「欧米には日本や韓国のようなアイドルはいない」なんてことを言う人がいますが、いったいどこの世界に住んでいるのだろう?
例えば今現在だと、NETFLIXで2025年12月10日から配信されたオーディション番組『The Next Act』からデビューしたボーイバンドの〈December 10〉。
プロデュースするサイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、2010年代を代表する英国の国民的アイドルだったボーイバンド〈One Direction〉などの成功で現在の英国を代表するプロデューサーとして知られています。日本では『Britain's/America's Got Talent』などの審査員役として目にする機会があるのかな。
〈One Direction〉の略称は「1D」。その後継チーム「D10」として彼らのアジアでのプロモーションを見ると、日本の男性アイドル含む東アジア各国のボーイバンドが東アジアでのプロモーションをする時と同じ番組に出てるのが興味深い。今は英国でボーイバンドを結成しても東アジアのアイドル文化の影響は避けられないのだな。
2025年にNETFLIXで配信されたオーディション番組発のボーイバンドには『Building the Band』からデビューした〈Midnight Til Morning〉もいますが、彼らも日本に来てわざわざメンズ地下アイドル的なプロモーションをしているし。
ついでに書いておくと、コーウェルを知らない日本人に説明する時には、音楽プロデューサーというよりはテレビ寄りの人物という意味で「イギリスの秋元康」なんて敢えて雑に単純化してみますが、秋元康も新たに男性アイドルをプロデュースし結成したばかりですね。奇しくもコーウェルのボーイバンドと同じ10の名前が共通し、Leminoで配信されるオーディション番組から作られた〈Cloud ten〉。
今回紹介するのは、かげはら史帆の『ピアニストは「ファンサ」の原点か』(2025年)から。

フランツ・リスト(Franz Liszt)を中心に、19世紀、当時のピアニストたちが現代の私たちの「クラシック」イメージとは異なり、現代のロックスターやアイドルに相当したとイメージの再構築を図るような本でした。
とはいえ欧米では、リストを言葉が成立する以前のロックスターやアイドルだった、と描いてみせるのは昔から珍しい話ではありません。
ただ、今回扱うのは本筋のピアニストたちの話ではなく、「ファン」という言葉についての話。
第Ⅰ章「スターとファンと公衆――彼らはいつ現れたのか」より。
「推し」のファンは「信者」として「布教」し「巡礼」する。お金を遣うのは「お布施」であり、無駄なCDやグッズを買い集めるのは「(徳を)積む」。
「推し活」に宗教用語が使われるのを「大袈裟な」と思う人も少なくないでしょうが、「ファン」という言葉自体がそもそも「ファナティック(狂信者)」に由来するわけです。
こうした現在の「推し活」を描いた小説で、今現在大ヒットしているのが朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』(2025年)。

離婚し独り暮らしのレコード会社の中年サラリーマンがアイドルのプロデュースに関わるところから始まり、父の仕事を知らずにそのアイドルにハマり信者となって布教に勤しむ大学生の娘。匿名のまま互いに相手が何をしているかを知らずに影響しあう父娘を軸に、陰謀論が蔓延する現在の社会で虚構と現実の境界が融けていく物語。
同時代小説として描かれているので、小説に出て来るエピソードのモデルとなった元ネタは何が現実にあったのか分かる人には分かるようになっています。
例えば、父娘が関わるアイドルのモデルになっているのは〈INI〉だな、とか。小説にする以上は全く同じにはできませんが分かるように。
アイドルに興味が無い人でも…と言うよりかえってアイドルビジネスを通して、ここ数年、現実の日本で何があったのか小説の形で追体験する意味で読んでみてはいかがでしょうか、とお薦めしておきます。
そして、もし、読んでいて元ネタが分からないと言うのならば、あなた自身の社会へのアンテナの感度は錆びつき鈍くなっています。陰謀論に捕り込まれないか警戒しておいた方が良さそうです。
とはいえ、『イン・ザ・メガチャーチ』の中では、暴走する登場人物たちに視野を狭くすることの心地よさを繰り返し語らせていますが、その方が楽なんでしょうね。陰謀論や詐欺にハマる人は現実逃避を望んでいて物語に騙されたいのでしょうから。
「ファン」という言葉の話に戻ります。
その後、ベースボールは、1861年に勃発した南北戦争での北軍の軍隊生活を通して北部全域へと拡散し、1865年の北軍勝利の終戦後には南部と黒人層にも広まり、米国を代表するスポーツへと発展しました。
現在のメジャーリーグ・ベースボール(MLB)を構成するNational Leagueの成立は1876年(前身のNational Association of Base Ball Playersは1871年)。
南北戦争からの戦後復興期と「金ぴか時代(Gilded Age)」と称される経済成長期に米国各地に次々と球団とプロ選手が生まれています。
少し前にプロレスの歴史について書いたことがありますが、この時代に現在につながるプロスポーツの興行とその観客が確立したのです。
「野球ファン(base ball fan)」という言葉の初期の登場事例として、1885年のカンザスシティの地方新聞『The Kansas City Star.』の
……『ピアニストは「ファンサ」の原点か』には"カンザス・シティ・タイムズ"とありますが、地元であるカンザスシティ公共図書館のレファレンスには『Kansas City Times』ではなくライバル紙の『The Kansas City Star.』となっていますのでそちらに準じます。
この初期の登場事例を由来に、カンザスシティでは「野球ファン発祥の地」として町おこしにも使っているようですが、当時の「ファン」という言葉にはネガティヴな響きがあったのです。
誹謗中傷に罵詈雑言、審判に文句をつけ、選手には自分の方が野球が上手いかのように説教し、諫める他の観客には敵意を向け、それでいてチームの経営を支えているのは自分たちであるかのように振る舞う、現在の日本語で言えば「厄介〇〇」とか「害悪〇〇」などと呼ばれる層が「ファン」と呼ばれていたのです。この"「厄介オタク」"層自体は百年以上経ってもやってることは変わりませんよね。
では、「ファン」という言葉が現われる前の時代の野球で使われていた現在のファンに相当する単語は何かと言えば、「rooter(支持者)」で複数形は「rooters(応援団)」。厄介でファナティックな野球ファンは「cranks(変人たち)」「fiends(悪鬼たち)」「bugs(虫たち)」などと呼ばれていました。
彼はその出自から、口語交じりの文章でロンドンの生活を描写しましたが、その一つが当時はまだ非合法だった賞金付きの賭けボクシングを称揚するために1812年から27年にかけて連載出版した『Boxiana』シリーズ。イーガンは「近代スポーツ・ジャーナリズムの父」と呼ばれることもあります。
ここで当時のスラングとして多用されているのが「ファンシー」という言葉。"読者の多くは上記の用語が「ピンと来ない」かもしれない"のは、当時の英国では階級ごとに使う言葉が現在よりはるかに違っていたからで、本を読める上流中流の階級に向けての説明が必要だったからなのでしょう。そして実際、『ボクシアーナ』は当時の英国社交界の男性たち必携の本としてベストセラーとなり、「ファンシー」は階級を超えて使われる言葉となったのです。
「ファン」という言葉の話からは少し離れてしまうのですが、ここで少し「肉体」についての話もしておきたくなりました。
平芳裕子の『何がダサいを決めるのか』第5章「スーツの力はどこから来るのか《歴史と階級》」より。

そんな19世紀の総決算として生まれるのが1896年に始まる近代オリンピック。
……現在、SNSなどを眺めていると、肉体忌避の感情を持つ人が少なくないことが気になります。近代への反発がポストモダンではなくプレモダンへの退化へとつながりそうで。
また、フランス革命戦争(1792~1802年)と続くナポレオン戦争(1803~15年)は、それまでの戦争の情景を変えていました。フランス革命は王侯貴族の戦争から国民による戦争へと主役を代え、国民軍を率いたナポレオンがヨーロッパを席捲した結果、ナポレオンと戦う各国も「国民」の戦闘能力を高める必要に駆られます。
それまでの英国では、ボクシングの試合は非合法で、見つかれば決闘や暴行傷害といった単なる粗暴犯の扱いではなく、王侯貴族のコントロールしていない暴力の行使として、ボクサーだけでなくファンシーも含め暴動や治安紊乱の罪に問われることもありました。
しかし、ナポレオン率いるフランス「国民」軍との戦いが続く中でボクシングは英国「国民」の尚武の気風を高めるものとして許容されていったのです。
ナポレオンとの最終決戦となるワーテルローの戦いがあったのは1815年6月ですから、イーガンが『ボクシアーナ』を発表し始めた時点ではまだ戦争は続いています。

移民で労働者階級出身のイーガンにとって、ボクシングとは人種や民族や階級といった虚飾を剥いだ裸の肉体で殴り合う崇高な競技であり、それまで規制する側だった王侯貴族に対しては国民統合の象徴として売り込んだ、というわけです。
ただ当然ながら、出自も雑多な裸の男たちが殴り合う光景を、野蛮で下品なキワモノ趣味の見世物だと嫌う人たちも少なくありません。
『ピアニストは「ファンサ」の原点か』に戻ります。
ただ、
ただ、現在の「ファン」という言葉の直接の発祥は、英国ボクシングのファンシーではなく、米国ベースボールのファナティックにある、というのが定説。
日本では、1910年代までには大学野球のファンに「ファン」という言葉が使われ、大正時代には野球専門誌『Baseball Magazine FAN』が発行されており、その後、「活動(映画)ファン」などジャンルを超えて使われるようになったようで、"第一次世界大戦後"というよりは前後頃に「ファン」のメディアでの使用例が確認されます。
「ファン」の日本における初出として記録に残っているわけではありませんが、1905年に早稲田大学野球部が米国遠征をして最新の米国野球事情を持ち帰っており、翌06年の早稲田と慶応の早慶戦では一勝一敗で迎えた三連戦三戦目で熱狂した観衆の暴動を恐れて試合中止になる事件がありましたからこの辺りに輸入されたのではないでしょうか。
中野慧の『文化系のための野球入門』(2025年)の第4章「エンジョイ・ベースボールから「魂の野球」へ」より。

現在の日本における野球イメージとは異なり、明治時代に日本に持ち込まれ「野球」と翻訳されたベースボールは都会の大学生(しかも当時の大学生はほとんどが上流階級出身のエリート候補生)が楽しむお洒落な舶来のスポーツでした。その一方に、日本の伝統武術を近代化した柔道や剣道といった武道があり、こちらが現在の言葉で言うところの「体育会系」のスポーツとしてメインカルチャーで、ベースボールは「文化系」大学生のサブカルチャー。
日本に輸入された「ファン」とその概念は大学野球を経て、映画など文化系大学生のサブカル趣味を通して広がっていったのですね。
……で、何故、私がこのように「ファン」という言葉についての歴史的経緯を紹介してみようと思ったのかと言うと、X(twitter)を眺めていて気になっているのが、ファナティックな旧ジャニーズのファンらしき人たちやネトウヨたちが「ファンダムなんて言葉を使うのは韓国人かK-POPファンしかいない」みたいな言葉狩りをし、陰謀論に耽溺しているのをよく見かけるから。
「ファンダム(fandom)」という言葉がメディアに記録された最古の用例は1903年1月2日の米国オハイオ州シンシナティの地方紙『The Cincinnati Enquirer』だと言います。
「今の日本のアイドルはみんなK-POPの真似をしている」なんてのもそうだけど、どうして何もかもが韓国から来たものだと思い込む人がいるのだろう? 舶来のものを何でも「韓(転じて唐)〇〇」と呼んだ日本の古代人の狭い世界観でもあるまいし、なんて思うのですが、現在の少なくない日本人にとっても韓国だけが世界への窓口なのかもしれませんね。
『ピアニストは「ファンサ」の原点か』に戻り、第Ⅲ章「リスト・ファンとは誰だったのか」より。
私が「ファンダム」という言葉を子どもの頃に初めて認識したのもSFファンのファンダムでだな。『STAR WARS』や『STAR TREK』の。小学生の時に家族ぐるみの付き合いのあった友人の父親が『スタートレック』のファン「トレッカー(Trekker)」で、興味を持たない息子の代わりに私が話を聞いていたのだった。
また、最近、日本のメディアでは「ZINE」なんて言葉がまるで新しい概念であるかのように報じられたりもしますが、ファンがやり取りする同人誌が「ファンジン」で、私が「ZINE」という言葉を認識したのもやはりSF。1957年から発行されていた日本のSFファンジン『宇宙塵』は有名でした。
そして、現在の男性オタクにも女性やマイノリティを排除するような風潮があり、オタク史から女性の存在を消したがる傾向もありますが、これも昔からです。
……そういえば、1990年前後頃、オタクを「オタッキー」なんて呼ぶこともあったように記憶しているけれど、これってトレッカーの蔑称気味の別称である「トレッキー(Trekkie)」から来ているのかな? だとすると「オタク」という言葉が成立する以前からオタクだったSFの素養のある人たちによる悪しき厄介なオタクを「オタッキー」として切り離そうとする試みだったのかとも思えてきました。
ファンダムやファンジンは、決して新しい言葉でもK-POPに限った用語でもありませんし、女性によるオタク史も長い伝統を持っています。

「ファン」という言葉が成立する以前の女性主体の近代ファンダムの起源を研究者たちはここに見出すのですね。
ジェイン・オースティンのファンを意味する「ジェイナイト(Janeite)」という言葉もまた当初は低俗な女性小説とその低俗なファンというネガティブな使い方をされていました。しかし、ファンたちが現在の「オタク」と同じようにコスプレして朗読劇をしてみたり、お茶会したり、聖地巡礼したり、グッズを収集したり自作したりと、低俗視する世間を無視して楽しむうちに時間がネガティブな響きを消していき、二百年以上続くファンダムが形成されたのです。
19世紀の英国から生まれた創作されたキャラクターものとしては、長年続く世界的ファンダムとそのファンネーム「シャーロキアン (Sherlockian) 」も有名ですよね。アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)が1887年から発表を開始した探偵小説の主人公シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)のファンたちです。
もちろん現在で言う「三次元」のミュージシャンら芸能人のファンの存在も。この『ピアニストは「ファンサ」の原点か』の主題であるフランツ・リストとそのファンダム「リストマニア(Lisztomania)」も19世紀の話です。
「ファン」でも「オタク」でもいいですが、自分たちだけが特別で特殊な存在だとは思わないほうがいい。
歴史を知ることで俯瞰する視点を確保しつつ、エンタメはエンタメとして、フィクションはフィクションとして楽しめば良い、と私は考えています。
リンクしてあるのは、BTS (防弾少年団) の『2.0』。
日本で「ファンダム」という言葉を新しいものかのように知った人たちにとっての知るきっかけは〈BTS〉の世界的大成功からなんじゃないでしょうか。
この『2.0』は世界的大成功の後に休止状態にあった〈BTS〉が復帰し、彼らの不在の間に「BTSみたいに」後に続いて「飛び越えろ」と世界各地で始まったボーイバンドの結成ブームに「Stop, ride」とアンサーソング。
そういえば〈December 10〉ファンダムと〈BTS〉ファンダムの喧嘩もさっそくありましたね。『イン・ザ・メガチャーチ』の中ではファンダムの喧嘩もプロモーションの一つとして描かれていました。
ただ、〈BTS〉を追い越せと言っても、〈BTS〉の成功に再現性は無いと私は思う。あれは個人の才覚ではどうにもならない時代の巡りあわせのようなものがあったと思うから。でも、「スター」ってのはそういうものですよね。
例えば今現在だと、NETFLIXで2025年12月10日から配信されたオーディション番組『The Next Act』からデビューしたボーイバンドの〈December 10〉。
プロデュースするサイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、2010年代を代表する英国の国民的アイドルだったボーイバンド〈One Direction〉などの成功で現在の英国を代表するプロデューサーとして知られています。日本では『Britain's/America's Got Talent』などの審査員役として目にする機会があるのかな。
〈One Direction〉の略称は「1D」。その後継チーム「D10」として彼らのアジアでのプロモーションを見ると、日本の男性アイドル含む東アジア各国のボーイバンドが東アジアでのプロモーションをする時と同じ番組に出てるのが興味深い。今は英国でボーイバンドを結成しても東アジアのアイドル文化の影響は避けられないのだな。
2025年にNETFLIXで配信されたオーディション番組発のボーイバンドには『Building the Band』からデビューした〈Midnight Til Morning〉もいますが、彼らも日本に来てわざわざメンズ地下アイドル的なプロモーションをしているし。
ついでに書いておくと、コーウェルを知らない日本人に説明する時には、音楽プロデューサーというよりはテレビ寄りの人物という意味で「イギリスの秋元康」なんて敢えて雑に単純化してみますが、秋元康も新たに男性アイドルをプロデュースし結成したばかりですね。奇しくもコーウェルのボーイバンドと同じ10の名前が共通し、Leminoで配信されるオーディション番組から作られた〈Cloud ten〉。
今回紹介するのは、かげはら史帆の『ピアニストは「ファンサ」の原点か』(2025年)から。

フランツ・リスト(Franz Liszt)を中心に、19世紀、当時のピアニストたちが現代の私たちの「クラシック」イメージとは異なり、現代のロックスターやアイドルに相当したとイメージの再構築を図るような本でした。
とはいえ欧米では、リストを言葉が成立する以前のロックスターやアイドルだった、と描いてみせるのは昔から珍しい話ではありません。
ただ、今回扱うのは本筋のピアニストたちの話ではなく、「ファン」という言葉についての話。
第Ⅰ章「スターとファンと公衆――彼らはいつ現れたのか」より。
"ファン(fan)"という言葉は、熱狂を意味する「ファナティック(fanatic)」という英語に由来するという説が一般的です。「fanatic」の語源はラテン語の「神殿に仕える人(fanaticus)」であり、この言葉はさらに元をたどると「神殿、聖域(fanum)」という語までさかのぼります。「推し活」という言葉がメディアに何の説明も無しに使われるほどに世に広まっています。
興味深いことに、「fanaticus」には、古くから「(宗教の)熱狂的な信奉者」という意味が含まれていました。今日の推し活がしばしば宗教活動にたとえられ、「信者」(熱心なファン)、「布教」(推しの魅力を広めること)、「聖地巡礼」(推しのゆかりの地を巡ること)などの宗教的なメタファーで呼ばれる理由の源泉をここに見出すこともできるでしょう。「fanaticus」の英語化である「fanatic」は、時代が下るにつれてだんだんと宗教的な意味合いを失い、十七世紀の半ば頃には単に「熱狂する人」を指す言葉になりました。
「推し」のファンは「信者」として「布教」し「巡礼」する。お金を遣うのは「お布施」であり、無駄なCDやグッズを買い集めるのは「(徳を)積む」。
「推し活」に宗教用語が使われるのを「大袈裟な」と思う人も少なくないでしょうが、「ファン」という言葉自体がそもそも「ファナティック(狂信者)」に由来するわけです。
こうした現在の「推し活」を描いた小説で、今現在大ヒットしているのが朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』(2025年)。

離婚し独り暮らしのレコード会社の中年サラリーマンがアイドルのプロデュースに関わるところから始まり、父の仕事を知らずにそのアイドルにハマり信者となって布教に勤しむ大学生の娘。匿名のまま互いに相手が何をしているかを知らずに影響しあう父娘を軸に、陰謀論が蔓延する現在の社会で虚構と現実の境界が融けていく物語。
同時代小説として描かれているので、小説に出て来るエピソードのモデルとなった元ネタは何が現実にあったのか分かる人には分かるようになっています。
例えば、父娘が関わるアイドルのモデルになっているのは〈INI〉だな、とか。小説にする以上は全く同じにはできませんが分かるように。
アイドルに興味が無い人でも…と言うよりかえってアイドルビジネスを通して、ここ数年、現実の日本で何があったのか小説の形で追体験する意味で読んでみてはいかがでしょうか、とお薦めしておきます。
そして、もし、読んでいて元ネタが分からないと言うのならば、あなた自身の社会へのアンテナの感度は錆びつき鈍くなっています。陰謀論に捕り込まれないか警戒しておいた方が良さそうです。
とはいえ、『イン・ザ・メガチャーチ』の中では、暴走する登場人物たちに視野を狭くすることの心地よさを繰り返し語らせていますが、その方が楽なんでしょうね。陰謀論や詐欺にハマる人は現実逃避を望んでいて物語に騙されたいのでしょうから。
「ファン」という言葉の話に戻ります。
さて、この「ファナティック」が、いつ"ファン"という略語に転じたのか。これには諸説があり、ファン研究の専門家の間でも結論は出ていないようですが、一八八五年六月四日の朝刊紙『カンザス・シティ・タイムズ』には、ファンという語の初期の登場事例がみられます。現在の野球につながるBase Ballが英国のRoundersと呼ばれるスポーツを元に形成されたのは1840年代。野球史上、最初の公式戦とされるのは1846年6月17日に行なわれたNew York Knickerbockers対New York Nineの一戦とされています。
試合に「野球ファン(base ball fan)」なる連中が多数押し寄せているのは、まことに嘆かわしい事態である。選手たちは軽蔑を込めて彼らをそのように呼んでいる。彼らは選手や審判、そして彼らの罵詈雑言を諫めようとする観客に対してまったく遠慮を知らない。「ファン(fans)」は、自らを審判よりも優れた試合の判定人であると信じ込み、あらゆる選手に対して守備位置での心得を説こうとする。そして、あたかも自らの賛同こそが球団の成功を左右するかのように振るまうのだ。
ここでの着目ポイントは二つあります。一つ目に、カッコでくくられていることからもわかるとおり、当時はまだ"ファン"という言葉が一般の新聞読者には広まっておらず、選手や関係者の間での隠語にとどまっていたこと。二つ目に、この語が、したり顔で野球の自説を述べたり、選手や監督に説教を始めたり、果ては自分たちこそが球団を支えているという根拠のないプライドを持った、熱心だが面倒くさい客を揶揄するネガティブな意味合いで使われていたことです。
当時すでに「厄介オタク」に相当する人びとがいたことにビックリしますが、
~(中略)~
十九世紀半ば以降、野球はアメリカにおいて国民的スポーツとして認知される存在になっていました。一八六〇年代の南北戦争の前後、野球はアメリカのナショナリズムを発揚するスポーツとして急激に浸透し、まずは白人男性によって、次いで軍隊生活を介して黒人男性にも広まっていったのです。
その後、ベースボールは、1861年に勃発した南北戦争での北軍の軍隊生活を通して北部全域へと拡散し、1865年の北軍勝利の終戦後には南部と黒人層にも広まり、米国を代表するスポーツへと発展しました。
現在のメジャーリーグ・ベースボール(MLB)を構成するNational Leagueの成立は1876年(前身のNational Association of Base Ball Playersは1871年)。
南北戦争からの戦後復興期と「金ぴか時代(Gilded Age)」と称される経済成長期に米国各地に次々と球団とプロ選手が生まれています。
少し前にプロレスの歴史について書いたことがありますが、この時代に現在につながるプロスポーツの興行とその観客が確立したのです。
「野球ファン(base ball fan)」という言葉の初期の登場事例として、1885年のカンザスシティの地方新聞『The Kansas City Star.』の
It is unfortunate, however, that there are so many ‘base ball fans’ as the players contemptuously term them, at the games, and that they are unrestrained in their abuse of players, umpires, and those of the audience who venture to remonstrate with them. These ‘fans’ consider themselves better judges of play than any umpire, would teach all the players how to play their positions, and feel that upon their approbation alone depends on the success of the club.という記述が引用されています。
……『ピアニストは「ファンサ」の原点か』には"カンザス・シティ・タイムズ"とありますが、地元であるカンザスシティ公共図書館のレファレンスには『Kansas City Times』ではなくライバル紙の『The Kansas City Star.』となっていますのでそちらに準じます。
この初期の登場事例を由来に、カンザスシティでは「野球ファン発祥の地」として町おこしにも使っているようですが、当時の「ファン」という言葉にはネガティヴな響きがあったのです。
誹謗中傷に罵詈雑言、審判に文句をつけ、選手には自分の方が野球が上手いかのように説教し、諫める他の観客には敵意を向け、それでいてチームの経営を支えているのは自分たちであるかのように振る舞う、現在の日本語で言えば「厄介〇〇」とか「害悪〇〇」などと呼ばれる層が「ファン」と呼ばれていたのです。この"「厄介オタク」"層自体は百年以上経ってもやってることは変わりませんよね。
では、「ファン」という言葉が現われる前の時代の野球で使われていた現在のファンに相当する単語は何かと言えば、「rooter(支持者)」で複数形は「rooters(応援団)」。厄介でファナティックな野球ファンは「cranks(変人たち)」「fiends(悪鬼たち)」「bugs(虫たち)」などと呼ばれていました。
しかし、"ファン"という言葉の起源には、もうひとつ別の説があります。それが"ファンシー"説です。ピアス・イーガン(Pierce Egan)は1772年にアイルランド移民の子として生まれ印刷工場の植字工として働くところから文章を発表するようになった人物。
「ファンシー(fancy)」という言葉は、「ファンタジー(fantasy)」にルーツを持ち、十七世紀頃には「空想」「創造」「装飾的」という意味で使われていました。日本では「ファンシーグッズ」など、少女趣味的な可愛らしいものを意味する語として知られていますが、実は十九世紀初頭のイギリスでも、この語の独自のスラングが発展しました。
ピアス・イーガンというイギリスのスポーツ・ジャーナリストが一八一三年に著したボクシング論『ボクシアーナ』には、"ファンシー"という言葉が何度も登場します。彼は自らこんな註を添えています。
読者の多くは上記の用語が「ピンと来ない」かもしれないので、説明しておく必要があるだろう。これは特定の娯楽、または何らかの事物に密接に関わっている人を指す。幸いにもこのフレーズを、疑いの余地なく説明するリアルな用例がある――ある老婦人が愛猫にキスをしながらこう言った「私のファンシー!」
彼はその出自から、口語交じりの文章でロンドンの生活を描写しましたが、その一つが当時はまだ非合法だった賞金付きの賭けボクシングを称揚するために1812年から27年にかけて連載出版した『Boxiana』シリーズ。イーガンは「近代スポーツ・ジャーナリズムの父」と呼ばれることもあります。
ここで当時のスラングとして多用されているのが「ファンシー」という言葉。"読者の多くは上記の用語が「ピンと来ない」かもしれない"のは、当時の英国では階級ごとに使う言葉が現在よりはるかに違っていたからで、本を読める上流中流の階級に向けての説明が必要だったからなのでしょう。そして実際、『ボクシアーナ』は当時の英国社交界の男性たち必携の本としてベストセラーとなり、「ファンシー」は階級を超えて使われる言葉となったのです。
ただし、この語が、現代の"ファン"の直系のルーツである可能性は低く、一八八〇年代の野球起源説に分があります。これがアメリカ英語の「ファン」とイギリス英語の「ファン」の起源の違いであり、現代の「ファン」はアメリカ英語由来というのが定説となります。
しかし本書では、あえて"ファンシー"説にも注目します。なぜか? まず、一八三〇-四〇年代のピアニスト・ブームと時代が近いこと。そしてボクシングが、男性の肉体(を鑑賞すること)にフォーカスしたスポーツであり、男性ピアニストの妙技の鑑賞と遠からぬ共通点があるからです。
「ファン」という言葉の話からは少し離れてしまうのですが、ここで少し「肉体」についての話もしておきたくなりました。
平芳裕子の『何がダサいを決めるのか』第5章「スーツの力はどこから来るのか《歴史と階級》」より。

新しい社会を担う人々は、旧来の貴族とは異なる考え方をもっていました。貴族社会においては、身分は生まれながらにして決定しているのです。貴族の子は貴族、農民の子は農民です。だからこそ、貴族は特権を享受したのであり、その特権的な身分を、外見を通じて人々に誇示する必要がありました。一方で、新しい市民社会においては、生まれは貧しくとも、勉強をして、懸命に働いて、財産を成して、自分自身の能力と努力によって成功をつかみ、社会的な地位を得ることが可能です。人間は平等であり、個人の自由な活躍が期待される社会です。そのためには、体を資本として、健康を気遣い、自身の精神を鍛えていかなければなりません。貴族のように豪華な服飾を身につけて外見を取り繕うのではなく、内面から自然とあふれ出る力を表現することに価値を置きました。近代の始まりを告げる号砲となるフランス革命が1789年に始まり、王侯貴族に代わって市民が社会を主導する時代に変わると、19世紀が始まる頃には飾り立てた貴族社会の美意識から市民社会の美意識へと変化し、虚飾を剥いだ人間の肉体そのものが評価される時代になったのです。
そんな19世紀の総決算として生まれるのが1896年に始まる近代オリンピック。
……現在、SNSなどを眺めていると、肉体忌避の感情を持つ人が少なくないことが気になります。近代への反発がポストモダンではなくプレモダンへの退化へとつながりそうで。
また、フランス革命戦争(1792~1802年)と続くナポレオン戦争(1803~15年)は、それまでの戦争の情景を変えていました。フランス革命は王侯貴族の戦争から国民による戦争へと主役を代え、国民軍を率いたナポレオンがヨーロッパを席捲した結果、ナポレオンと戦う各国も「国民」の戦闘能力を高める必要に駆られます。
それまでの英国では、ボクシングの試合は非合法で、見つかれば決闘や暴行傷害といった単なる粗暴犯の扱いではなく、王侯貴族のコントロールしていない暴力の行使として、ボクサーだけでなくファンシーも含め暴動や治安紊乱の罪に問われることもありました。
しかし、ナポレオン率いるフランス「国民」軍との戦いが続く中でボクシングは英国「国民」の尚武の気風を高めるものとして許容されていったのです。
ナポレオンとの最終決戦となるワーテルローの戦いがあったのは1815年6月ですから、イーガンが『ボクシアーナ』を発表し始めた時点ではまだ戦争は続いています。

移民で労働者階級出身のイーガンにとって、ボクシングとは人種や民族や階級といった虚飾を剥いだ裸の肉体で殴り合う崇高な競技であり、それまで規制する側だった王侯貴族に対しては国民統合の象徴として売り込んだ、というわけです。
ただ当然ながら、出自も雑多な裸の男たちが殴り合う光景を、野蛮で下品なキワモノ趣味の見世物だと嫌う人たちも少なくありません。
『ピアニストは「ファンサ」の原点か』に戻ります。
イーガンはこの問題に立ち向かうべく、自著のなかで、ボクシングの歴史を古代の英雄伝のごとく描き直すとともに、ボクシングを「男らしく」「勇敢なイギリス人にふさわしく」「うるさい人々の嘲笑や過激な批評家の偽善よりも長く生き残るスポーツである」と宣言します。"ファンシー"という言葉にも、「スポーツマンシップ」ならぬ「ファンシップ」の精神が内包されていました。ボクシングが気高いスポーツなら、そのファン(シー)も気高い存在なのだ、というわけです。これも以前、プロレスの話を書いた時に触れましたが、近代レスリングが生まれたのもこの時代なんですね。ナポレオン率いるフランス軍の兵士だった(とされる)サーカス興行主ジャン・エクスブライヤが近代レスリングの基となる共通ルールを作って興行を開始し、古代ギリシア・古代ローマを連想させるグレコローマンがレスリングに冠されるようになったのと同じように、イーガンもボクシングを出自の明らかでない胡散臭い殴り合いの見世物ではなく、古代ギリシア以来の伝統と格式があり、男らしく愛国的な気高いスポーツがボクシングであり、そのファンシーもまた気高い精神を持っていると再定義したのです。
ただ、
スポーツ史研究の池田恵子によれば、イーガンの著作にはしばしば若い"ファンシー"のふりをして書いたとおぼしき箇所が存在します。当時のボクシングは女性や若年の男性にはあまり人気がなかったため、これを憂慮したイーガンが、一般の若いファンシーを装ってボクシングの好感度を上げる啓蒙キャンペーンを行なっていたようです。……「〇〇ファンはおっさんばかり」という揶揄とそれを気にして「若いファンや女性ファンもいるぞ」と言い返す情景は「ファン」という言葉が成立する以前からあったのだと知ると面白いですよね。
ただ、現在の「ファン」という言葉の直接の発祥は、英国ボクシングのファンシーではなく、米国ベースボールのファナティックにある、というのが定説。
二十世紀に入った頃には、"ファン"という言葉はスポーツ以外の分野にも普及します。一九一五年には「映画ファン」という言葉がすでにありましたし、特定のアーティストを愛する少年を指す「ファンボーイ」や、ファンの集団を指す「ファンダム」という言葉も同時に生まれています。日本では一九二二年五月二十四日の新聞記事に「キネマ界では何しろ世界的名優だけに日本のファンもその風貌を待ち焦がれて居り」という一節が登場しています。第一次世界大戦後には、ファンという言葉と概念は輸入されていたようです。20世紀に入った1900年代には「ファン」という言葉は野球に限らない、現在のファンと同じ使われ方をするようになりつつありました。
日本では、1910年代までには大学野球のファンに「ファン」という言葉が使われ、大正時代には野球専門誌『Baseball Magazine FAN』が発行されており、その後、「活動(映画)ファン」などジャンルを超えて使われるようになったようで、"第一次世界大戦後"というよりは前後頃に「ファン」のメディアでの使用例が確認されます。
「ファン」の日本における初出として記録に残っているわけではありませんが、1905年に早稲田大学野球部が米国遠征をして最新の米国野球事情を持ち帰っており、翌06年の早稲田と慶応の早慶戦では一勝一敗で迎えた三連戦三戦目で熱狂した観衆の暴動を恐れて試合中止になる事件がありましたからこの辺りに輸入されたのではないでしょうか。
中野慧の『文化系のための野球入門』(2025年)の第4章「エンジョイ・ベースボールから「魂の野球」へ」より。

戦前日本で野球は「サブカルチャー」であったということだ。サブカルチャーというとアニメ、漫画、ポピュラー音楽などをイメージしがちだが、もともとは「下位文化」という意味である。社会には主流文化(メインカルチャー)があり、その下位として位置づけられるものがサブカルチャーだ。ここで言う"戦前"とは第二次世界大戦での敗戦へとつながっていく昭和の戦時体制以前の戦前です。
戦前の身体文化においてメインカルチャーは日本古来の武術(相撲、剣術、柔術、弓術など)であり、欧米からもたらされた野球などのスポーツはあくまでもサブカルチャーだった。
~(中略)~
重要なのは、初期の日本野球の主な担い手は大学生だったということだ。昔も今も、モラトリアムを享受できる大学生が若者文化(ユースカルチャー)の発信源
現在の日本における野球イメージとは異なり、明治時代に日本に持ち込まれ「野球」と翻訳されたベースボールは都会の大学生(しかも当時の大学生はほとんどが上流階級出身のエリート候補生)が楽しむお洒落な舶来のスポーツでした。その一方に、日本の伝統武術を近代化した柔道や剣道といった武道があり、こちらが現在の言葉で言うところの「体育会系」のスポーツとしてメインカルチャーで、ベースボールは「文化系」大学生のサブカルチャー。
日本に輸入された「ファン」とその概念は大学野球を経て、映画など文化系大学生のサブカル趣味を通して広がっていったのですね。
……で、何故、私がこのように「ファン」という言葉についての歴史的経緯を紹介してみようと思ったのかと言うと、X(twitter)を眺めていて気になっているのが、ファナティックな旧ジャニーズのファンらしき人たちやネトウヨたちが「ファンダムなんて言葉を使うのは韓国人かK-POPファンしかいない」みたいな言葉狩りをし、陰謀論に耽溺しているのをよく見かけるから。
「ファンダム(fandom)」という言葉がメディアに記録された最古の用例は1903年1月2日の米国オハイオ州シンシナティの地方紙『The Cincinnati Enquirer』だと言います。
「今の日本のアイドルはみんなK-POPの真似をしている」なんてのもそうだけど、どうして何もかもが韓国から来たものだと思い込む人がいるのだろう? 舶来のものを何でも「韓(転じて唐)〇〇」と呼んだ日本の古代人の狭い世界観でもあるまいし、なんて思うのですが、現在の少なくない日本人にとっても韓国だけが世界への窓口なのかもしれませんね。
『ピアニストは「ファンサ」の原点か』に戻り、第Ⅲ章「リスト・ファンとは誰だったのか」より。
ファンダム研究の第一人者であるヘンリー・ジェンキンズが、一九九〇年代にファンダムに関する考察を始めたきっかけは、いとこや知人の女性らがSFやファンフィクションのファンダムに参加していたことでした。当時のコミュニケーション研究やメディア研究の世界では、ファンやオーディエンスはメディアの影響下にある受動的な存在だという考えが一般的でした。しかし彼は、同人誌を郵便で送り合って楽しむファンたちを見て、彼らのカルチャーはむしろきわめて能動的な「参加型文化」であると気づきます。
ジェンキンズは、ファンダムの歴史的なルーツを、十九世紀中盤のアメリカにおけるおもちゃの活版印刷機を活用した同人誌制作や、十九世紀後半のシャーロック・ホームズのファン組織などに見出しています。こうした過去のファンダムからは、これまで見過ごされてきた女性やマイノリティたちのコミュニティが数多く発見されています。たとえば、女性を排除する風潮が強かった二十世紀後半のSF界隈では、女性たちが『スター・トレック』の独自のファンコミュニティを作る事例もありました。

私が「ファンダム」という言葉を子どもの頃に初めて認識したのもSFファンのファンダムでだな。『STAR WARS』や『STAR TREK』の。小学生の時に家族ぐるみの付き合いのあった友人の父親が『スタートレック』のファン「トレッカー(Trekker)」で、興味を持たない息子の代わりに私が話を聞いていたのだった。
また、最近、日本のメディアでは「ZINE」なんて言葉がまるで新しい概念であるかのように報じられたりもしますが、ファンがやり取りする同人誌が「ファンジン」で、私が「ZINE」という言葉を認識したのもやはりSF。1957年から発行されていた日本のSFファンジン『宇宙塵』は有名でした。
そして、現在の男性オタクにも女性やマイノリティを排除するような風潮があり、オタク史から女性の存在を消したがる傾向もありますが、これも昔からです。
……そういえば、1990年前後頃、オタクを「オタッキー」なんて呼ぶこともあったように記憶しているけれど、これってトレッカーの蔑称気味の別称である「トレッキー(Trekkie)」から来ているのかな? だとすると「オタク」という言葉が成立する以前からオタクだったSFの素養のある人たちによる悪しき厄介なオタクを「オタッキー」として切り離そうとする試みだったのかとも思えてきました。
ファンダムやファンジンは、決して新しい言葉でもK-POPに限った用語でもありませんし、女性によるオタク史も長い伝統を持っています。
イギリスの女性作家ジェイン・オースティンのファンコミュニティは、しばしば、歴史上の女性主体のファンダムの事例として取り上げられます。オースティンは、ナポレオン戦争末期の一八一〇年代に匿名で小説を発表し、特に『高慢と偏見』は中流階級以上の女性を中心に一大ブームになりました。作品は十九世紀の間にわたって読みつがれ、時代ごとに熱心なファンを生み出し、「ジェイナイト」というファンネーム(?)でも呼ばれました。オースティン・ファンダムの研究所の著者であるサラ・グロソンは、ジェイナイトが十九世紀半ばまでにはすでにファンダムを形成していたことを指摘しています。その活動内容は朗読、演劇、お茶会、聖地巡礼、同時代の服飾品や小物の収集など多岐にわたりました(ただしジェイナイトには男性も多く含まれていました)。英国で、ボクシングの男性ファン「ファンシー」が生まれた時代に、女性たちにはジェイン・オースティン(Jane Austen)がいました。匿名の覆面作家として1813年に発表した小説『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』は熱狂的なファンを生み出し、1817年に彼女が早逝した後も作品は現在に至るまで読み継がれています。

「ファン」という言葉が成立する以前の女性主体の近代ファンダムの起源を研究者たちはここに見出すのですね。
ジェイン・オースティンのファンを意味する「ジェイナイト(Janeite)」という言葉もまた当初は低俗な女性小説とその低俗なファンというネガティブな使い方をされていました。しかし、ファンたちが現在の「オタク」と同じようにコスプレして朗読劇をしてみたり、お茶会したり、聖地巡礼したり、グッズを収集したり自作したりと、低俗視する世間を無視して楽しむうちに時間がネガティブな響きを消していき、二百年以上続くファンダムが形成されたのです。
19世紀の英国から生まれた創作されたキャラクターものとしては、長年続く世界的ファンダムとそのファンネーム「シャーロキアン (Sherlockian) 」も有名ですよね。アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)が1887年から発表を開始した探偵小説の主人公シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)のファンたちです。
もちろん現在で言う「三次元」のミュージシャンら芸能人のファンの存在も。この『ピアニストは「ファンサ」の原点か』の主題であるフランツ・リストとそのファンダム「リストマニア(Lisztomania)」も19世紀の話です。
「ファン」でも「オタク」でもいいですが、自分たちだけが特別で特殊な存在だとは思わないほうがいい。
歴史を知ることで俯瞰する視点を確保しつつ、エンタメはエンタメとして、フィクションはフィクションとして楽しめば良い、と私は考えています。
リンクしてあるのは、BTS (防弾少年団) の『2.0』。
日本で「ファンダム」という言葉を新しいものかのように知った人たちにとっての知るきっかけは〈BTS〉の世界的大成功からなんじゃないでしょうか。
この『2.0』は世界的大成功の後に休止状態にあった〈BTS〉が復帰し、彼らの不在の間に「BTSみたいに」後に続いて「飛び越えろ」と世界各地で始まったボーイバンドの結成ブームに「Stop, ride」とアンサーソング。
そういえば〈December 10〉ファンダムと〈BTS〉ファンダムの喧嘩もさっそくありましたね。『イン・ザ・メガチャーチ』の中ではファンダムの喧嘩もプロモーションの一つとして描かれていました。
ただ、〈BTS〉を追い越せと言っても、〈BTS〉の成功に再現性は無いと私は思う。あれは個人の才覚ではどうにもならない時代の巡りあわせのようなものがあったと思うから。でも、「スター」ってのはそういうものですよね。












