とても残念な話なのだが、この世から消えてほしいほどに嫌いな人がいる。
手柄横取り、面倒臭い仕事は押し付ける、ちょいちょい幸せ自慢、色々あったけれど、心を無にして何とかやり過ごしてきた。
でも、四十九日も済まないうちに父の死を茶化して弄ばれて、堪忍袋の緒が切れた。
本当は、本人に向かって切れればよかったのに、周りにたくさん人がいたからやり過ごしてしまった。
自分で言うのも何だが、まぁまぁ寛大な方だと思うし、人の失敗や失礼を水に流すのも得意だ。
なのになぜこんなにも嫌悪感が強いのか。
「嫌い」という感情を抱く自己正当化の原因は8つに分類できる、という本を読んだことがある。
手元の読書メモによると、
①相手が自分の期待に応えてくれない時
②相手が自分に危害を加える恐れがある時
➂嫉妬心
④軽蔑心
⑤相手からの軽蔑心を感じる
⑥相手が自分を嫌っている印象
⑦相手に対する絶対的無関心
⑧生理的観念的な拒絶反応
ということである。
冷静に分析してみると、消えてほしい相手に抱いている感情は④と⑧。
もはや、「その人だから嫌い」という感情になりつつあるのだ。
理由は、蓄積された迷惑行為ととどめの軽蔑に値するひとこと。
こうやって分析してみると、消えてほしいほど嫌いな人への嫌悪感にも説明がつく。
嫌悪感を抱く自分に呵責など覚えなくても良かろうか。