普段の年ならプロレス界隈のみの盛り上がりだったのに、2025年のプロレス大賞は主催の東スポだけで様々なメディアで注目されました。
年間MVPに選ばれたのは上谷沙弥(STARDOM)。これまで男性ばかりだったMVPの初の女性受賞者となります。
年間最高試合賞は2025年上半期のプロレスを盛り上げたOZAWAと清宮海斗の一戦(NOAH、1月1日GHCヘビー級選手権)。
最優秀タッグ賞はYuto-Ice&OSKAR(NJPW)
殊勲賞はDDT所属でありながら米国AEWと新日にも参戦するKONOSUKE TAKESHITA(DDT/AEW/NJPW)。
敢闘賞はフリーランスとして女子プロレス各団体に参戦して話題を作るSareee。
技能賞は現役引退を控えた棚橋弘至(NJPW)。
新人賞はTHE RAMPAGEに所属しつつプロレスに参入した武知海青(DDT)。
そして女子プロレス大賞は当然ながら上谷沙弥。
今年(2025年)のプロレス、特に女子プロレスが注目されたのは、上谷沙弥がマス向けメディアであるテレビで新しいスターとして取り上げられる機会が増えたからでしょうが、なんだかんだ言っても「テレビ」の力って大きいですよね。
で、今年のプロレス大賞で私が注目したのは、格闘技ではなくダンスをバックグラウンドとして登場したプロレスラーたち。新人賞の武知海青は当然ながら現役のダンスパフォーマーですし、MVPを争った上谷沙弥とOZAWAもダンサー出身です。
ひと昔前までは「プロレスはダンスじゃねえぞ」なんて怒られたものですが、今年のプロレスは女子も男子もダンサー出身者が盛り上げた事実があります。
上谷沙弥がバラエティ番組の一コーナーではあるもののプロレスを披露した際には「TBSでは51年ぶり、地上波23年ぶりの女子プロレスの生中継」と話題になりました。
プロレスは2000年代に入ってから長い間日本では「冬の時代」が続いていたわけですが、2024年の『極悪女王』の地均しを経てようやく「地上」に出れたということなのでしょう。
最近、私が気になっているのは、世界三大プロレス大国といえば米国・メキシコ・日本ですが、この三国以外におけるプロレスの復興傾向について。
例えば、現代日本プロレスの創業者とされる力道山は朝鮮半島出身で、韓国でも1970年代まではプロレスの人気はあったはずですが、キム・イルとキム・ドク(日本でのリングネームは大木金太郎とタイガー戸口)の後に続く名前が出てこない状況が長く続いてきました。しかし、ここ数年、新しいプロレス団体として2018年に設立されたPWS Korea(Pro Wrestling Society Korea)が徐々に人を集められるようになってきて、客席を見ると子どものファンが多いのに驚きます。
日本とメキシコを除く世界各国はどこも、自国のプロレスが衰退し命脈を細々と保つばかりになった後に市場を米国WWEが制覇し、歴史の断絶からどこの国でもローカルなプロレスすらも「WWEごっこ」になり、国によってはプロレスそのものがWWEと呼ばれる(例えば「日本のプロレス」を見て「日本版WWE」と呼ぶ)ような状況がありました。全てがWWEになってしまうのかな、なんて2010年代までは思っていたのですが、WWEごっこではない独自のプロレスが各国で復興し、再び各国固有のプロレスの歴史に接続したら面白い。
そんな時、WWE式ではない日本とメキシコのプロレスを教える立場として、昔の知人たちが世界各地を伝道師かのように旅しているのを知ると感嘆します。
個人的に2025年に気になったプロレスラーは、WWEが登場させた新キャラクター、El Grande Americano。
メキシコ湾改めアメリカ湾からやって来た謎のマスクマン。
この色々と微妙な時代に、AIで作ったチープな存在しない歴史、偽史をキャラクター化したプロレスラーは興味深い。
エル・グランデ・アメリカーノ=大アメリカ人とは米国に呑み込まれたメキシコ人なのか、それともメキシコに呑み込まれた米国人なのか。
私はプロレスを伝統芸能化していない生きた民俗芸能だと思って観ているのですが、このキャラクターは民衆のどのような想像力に寄り添ったものなのかストーリー展開が気になります。
今回、紹介するのは、藪耕太郎の『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか 大正十年「サンテル事件」を読み解く』(2025年)。

1921年に来日し柔道家たちに異種格闘技戦を挑んだ米国人プロレスラーのアド・サンテル(Ad Santel)を軸に近代柔道とプロレスの関係を記した本ですが、読みながら、何だか懐かしい気持ちになりました。
私の若い頃も異種格闘技戦ブームの時代だったので、うさんくさい山師な興行主やドサ回り、各国の民俗的な武術道場への体験入門とか、色んなことあったな、と。日本人の特権として、どこの国でも日本人は戦闘民族として一目置いてくれるので、するっと中に入れてしまう。
著者の藪耕太郎は1979年生まれの立命館大学出身ということは、76年生まれの棚橋弘至とは同世代か。
2025年現在、日本最大のプロレス団体である新日本プロレス社長の棚橋弘至は立命館大学、スターダム社長の岡田太郎は同志社大学のプロレス同好会出身。棚橋弘至がプロレスラーになる頃は学生プロレス出身者はプロレスの世界では嫌われるしいじめられるなんて言われていたけれど、男子と女子の日本最大手がどちらも学生プロレス出身者が社長になるのだから時代は変わりました。
そんな本の中からサンテルと講道館の対決に至る主筋からではなく、コラムとして挿入された「職業レスリングからプロレスリングへ」より。
どっちが相撲で柔道か? となると、グレコローマンが相撲でフリースタイルが柔道と見ると分かりやすい。
レスリングがサーカス発祥だと聞くと不思議に思う人もいるかもしれません。Greco-Romanとギリシア・ローマ式レスリングを名乗りますが、古代のレスリングとの連続性は無く、街の腕自慢たちの祭りにかこつけた半ば喧嘩騒ぎの格闘に、フランス人で元兵士のサーカス興行主ジャン・エクスブライヤが1848年に共通ルールを作ったのが始まりで、この共通ルールが出来たことで格闘技興行が国境を越えて打てるようになったのです。そこにいかにも伝統があるかのように見せるためにグレコローマンを名乗るようになったとされています。
英米式のフリースタイルも始まりは似ていて、英国での腕自慢たちの祭りの日の「手あたり次第(Catch As Catch Can)」の力比べが洗練化され、米国でスポーツ化して現代のレスリングにつながるとされます。
"近代スポーツの歴史を辿ると、アマチュアが誕生してからプロが登場する、というパターンが多い"のに対し、近代スポーツの概念が確立する以前から存在するプリミティヴなスポーツ…例えば、日本人に分かりやすく言えば、まずお祭りでの賞金付きの草相撲があって、それが全国共通ルールで大相撲となる。そして相撲が仮にスモウ・レスリングとしてオリンピック競技になれば…とイメージすれば、近代スポーツとしてのアマチュアレスリングと興行としてのプロレス成立までの過程が分かりやすくなるのではないでしょうか。
娯楽に乏しい開拓時代のアメリカ大陸では、武器を使わず素手で行なう喧嘩が最大の娯楽の一つであり、こうした祭りの日に開催される草相撲ならぬ草喧嘩が徐々に興行化し、喧嘩自慢は見世物一座のサーカス団の巡業稼業に加わる一方で、町に残った"親方"は裏稼業にも通じた町の顔役の一人として興行のプロモーターとなって、後に言う「テリトリー」の初期段階を形成していきます(「テリトリー」は日本語に訳すなら「シマ」とか「ショバ」の概念が近い)。
興行として成立させるためにはレスラーが毎試合ごと怪我をするのでは商売にならない。徐々にルールは整備されていきます。
1870年代から90年代にかけての米国はマーク・トゥエインの本のタイトルからGilded Age(金メッキ時代、もしくは金ぴか時代)として知られます。
経済発展によって米国社会は急激に変化し、粗暴な荒くれ者の時代は終わり、単なる喧嘩自慢ではない、英国から舶来した上品でテクニカルな格闘術としてCACCが導入されてキャッチ・レスリングとなり、興行としても洗練されて現代プロレスにつながっていきます。
その一方で、CACCは体育にも取り入れられ、学生がやっても健全なカレッジ・スポーツとしてのアマチュア・レスリングへと分岐していったのですね。
この点でアマレスの形成期は、日本における柔術から柔道への変化と時代をほぼ同じくしており、『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか』というタイトルになるわけです。
経済発展した米国にヨーロッパのレスラーたちが次々と海を渡って集まり、1905年にはThe World Heavyweight Championship(統一世界ヘビー級王座)が制定されて世界一を決める試合と称して興行が打たれるようになりました。初代の王者はジョージ・ハッケンシュミット。エストニアからやって来たレスラーです。
この世界王者ハッケンシュミットのライバルがアメリカ王者のフランク・ゴッチ。1908年4月3日に行なわれた両者の戦いは多くの観衆を集めた注目の一戦でしたが、(広義の)プロレス史に残る疑惑の一戦となり、それまでの数々の八百長疑惑の総決算となって米国の職業レスリング興行は失速。「フェイク」の概念が広く認識されるようになったのです。
ただ、興行にはフェイクも含め「虚実入り乱れるものだ」という共通認識が行き渡ったことで、1910年代から20年代にかけ、
この結果、レスラーに様々な独自のキャラクターを割り振って対決させる現代プロレスが誕生するわけです。
異なる出自とキャラクターを持つレスラーを対決させつつ、観客を盛り上げて試合を成立させるためには、当然ながら、レスラーたちには「お約束」の共通認識が必要となります。
……原文を探したのだけど前半部分しか見つけられなかったので私自身で確認してはいないのですが。また文中に加えられた訳注はカットして二次引用します。
NFLのプロフットボーラーからプロレスに転向したアメフト仕込みのタックルがソネンバーグの売りで、格闘技をバックグランドとしてしていないキャラクターありきのプロレスです。
百年近く前に書かれたこの"三幕構成"のプロレスの試合展開フォーマットは今も基本的には変わっていませんよね。これはプロレスだけでなく、例えば、アクション映画の戦闘シーンでも基本は同じですから「観客の求めているもの」がこれなのでしょう。
プロレスについて話せば必ず「プロレスって八百長だろ」と冷笑してみせる人が現われます。でも、そもそもプロレスには、プロレスが誕生したその瞬間から八百長という概念は存在しません。それも昨日今日の話ではありません。"プロレスの約束事を理解することは観戦上の作法"としつつ、"それは見るに値する刺激だからだ"と、プロレスというエンタメをショーとして楽しんできた百年の歴史があるのです。
その上で、帰り支度と伸ばした手を思わずマニアでも止めるようなプロレスを創り出そうと、プロレスラーたちは命を懸けてもいるのです。
ただ、「お約束」とか「お作法」が必要なエンタメはハイコンテクスト。マニアだけじゃない大衆的人気を得て維持するには絶妙なバランスが欠かせないのが難しい。
今の日本の大衆が、ハイコンテクストなエンタメを理解できるかどうかは疑問なんだよな。
2025年も年末となり、様々なジャンルで今年を振り返る記事やランキングが出ていますね。
日本の洋楽誌ではスペイン出身のROSALÍAが高く評価され、『MUSIC MAGAZINE』では彼女のアルバム『LUX』がポップ部門1位、『rockin'on』では全体6位。
活字メディアもオールドメディアだとかいう不思議な言葉に含まれて雑誌を読む人も少なくなったようですが、自分の視野に入ってこないジャンルについて知るきっかけになると思うんですよね。インターネットは結局のところ自分が知っていることしか知らせてくれない。

『MUSIC MAGAZINE』のラテン部門1位はメキシコ出身のSilvana Estradaの『vendrán suaves lluvias』でしたが、もし、私が今年、スペイン語圏の音楽としてアルバムを一枚、ラテン音楽を聴かない日本人に紹介するとすれば、Mon Laferteのアルバム『FEMME FATALE』かな。
『MUSIC MAGAZINE』に寄稿するような人たちと私の趣味は合わないけれど、だからこその知識の拡張が得られる。
モン・ラフェルテは出身国のチリでは最も米国グラミー賞に近いチリ人歌手として知られますが、活動拠点はメキシコ。
リンクしてあるのは、Mon LaferteとNathy Pelusoの『La Tirana』。
このMVを懐かしく感じるのは、私がメキシコの場末を面白がって飲んだくれていた若い頃を思い出したわけじゃなく、昭和のムード歌謡ムンムンなところ。
アルバム『FEMME FATALE』全体としてもラテンアメリカ人だけでなく日本人にも懐かしさを感じられるはず、と昭和生まれだけど昭和の夜は知らない世代の私が紹介します。
日本の昭和歌謡がメキシコ音楽の影響下にあったのは明らかですが、ラテン音楽を聴く日本人の間では逆転してモン・ラフェルテの楽曲を「ラテン演歌」なんて表現する人もいます。彼女自身も知っているのか『Antes De Ti』と演歌を意識した曲を発表していますし、『Paisaje Japonés(日本の風景)』と名付けた曲も私が幼い頃に流れていた歌謡曲っぽい。
そんな彼女の楽曲がグラミーを獲ったらチリ人やメキシコ人だけでなく日本人にとっても面白いとおもいませんか。是非、これまで知らなかった人がいれば過去の曲も含めて聴いてみてください。
そういえば、ROSALÍAには逆に日本の場末感を旅する『TUYA』があったな。
年間MVPに選ばれたのは上谷沙弥(STARDOM)。これまで男性ばかりだったMVPの初の女性受賞者となります。
年間最高試合賞は2025年上半期のプロレスを盛り上げたOZAWAと清宮海斗の一戦(NOAH、1月1日GHCヘビー級選手権)。
最優秀タッグ賞はYuto-Ice&OSKAR(NJPW)
殊勲賞はDDT所属でありながら米国AEWと新日にも参戦するKONOSUKE TAKESHITA(DDT/AEW/NJPW)。
敢闘賞はフリーランスとして女子プロレス各団体に参戦して話題を作るSareee。
技能賞は現役引退を控えた棚橋弘至(NJPW)。
新人賞はTHE RAMPAGEに所属しつつプロレスに参入した武知海青(DDT)。
そして女子プロレス大賞は当然ながら上谷沙弥。
今年(2025年)のプロレス、特に女子プロレスが注目されたのは、上谷沙弥がマス向けメディアであるテレビで新しいスターとして取り上げられる機会が増えたからでしょうが、なんだかんだ言っても「テレビ」の力って大きいですよね。
で、今年のプロレス大賞で私が注目したのは、格闘技ではなくダンスをバックグラウンドとして登場したプロレスラーたち。新人賞の武知海青は当然ながら現役のダンスパフォーマーですし、MVPを争った上谷沙弥とOZAWAもダンサー出身です。
ひと昔前までは「プロレスはダンスじゃねえぞ」なんて怒られたものですが、今年のプロレスは女子も男子もダンサー出身者が盛り上げた事実があります。
上谷沙弥がバラエティ番組の一コーナーではあるもののプロレスを披露した際には「TBSでは51年ぶり、地上波23年ぶりの女子プロレスの生中継」と話題になりました。
プロレスは2000年代に入ってから長い間日本では「冬の時代」が続いていたわけですが、2024年の『極悪女王』の地均しを経てようやく「地上」に出れたということなのでしょう。
最近、私が気になっているのは、世界三大プロレス大国といえば米国・メキシコ・日本ですが、この三国以外におけるプロレスの復興傾向について。
例えば、現代日本プロレスの創業者とされる力道山は朝鮮半島出身で、韓国でも1970年代まではプロレスの人気はあったはずですが、キム・イルとキム・ドク(日本でのリングネームは大木金太郎とタイガー戸口)の後に続く名前が出てこない状況が長く続いてきました。しかし、ここ数年、新しいプロレス団体として2018年に設立されたPWS Korea(Pro Wrestling Society Korea)が徐々に人を集められるようになってきて、客席を見ると子どものファンが多いのに驚きます。
日本とメキシコを除く世界各国はどこも、自国のプロレスが衰退し命脈を細々と保つばかりになった後に市場を米国WWEが制覇し、歴史の断絶からどこの国でもローカルなプロレスすらも「WWEごっこ」になり、国によってはプロレスそのものがWWEと呼ばれる(例えば「日本のプロレス」を見て「日本版WWE」と呼ぶ)ような状況がありました。全てがWWEになってしまうのかな、なんて2010年代までは思っていたのですが、WWEごっこではない独自のプロレスが各国で復興し、再び各国固有のプロレスの歴史に接続したら面白い。
そんな時、WWE式ではない日本とメキシコのプロレスを教える立場として、昔の知人たちが世界各地を伝道師かのように旅しているのを知ると感嘆します。
個人的に2025年に気になったプロレスラーは、WWEが登場させた新キャラクター、El Grande Americano。
メキシコ湾改めアメリカ湾からやって来た謎のマスクマン。
この色々と微妙な時代に、AIで作ったチープな存在しない歴史、偽史をキャラクター化したプロレスラーは興味深い。
エル・グランデ・アメリカーノ=大アメリカ人とは米国に呑み込まれたメキシコ人なのか、それともメキシコに呑み込まれた米国人なのか。
私はプロレスを伝統芸能化していない生きた民俗芸能だと思って観ているのですが、このキャラクターは民衆のどのような想像力に寄り添ったものなのかストーリー展開が気になります。
今回、紹介するのは、藪耕太郎の『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか 大正十年「サンテル事件」を読み解く』(2025年)。

1921年に来日し柔道家たちに異種格闘技戦を挑んだ米国人プロレスラーのアド・サンテル(Ad Santel)を軸に近代柔道とプロレスの関係を記した本ですが、読みながら、何だか懐かしい気持ちになりました。
私の若い頃も異種格闘技戦ブームの時代だったので、うさんくさい山師な興行主やドサ回り、各国の民俗的な武術道場への体験入門とか、色んなことあったな、と。日本人の特権として、どこの国でも日本人は戦闘民族として一目置いてくれるので、するっと中に入れてしまう。
著者の藪耕太郎は1979年生まれの立命館大学出身ということは、76年生まれの棚橋弘至とは同世代か。
2025年現在、日本最大のプロレス団体である新日本プロレス社長の棚橋弘至は立命館大学、スターダム社長の岡田太郎は同志社大学のプロレス同好会出身。棚橋弘至がプロレスラーになる頃は学生プロレス出身者はプロレスの世界では嫌われるしいじめられるなんて言われていたけれど、男子と女子の日本最大手がどちらも学生プロレス出身者が社長になるのだから時代は変わりました。
そんな本の中からサンテルと講道館の対決に至る主筋からではなく、コラムとして挿入された「職業レスリングからプロレスリングへ」より。
近代スポーツの歴史を辿ると、アマチュアが誕生してからプロが登場する、というパターンが多い。ただし中には例外もある。そのひとつが近代レスリングだ。その発祥には不明な点も多いが、大別すると、一方にはフランスのサーカスを発祥とする、投技主体の大陸ヨーロッパ型レスリングがあり、これは後のグレコローマン・レスリングへと繋がる。他方、イギリスのランカシャー地方を中心に発展し、多彩な関節技と攻防の自由度の高さから、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(手あたり次第)」(以下、「CACC」)と呼ばれるスタイルもあった。グレコローマンと並んで現在ではオリンピック種目となっているフリースタイル・レスリングは、CACCを祖としつつ、アメリカでスポーツライクに発展したカレッジ・レスリングに由来するものだ。近代スポーツとしてのレスリングは二つの流派があり、現在のオリンピックでもグレコローマンとフリースタイルに分かれて競技されていますが、この二つは同じ競技から分かれたのではなく、グレコローマンは(ヨーロッパ)大陸式で、フリースタイルは英米式と出自が異なります。なので、流派というよりは相撲と柔道のように異なる格闘技だと考えた方がよいのかもしれません。
どっちが相撲で柔道か? となると、グレコローマンが相撲でフリースタイルが柔道と見ると分かりやすい。
レスリングがサーカス発祥だと聞くと不思議に思う人もいるかもしれません。Greco-Romanとギリシア・ローマ式レスリングを名乗りますが、古代のレスリングとの連続性は無く、街の腕自慢たちの祭りにかこつけた半ば喧嘩騒ぎの格闘に、フランス人で元兵士のサーカス興行主ジャン・エクスブライヤが1848年に共通ルールを作ったのが始まりで、この共通ルールが出来たことで格闘技興行が国境を越えて打てるようになったのです。そこにいかにも伝統があるかのように見せるためにグレコローマンを名乗るようになったとされています。
英米式のフリースタイルも始まりは似ていて、英国での腕自慢たちの祭りの日の「手あたり次第(Catch As Catch Can)」の力比べが洗練化され、米国でスポーツ化して現代のレスリングにつながるとされます。
"近代スポーツの歴史を辿ると、アマチュアが誕生してからプロが登場する、というパターンが多い"のに対し、近代スポーツの概念が確立する以前から存在するプリミティヴなスポーツ…例えば、日本人に分かりやすく言えば、まずお祭りでの賞金付きの草相撲があって、それが全国共通ルールで大相撲となる。そして相撲が仮にスモウ・レスリングとしてオリンピック競技になれば…とイメージすれば、近代スポーツとしてのアマチュアレスリングと興行としてのプロレス成立までの過程が分かりやすくなるのではないでしょうか。
開拓時代の西部では、殴る・蹴る・絞める・捻るに加えて、目潰しから耳削ぎ、頭突き、噛み付き、その他あらゆる攻撃が許容される喧嘩や決闘の習慣があったという。やがて各地に小規模な町が形成されると、各町を代表する「親方」と呼ばれる屈強な喧嘩自慢が登場し、町同士の代表が闘って互いの力を誇示していた。同時にこうした闘いは観客を動員してのお祭り興行としての一面もあり、やがて喧嘩自慢たちは見世物一座に加わって巡業するようになる。これが格闘技興行のどこの国にもあった原風景。
娯楽に乏しい開拓時代のアメリカ大陸では、武器を使わず素手で行なう喧嘩が最大の娯楽の一つであり、こうした祭りの日に開催される草相撲ならぬ草喧嘩が徐々に興行化し、喧嘩自慢は見世物一座のサーカス団の巡業稼業に加わる一方で、町に残った"親方"は裏稼業にも通じた町の顔役の一人として興行のプロモーターとなって、後に言う「テリトリー」の初期段階を形成していきます(「テリトリー」は日本語に訳すなら「シマ」とか「ショバ」の概念が近い)。
興行として成立させるためにはレスラーが毎試合ごと怪我をするのでは商売にならない。徐々にルールは整備されていきます。
その後、南北戦争以降の三〇年間で、初期に見られた粗暴な闘争は様変わりしていく。町々を巡業するカーニヴァルは都市を拠点とする定期的なイベントに変わり、また観客層も骨が折れ血が迸る粗暴な戦いを好む荒くれ者の自営業者から、仕事の疲れをいやす程度の刺激を求める賃金労働者へと代わった。関節の取り合いやフォールの奪い合いなど、細かな技術の応酬を旨とするCACCの人気の高まりは、こうした社会変化に呼応している。スピーディでテクニカルなCACCは凄まじい勢いで資本主義社会が形成される〈金メッキ時代〉のアメリカと合致していたのだ。南北戦争は1861年から65年にかけて戦われますが、戦後の米国は急激な経済発展を遂げます。
1870年代から90年代にかけての米国はマーク・トゥエインの本のタイトルからGilded Age(金メッキ時代、もしくは金ぴか時代)として知られます。
経済発展によって米国社会は急激に変化し、粗暴な荒くれ者の時代は終わり、単なる喧嘩自慢ではない、英国から舶来した上品でテクニカルな格闘術としてCACCが導入されてキャッチ・レスリングとなり、興行としても洗練されて現代プロレスにつながっていきます。
その一方で、CACCは体育にも取り入れられ、学生がやっても健全なカレッジ・スポーツとしてのアマチュア・レスリングへと分岐していったのですね。
この点でアマレスの形成期は、日本における柔術から柔道への変化と時代をほぼ同じくしており、『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか』というタイトルになるわけです。
アメリカの職業レスリングを見舞った最初の危機は一九〇〇年代前半に起きた。八百長試合の発覚である。このとき職業レスリングには非洗練的あるいは反都会的という刻印が捺され、金メッキ時代を過ぎ、20世紀に入る頃には、現代プロレス成立まであと一息。
~(中略)~
職業レスリングの試合は少なからずスポーツを装ったフェイクである、という認識が広く共有されるようになる。二〇世紀に至ってなお、前時代的なサーカス芸が横行していたこともそれに拍車をかけた。とはいえ、中にはリアルファイトも混じっているとも思われていたし、なにより試合の結末が決まっていようがいまいが、職業レスラーがCACCの専門家である以上、その実力に疑いはなかった。
経済発展した米国にヨーロッパのレスラーたちが次々と海を渡って集まり、1905年にはThe World Heavyweight Championship(統一世界ヘビー級王座)が制定されて世界一を決める試合と称して興行が打たれるようになりました。初代の王者はジョージ・ハッケンシュミット。エストニアからやって来たレスラーです。
この世界王者ハッケンシュミットのライバルがアメリカ王者のフランク・ゴッチ。1908年4月3日に行なわれた両者の戦いは多くの観衆を集めた注目の一戦でしたが、(広義の)プロレス史に残る疑惑の一戦となり、それまでの数々の八百長疑惑の総決算となって米国の職業レスリング興行は失速。「フェイク」の概念が広く認識されるようになったのです。
ただ、興行にはフェイクも含め「虚実入り乱れるものだ」という共通認識が行き渡ったことで、1910年代から20年代にかけ、
この頃、現在私たちが知るプロレスが誕生する芽があった。1914年から18年にかけて戦われた第一次世界大戦はヨーロッパを疲弊させる一方、無傷のアメリカ大陸は繁栄を謳歌します。多くの移民がアメリカ大陸に流れ込み、世界各地から腕自慢の格闘家たちもやって来ます。その中には日本の柔道家たちも。
~(中略)~
実力よりも見た目の分かりやすさが重視されるようになり、ルックスに秀でた美形のレスラーが登場するようになっていく。その傍らでは、まるで一九世紀の見世物小屋が復権するかのように、いわゆる〈怪奇派〉レスラーも登場した。シナリオが本格的に導入されるのもこの時期だ。ある職業レスラーは、当時の様子を次のように振り返る。「レベルの高い試合をすると、退屈で飽きられ、観客に嫌われてしまう。だから、ほとんどの試合はフェイクをやり切るしかない。フェイクが観客にバレてもなお、フェイクの試合を受けたよ。(中略)全く厳しいゲームだ。どう転んでもどうせ間違いなんだから」。レスラーありきの試合から観客ありきの興行へと、職業レスリングは舵を切ったのだ。
この結果、レスラーに様々な独自のキャラクターを割り振って対決させる現代プロレスが誕生するわけです。
異なる出自とキャラクターを持つレスラーを対決させつつ、観客を盛り上げて試合を成立させるためには、当然ながら、レスラーたちには「お約束」の共通認識が必要となります。
一九三〇年代になると、プロレスの約束事を理解することは観戦上の作法にすらなる。やや長い引用だが当時の記事を提出しよう。として1932年の『Collier`s Weekly』誌に掲載されたビル・カニンガムの「The Bigger They Are」という記事を引用しています。
……原文を探したのだけど前半部分しか見つけられなかったので私自身で確認してはいないのですが。また文中に加えられた訳注はカットして二次引用します。
おそらく最も驚くべき点、それはファンたちがこれらの物語を幾度となく見て知っているにもかかわらず、なお同じようにショーに集まるということだ。〈良きプロレスの街〉でプロレスの観客を観るのは勉強になる。彼らはパフォーマンスのルーティンを完璧に理解しているように見え、彼らの行動は初心者にも帰り支度を始めるタイミングを正確に教えてくれる。1930年代に形勢逆転のフライング・タックルを必殺技としていたのはガス・ソネンバーグ。
このドラマはほぼ三幕構成で上演される。第一幕では、最終的な勝者が攻撃的な姿勢を示し、清潔かつ紳士的な方法で優位に立つ。彼は粗暴な対戦相手の卑怯な手口をものともせず、速さと技術、そしてスポーツマンシップで観客の支持を獲得する。
第二幕では、粗暴な対戦相手が徐々に攻勢を強めていく。主人公は反撃を仕掛け、戦いはほぼ互角ながらも、対戦相手の汚い戦術が徐々に奏功し始める。第三幕では、最終的な勝者が対戦相手の残虐で不当な戦法により不利に追い込まれていく。彼はリングから叩き出されたり、残酷にも後頭部にパンチを貰ったり、膝蹴りを食らったり、痛々しくも股を裂かれたり、あるいはそれ以上に散々な目に遭う。
人として許容できる限界にまで達し、観客が粗暴な対戦相手に野次を飛ばし、疲労困憊する被害者には同情の声を上げる中、被害者は突如として凄まじい〈フライング・タックル〉でマットから飛び掛かり、一〇ガロンのアイスクリームよりも冷徹に対戦相手を打ちのめす。
重要なのは、お気に入りのレスラーが完全に力尽きたようにみえるや否や、大都市の観衆は帽子やコートに手を伸ばし始めることだ。それがショーの終わりを告げる合図だと彼らは経験的に知っているのだろう。しかし、彼らは来週また戻ってくるのだ。それもほとんどが友人を連れて。
なぜか?
なぜなら、それが何であろうと、あるいは何かでなかろうと、それは見るに値する刺激だからだ。
NFLのプロフットボーラーからプロレスに転向したアメフト仕込みのタックルがソネンバーグの売りで、格闘技をバックグランドとしてしていないキャラクターありきのプロレスです。
百年近く前に書かれたこの"三幕構成"のプロレスの試合展開フォーマットは今も基本的には変わっていませんよね。これはプロレスだけでなく、例えば、アクション映画の戦闘シーンでも基本は同じですから「観客の求めているもの」がこれなのでしょう。
プロレスについて話せば必ず「プロレスって八百長だろ」と冷笑してみせる人が現われます。でも、そもそもプロレスには、プロレスが誕生したその瞬間から八百長という概念は存在しません。それも昨日今日の話ではありません。"プロレスの約束事を理解することは観戦上の作法"としつつ、"それは見るに値する刺激だからだ"と、プロレスというエンタメをショーとして楽しんできた百年の歴史があるのです。
その上で、帰り支度と伸ばした手を思わずマニアでも止めるようなプロレスを創り出そうと、プロレスラーたちは命を懸けてもいるのです。
ただ、「お約束」とか「お作法」が必要なエンタメはハイコンテクスト。マニアだけじゃない大衆的人気を得て維持するには絶妙なバランスが欠かせないのが難しい。
今の日本の大衆が、ハイコンテクストなエンタメを理解できるかどうかは疑問なんだよな。
2025年も年末となり、様々なジャンルで今年を振り返る記事やランキングが出ていますね。
日本の洋楽誌ではスペイン出身のROSALÍAが高く評価され、『MUSIC MAGAZINE』では彼女のアルバム『LUX』がポップ部門1位、『rockin'on』では全体6位。
活字メディアもオールドメディアだとかいう不思議な言葉に含まれて雑誌を読む人も少なくなったようですが、自分の視野に入ってこないジャンルについて知るきっかけになると思うんですよね。インターネットは結局のところ自分が知っていることしか知らせてくれない。

『MUSIC MAGAZINE』のラテン部門1位はメキシコ出身のSilvana Estradaの『vendrán suaves lluvias』でしたが、もし、私が今年、スペイン語圏の音楽としてアルバムを一枚、ラテン音楽を聴かない日本人に紹介するとすれば、Mon Laferteのアルバム『FEMME FATALE』かな。
『MUSIC MAGAZINE』に寄稿するような人たちと私の趣味は合わないけれど、だからこその知識の拡張が得られる。
モン・ラフェルテは出身国のチリでは最も米国グラミー賞に近いチリ人歌手として知られますが、活動拠点はメキシコ。
リンクしてあるのは、Mon LaferteとNathy Pelusoの『La Tirana』。
このMVを懐かしく感じるのは、私がメキシコの場末を面白がって飲んだくれていた若い頃を思い出したわけじゃなく、昭和のムード歌謡ムンムンなところ。
アルバム『FEMME FATALE』全体としてもラテンアメリカ人だけでなく日本人にも懐かしさを感じられるはず、と昭和生まれだけど昭和の夜は知らない世代の私が紹介します。
日本の昭和歌謡がメキシコ音楽の影響下にあったのは明らかですが、ラテン音楽を聴く日本人の間では逆転してモン・ラフェルテの楽曲を「ラテン演歌」なんて表現する人もいます。彼女自身も知っているのか『Antes De Ti』と演歌を意識した曲を発表していますし、『Paisaje Japonés(日本の風景)』と名付けた曲も私が幼い頃に流れていた歌謡曲っぽい。
そんな彼女の楽曲がグラミーを獲ったらチリ人やメキシコ人だけでなく日本人にとっても面白いとおもいませんか。是非、これまで知らなかった人がいれば過去の曲も含めて聴いてみてください。
そういえば、ROSALÍAには逆に日本の場末感を旅する『TUYA』があったな。












