この記事は崖男の癌治療開始から15ヶ月
緊急入院から3週間
抗がん剤治療→高カリウム血症→腎障害
→透析治療開始→危篤状態→透析中止
の頃のお話です
崖男のご所望
こんにちは
唐突にやってきた「胃がん ステージⅣ」
昭和18年生まれの父
その名も崖男(がけお)の
闘病・今日までの記録です
ちゃんと待ってた崖男
毎日、いつ病院から電話がなるか。と
着信音の度に心がざわつきます
しかし、前日の晩
「また明日来るからね。待っててね」
「うん」
と約束してくれた崖男。
夜のうちに、電話は鳴ることなく
ちゃんと、今朝も目覚めてくれました。
午前中より、母。
午後になり、ムスメY。
夕方より就寝までムスメKが付き添いの日。
崖男本人は、出るような気がして
「おしっこ」と訴えるのですが、
数日前のように、沢山出ることはなくなって
きました。
お腹が張っているのでしょうか?
グルグルしてるのかな。
うんちがでるーと言うも、空振り。
この日は、崖男が危篤と言われてから
初めて、家族以外のお見舞いの
ない日でした。
お見舞いがなく、ゆっくり過ごせていた
午後だったので、ムスメKが持ち込んでくれた
ドライシャンプーを。
ホットタオルと、泡シャンプーで
少しはすっきりしたかな。
崖男が「起きたい」と言うので
どうしよう??と一瞬悩みました
「ちょっと待っててね。工夫してみるから
痛い!って聞こえたら、看護師さん達心配するから
ちょとだけ我慢してね」と、語りかけました。
やせ細ってしまった身体でしたが
私一人では重たく、持ち上げることは
とても出来ません。
少し考え、まずは、バスタオルを
背中から脇の下に通し、
体位交換の時に使っている
大きなスポンジ枕を頭の上にセット。
バスタオルを引っ張ると同時に
スポンジ枕を ぐぐぐっと背中の後ろに
差し込むと‥
出来た!出来た!
ベッドのリクライニングをあげてるだけより
少しだけ座っているような格好になりました
身体への負担を考えると長時間そのままに
しておくのは不安で、ほんの数十秒だった
かもしれません。
2ショット写真を撮ることが
出来ました。
少しだけ微笑んでくれているような顔。
「明日、もっと大きいバスタオルを
持ってきてもらうから。明日もやろうね」
小さく頷いてくれました
史先生の回診
いいお返事はもらえませんでした
もうすぐ、ムスメKと交代の時間です
鳴り響くアラーム
交代して30分。
酸素のアラームが鳴り、慌てたと
大きく目を開けて、水戸黄門を見ている
崖男の画像とともに
ムスメKからLINEがありました
(なんてシーンだ😅)
末梢神経の血行不良だったということで
少し胸をなで下ろしましたが
1時間後。
相変わらず酸素のセンサーが鳴ります
肺の高さも関係あるようで
体位を交換してくれたけれど
変らず。
口腔ケアとパッドの交換した
ばかりなので
少し様子を見ますと言われました
本人も呼吸は少し苦しいようです
痰吸引もしてくれたけれど改善されず
呼吸がちょっとやばいかも
今見てもらってます
とうとうなのか…
母にすぐに出られるように
準備をしてね。と伝えました。
この吸引、崖男は本当に苦手で
激しく抵抗します。
チューブを噛み切ってしまうのでは
ないかという程。
終わると疲れてしまうのでしょう
しかし、バイタルは復活してきました。
ムスメKが看護師さんに
今は安定しているということでしょうか?
と尋ねると、
「落ち着いているから大丈夫ですよ」とのこと
22時に病室を後にしました。
気管あたりに手をあて、少し苦しいと訴える崖男。
痰がらみの咳があるものの吸引が苦手で、
お願いしようか?の問いかけても首を振ります
とってもらうと、楽だと思うのに。
どんな夜を過ごすのかな
オマケの母エピ
新聞を愛してやまない母のユーモアある格言や
エピソードをご紹介。略してハハエピ