○○商店街、○○商店会などよく目にします
西成在住のガキの頃は、やっぱり玉出商店街と今はないけど公設市場は最高の遊び場だったし、同級生のお家が店舗をしてた千本南商店街など商店街の魅力は忘れられない
魚屋、米屋、酒屋、味噌屋、菓子屋、プラモデル屋、八百屋、肉屋、金物屋、果物屋、花屋
今で言うとスーパーってのは、これらが集まってる文字通り『スーパー』なお店な訳だ
ここに人との繋がりが生まれると商店さんの有り難みを感じる
高校生の頃に父上の用事で米屋の近くの魚屋に出向いた際に幼児期を知る米屋のおばちゃんにどんだけ弄られたか
また、店主さんがモノを見に行くので、扱う食材、商品のクオリティが違うし、顔見知りになれば多少の我儘も聴いてくれる
「いついつまでにトラフグ3匹、大きめのを用意できないか?3万くらいで」
田舎の従兄弟に頼まれて、父上が良く行って、言ってた
商店さんで電話注文は、粋ではない(時期とか確認はありかもだが)
対面注文でってのが、当たり前であり、顔見知りだからこそ、あぁどこどこの何々さんみたいな
あそこはいいけど、あそこのおっさん(店主)は横柄やからな、とか個人的な好みが出来るのもコミュニケーションを取る基礎が学べるとも言える
会話があるのよ
生物上、唯一言語を操る生き物が人間
コミュ障って何?と思う
確かに昔から、人と話すのが苦手な子、表現が下手な子、焦ると吃音になる子なんて、普通に居た
なんでも病気にしたがってないかぃ?
自分は違うって、何かしらで表現せんと、自己も保てないのかな…とも思う
会話が面倒だと思う世代も居ると思うが、もし!自分以外が全て機械になったら、人間は独り言が多くなると思うよ
話したい生き物で寂しがり屋だから
ネットもいいね、便利だし
でもインスタやメールでは感情は繋がらない
だから、スタンプってあるんでしょ?
専門学生時代に同級生が同級生から貰ったメールの一文
「○○やしね」関西弁では当たり前の「○○だからね」と言う意なんだが、地方出の受取人は『なんで死○とか付けるかな」とマジで思ったらしい
文章に抑揚はなく、読み手が勝手に付けてしまうもので、誤解が生じることは多い
「そんなつもりじゃなかった」と
まぁこういうご時世なんで、なんともですが、最寄りに商店街があるなら散策してみては?
遠くのなんちゃらより、近くの商店街の方が、意外と楽しいこと多いかもよ?