切り替えたことがあった。そのとき早送りで視聴されるのがイヤだったので、それができない設定にしたところ、ある学生から「早送りで視聴したいので設定を変えてください」という要望が悪びれもせず送られてきたのに驚いたことがある。
今の若者に限らず、昔から映画を早送りで見る人はいました。私自身も高校生や大学生の頃に、好みに合わなかったけど名作視されている映画をとりあえず「知っておくため」だけに早送りで見た経験はありますし、今も、例えば、発言だけ確認したいシンポジウムの録画を倍速で流しながら他の作業をしていたりもします。

そんな倍速視聴が改めて問題視されたのが2020年に始まるコロナ禍期。
2022年には稲田豊史の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』が話題になりました。
この本の序章「大いなる違和感」より。
ひとつめの背景は、作品が多すぎること。
現在の人類は、今までの歴史のなかで、もっとも多くの映像作品を、もっとも安価に視聴できる時代に生きている。
~(中略)~
2つめの背景は、コスパ(コストパフォーマンス)を求める人が増えたこと。
倍速視聴、10秒飛ばしする人が追求しているのは、時間コスパだ。これは昨今、若者たちの間で「タイパ」あるいは「タムパ」と呼ばれている。「タイムパフォーマンス」の略である。
~(中略)~
3つめの背景は、セリフですべてを説明する映像作品が増えたことだ。
本来、映像作品は映像で語るものなのだから、役者が悲しそうな顔をしていれば悲しいことが伝わるし、無言でじっと汗をかいてれば絶体絶命であることがわかる。モノローグ(独白)で、「悲しい」とか「どうしよう」などと口にする必要はない。
しかし、昨今の(特に日本の大衆向け)映像作品には、いま自分が嬉しいのか、悲しいのか、自分がどんな状況に置かれているのかを、一言一句丁寧に、セリフで説明してしまうものが多い。言葉なしの映像だけを観て読み解く必要がないのだ。
「映画を早送りで観る」理由を「コスパ」良く三つの背景で説明します。
一つめは、コロナ禍での外出制限でNetflixはじめとする映像サブスクリプションサービスが爆発的に普及し、映画などの映像作品は一本ずつ鑑賞するのではなく大量の作品をザッピングで消費する視聴形態に変化したこと。

二つめは、「コスパ」。カネと時間を最大に有効活用するのがスマートだとされる社会的風潮が籠められた言葉なのでしょう。まあ、これは昔から「Time is Money」なんて言う言葉があるし、普通の日本語で書けば「費用対効果」ですから、より意識が強化された、とでも言うべきでしょうか。
ただ、この「コスパ」という言葉に含まれている「パフォーマンス」が本当に発揮されているかは疑問です。コスパとは言いつつ、本来の目的であるパフォーマンスではなく「コスト」をかけないことばかりに重点が置かれているようにしか見えません。たぶん、コスパの前に流行った「ライフハック」という言葉と併せて語ることで実態が見えるのではないでしょうか。

そして、三つめの背景。
現在の大衆向けの作品ではハイコンテクストなものではなくローコンテクストなものが良しとされていますよね。"読み解く"コストが必要な作品は、無駄な労力が必要だからと嫌われる。

『映画を早送りで観る人たち』で、"セリフですべてを説明する映像作品"の代表として紹介されているのが、大正時代を舞台に鬼との戦いを描くマンガ原作のアニメ『鬼滅の刃』。
……私個人の好みでいうと、『鬼滅の刃』はアニメもマンガ原作も説明過多の冗長さに耐えきれず無理でした。しかし、『鬼滅の刃』の映画「無限列車編」「無限城編 」は映画興行収入の日本歴代1位2位の記録を塗り替える大ヒットを続けていますからビジネスとしては正しいのでしょう。

『室町ワンダーランド』の「能(NO)!倍速視聴」に戻ります。
大して面白くもない講義かも知れないが、それを聴いている間に「え? それ本当かよ?」とか、「あ~、むかし、おばあちゃんが言っていたのは、このことだったのね!」とか、「哲学の授業でも先生が同じこと言ってたけど、それとこれはどう関係するんだ?」とか、話と話の「間」に、たまにいろんなことが頭に去来する、それ! 僕らがしゃべる内容なんかより、その話題をきっかけにして、それぞれ頭のなかでいろいろと考える、その時間。それこそが、なにより創造的な瞬間であるし、思索的な経験なのだ。そうした「間」も含めて、講義というものは成り立っている。なのに、その「間」を倍速にしてすっ飛ばして、こちらの話すネタだけ要領よく摂取しようなんて考えには、やっぱり僕は共感できない。
実は、私がこのブログで再現しようと思っているのがこの部分。
テキストを読み、解説を入れ、雑談する。
で、そんな授業や講義の合間にしていた雑談が、どんな講義や授業の時だったのかは忘れても妙に記憶に残っていることってあるじゃないですか。
この"「間」"を「コスパが悪い」と感じてしまい、"創造的な瞬間"で"思索的な経験"だと思えないのは、とてももったいない。
当然ですが、紹介しているテキストもちゃんと本を買うなりして全文読んでもらいたいとも思っています。
ただ、いまどきの学生と接していると、その気持ちは分からなくもない。たまに授業で往年の映画などを見せると、最近は「面白かったけど、少しダレた」とか、「最後のシーンはもう少しスピード感が欲しかった」といった残念な感想が必ずちらほら見られる。最近の若者を取り巻く映像技術は超速で進歩していて、アクション映画だろうが恋愛映画だろうが、つねに展開は刺激的で、一瞬も飽きさせない工夫に満ちている。それに比べると、いかに名画とはいえ、数十年前の映画はやはり展開がスローで、集中力が削がれてしまうようだ。これは時代の変化として仕方のないことなのかも知れない。
社会が全体的に「間」に耐えられなくなっているのですよね。
これは映画などの映像作品だけでなく、例えばTikTokでバズるため最初の10秒間で飽きさせない音楽とか、文章は旧twitter準拠の140文字以内に短く書くべきとか、集中力が続かないことを前提に短時間で刺激を与えて作るのが最適解とされています。
では、僕らのご先祖、室町時代の人々の演劇への向き合い方は、どうだったのか。
たとえば、室町時代に由来する芸能である能楽なんて、一番の上演時間が平均約七十七分。その間、ほとんど劇的な展開は無いし、セリフも唸るような発声で、息の続く限り、やたらと長く延ばす。僕もいちおう普通の人よりは意識の高い観客のつもりだが、それでも前日にちょっと夜更かしなどしてしまうと、途端に上演中に眠りの闇に吸い込まれそうになる。
~(中略)~
そんな現代人には少々上品すぎる能楽を、黙って、かつ楽しんで視聴できた室町児時代人とは、なんて我慢強い人たちなんだ、と思われるかも知れないが、実はそうでもなかった。
~(中略)~
というのも、当時の能楽は、なんと現代の倍以上のスピードで演じられていたのである。
録音技術も録画技術も無かった時代なのに、なんで五百年以上前の上演スピードが分かるのか、というと、古文書のなかの当時の上演記録から、
~(中略)~
たとえば、永享二年(一四三〇)四月の足利義教臨席の醍醐寺での演能は、「午初刻(十一時頃)」から始まり、「酉半(十八時頃)まで約七時間かかっている。この間、記録によれば「十一番」の曲目が演じられたというから、単純に考えて、一番平均約三十八分間。
~(中略)~
その他、当日の曲目名を書き上げたプログラムが伝わっている場合もあるので、その場合、それらを現在の同じ曲目の上演時間と比較してみても、やはり一番あたり今の四〇%ほどの時間で演じ終わっているという。もちろん、当時と今とで台本の長さに変わりはない。
足利義教が将軍職にあった1430(永享2)年時点で現在につながる能楽を確立したとされる世阿弥元清は68歳(諸説あり)。出家し息子の元雅に後継してはいますが演者としてまだ現役です。
そんな世阿弥存命の時代における能楽の上演時間は、現在と比べて同じ台本でも40%ほどの時間でステージパフォーマンスされていたと言いますから2倍速以上。現在の私たちが知る能楽と、イメージは一変するはずです。
あるとき、当時と今の上演スピードの違いを知って、すべてが腑に落ちた。能楽黎明期、人々は十分にせっかちで、落ち着いて、しんみりと芸能を鑑賞するような姿勢は、まだ身についていなかったのだ。
ところが、能楽史研究の成果によれば、その後、能楽の上演時間は少しずつ長くなっていく。戦国時代には今の六〇%にまで延び、江戸初期には七〇%に近づき、中期には八〇%、幕末には九〇%を超えるようになるという。
私は一時期、日本各地のお神楽を音楽として聴き歩いていたことがあるのですが、「これ絶対、作られた当時のBPM(beats-per-minute)はもっと早かったはず。BPM上げれば普通にサンプリングとして使えそうだし、アフロビートと間違える人もいるだろうな」なんて思うこともありました。
また、中国大陸では失われてしまった音楽を継承する雅楽も、日本人は雅楽ってそういうものだと思い込んでいるけど、伝統が途切れてしまった中国人たちは、例えば『蘭陵王』の舞楽を見た時に「2倍速で見るとちょうどいい」なんて言います。
能楽に限らず、伝統化すると時間はどんどんゆっくりしていく傾向があるようで、もし、戦国時代を舞台にした時代劇などで能楽のシーンを登場させるならば現代の能楽の2倍速前後のリズムで演じるのが「リアルだ」ということになるのでしょうし、伝統芸能化した他の芸能も時代劇では現在のものより速いリズムで演じられるべきなのでしょう。
いずれにしても、時代が進めば進むほど人間がせっかちになると思ったら大間違い。これまでご先祖様たちがせっかく演能をゆっくりじっくり鑑賞する姿勢を身につけていったのに、逆に僕らは、いま時代を遡って、確実に室町時代の人々に戻っていっている。これを、はたして「進化」と呼ぶべきか、「退化」と呼ぶべきか。


リンクしてあるのは映画『国宝』主題歌の『Luminance』原摩利彦 feat. 井口理(King Gnu)。
2025年を代表する俳優は横浜流星で異論はありませんよね。最大ヒット作となった『国宝』でW主演、NHK大河ドラマ『べらぼう』で主演をしているのだから。
ここ一、二年で昭和という時代は時代劇の範疇に入ったのだな、と思うことが増えました。