火葬場への車列から見えたもの | 崖男のブログ 胃がんステージ4診断からの記録と今日までの家族の想い

崖男のブログ 胃がんステージ4診断からの記録と今日までの家族の想い

糖尿病、高血圧の持病と共に数十年
唐突にやってきた
「胃がん 遠隔転移、腹膜播種ステージⅣ」
おしゃべりが好き、料理が好き、人が好きな
昭和18年生まれの父
その名も崖男(がけお)
癌サバイバルは2024年2月
終わりを告げました

 

パソコンとスマホの両刀使いで

ブログを書いていたのですが

7年前のパソコン、とうとう壊れてしまいました

😭😭

 

崖男、亡き後のお話です


 葬儀の準備


参列者の方々や、家族の負担も考え、

家族、親族のみの、

一日葬で執り行うことは、生前より

決めていました。

が、

遺影を探す作業

あれもこれもと出てくる写真。

泣いたり、笑ったりしながら

とても時間がかかりました。


祭壇、火葬場を決め、日時を決定

お斎(おとき)、香典返しを決めていきました。

想像以上に体力のいる打ち合わせだと感じました。


 

    

こんにちは
唐突にやってきた「胃がん ステージⅣ」
昭和18年生まれの父
その名も崖男(がけお)の
闘病・逝去、今日までの記録です

OKチョキパー

 

 崖男母ムスメYムスメK

 ブログの登場人物笑い

 

 どうしてもお願いしたかったこと

 崖男は、すぐに退院出来ると思って

入院していきました。(と思っていました)

しかし、入院後は一度も外出することなく、

亡くなってしまったので

葬儀社の方へ、どうしてもお願いしたいことが

ありました。


崖男が何十年も通い続けた、

仕事場への道を、どうか通って火葬場に

運んで欲しい。

最後にあの道を通って欲しい。


このリクエストに、真摯に応えて頂けたことで、

見送った私たちの心残りが、少し軽くなりました。


車列は、家のすぐ近くを通り、

かつての仕事場に向かいます。

ムスメYは喪主を務めたので

先頭の霊柩車に乗っていました。


崖男の位牌を、あちこちに向けて

ほら、作業場、自宅のそばだよ。

あの牛丼屋さん、ファミレスだよ

川が見えるよ。と語りかけていました。


いよいよ、元仕事場が見えてきました。


道路沿いに、崖男が長い間、生業としていた

ものを並べて、仕事の仲間の方が

待っていてくれました。


霊柩車の助手席から、崖男のいる後部へ

「おとうさーーん!見える??わかる??

良かったねぇ。待っててくれたよー」

と、ほぼ号泣で叫んでました。


ちょうど、少々渋滞気味で、車列は

ゆっくり進みます。


この道を選んでもらって良かった。


最後に小さな親孝行が出来たような気持ちでした。 

 


 

 

 

 お骨になった崖男

 最後まで頑張り、闘い抜いた崖男の

遺骨を抱いて、ムスメKの夫が言いました。


お義父さんの、お骨はすごく

ずっしりしてる。びっくりしました。


背が小さく、身体も痩せ細った崖男でした。

抗がん剤を一年以上続けてきたので

お骨は弱っているのかと思っていたら

しっかり、ずっしりでした。

なんだか、ここでも崖男のど根性が、

垣間見える気がしました。


腎臓が頑張ってくれていたら、まだまだ

いけたんじゃないか。そんなことを

考えてしまう時が今でもあります



⭐️崖男 三種の神器⭐️

毎日 朝昼晩とお世話になっております

    

この他に体重、パルスオキシメーターで酸素飽和度までをセットで測っていますウインク

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