先日、子ども達のピアノの発表会があった。

今回は娘は出演適わず、息子のみの参加。

最高学年高校2年生、2教室合同の舞台でも男子はまだあどけない少年2人と息子だけ。

勉強に部活に課外活動と、あまりに忙しすぎて迎えた当日、発表会の曲目アラベスクはどう贔屓目にみても未完成。

それでも舞台に上がる勇気にまずは拍手。

そして、14年間ピアノを続けてきた根気にも拍手。

ドュビッシーには申し訳ないが、もはやアラベスクを聞いていただくことよりも、

超絶忙しい高校二年生男子がずっとピアノを習い続けて学校帰りに発表会の舞台に上がる、

というそのこと自体に拍手が送られていたのだと感じた。

今年も、お雛様を出した。

私が生まれた時に父方の祖父母が買ってくれたもので毎年欠かさず出しているから、お雛様達にとって40回目の春になる。私には姉が居るので、私が生まれた時にはすでに7段の立派な段飾りがあったにもかかわらず、信心深い祖父が「絶対に次女にも次女の物を」、と譲らず買ってくれたと聞いている。そんな祖父母はもういない。

子ども達もすっかり大きくなって学業に忙しい学年末、”一緒に出す”というイベントもすっかり廃れたが、出ていれば「おっ!」と気に掛けてくれるので、風習は継承したか。

雛人形を並べる時、男雛と女雛、どちらが向かって右かを覚える方法を、かつて父が教えてくれた。
「三人官女に男雛が手を出したときに女雛が右手で制止できるように女雛の右が男雛」
それをまだお雛様を一緒に並べる年齢の娘に言う父も父だと思うが、毎年雛人形を出すたびに「女雛の右手が男雛を叩けるように」と思い出す私も私か。
自分で調べられるようになってから、並べ方は地方にもよるのだと知ったけれど、この話が秀逸過ぎて私はずっと向かって右が女雛だ。
そんなどうしようもないことも残した父も、もういない。

屏風も輝かなくなってしまったし、行灯の和紙は破けてしまったし、台座はだいぶシミが出てしまっているけれど、穏やかな雛人形の顔はずっと変わらない。お雛様を出しながら諸行無常を思うようになったのは、私の年のせいか、この忙しない社会情勢のせいか。穏やかな春の訪れを祈るばかりだ。

 

娘と、交換日記をしている。かれこれ8年、27冊目。
お手紙交換が大好きな小学校一年生だった娘が、毎日のようにお手紙をくれるので、スクラップブックに貼って私もお返事を書いていたのだが、それならば最初から交換ノートにすれば良いのでは?と始めたもの。

ほんのちょこっとだけ、あまりにも文章がはちゃめちゃなのと語彙が少ないのが、この交換日記で向上すれば良いなぁという邪な想いがあったことは墓場まで持っていきたい。

始めた当初の「母は絶対的存在」という状況から、今や「母の価値観も数ある考え方の一つ」と考えられるほどに娘が成長していることを、とても嬉しく思う。

価値観が多様化している今の世の中で、他人の価値観に振り回されず自分の価値観や期待を他人に押し付けず、自分の「幸せ」を追求できる人であってほしい、願わくば人を「幸せ」にでき、必要に応じて他人の助けてほしいことや自分の助けてほしいことを、素直に受け取れ、伝えられたら素敵だ。

我が子たちに直接何かをしてあげられること、というのはどんどんと少なくなっている今、私の人生の時間のかけどころのバランスは、少しでも安心して暮らせる社会を作ることに、シフトしていきたいと思うこの頃だ。

交換日記は、「もうやめよう」と言われるか、自立していって物理的にできなくなるか。その日まで、精一杯愛を伝えたい。