私は、ルーティンワークが好きだ。
犬の散歩、FBの写真日記的記録、このブログ…。
もちろん、画塾の講習もいい意味で私にとってのルーティンと言える。
日常的に起こる“些細な事件”のループに、退屈さと裏腹の心地よさを感じるのは、どうやらみんな同じなのかもしれない。
特に、日々刻々と危機感が変化するこんな時代には、何ごともなく変わらない日々をとても貴重に思う。
私は“晴れ舞台”が苦手だ。
日常とかけ離れた“非日常”感にリアリティを感じられないのかもしれない。
子供の時からお祭りはワクワクするが、その非日常的な雰囲気に入り込めず、どこか冷めた自分がいた。
“男気”を売りにしたような“祭り”で有名な地域に生まれなくて良かったと思っていたし、結婚式や葬式のような場に行くと今でも緊張してしまう。
どうやら、“非日常の空気”に馴染めない性分のようだ。
柳田国男の“ハレとケ”ほど哲学的でも深淵でもないが、ただ毎日同じことの繰り返しのつもりが、実は一周廻ったら一段上の階に行っていたと思うこともしばしば。 毎日同じ生活だからこそ、ちょっとした変化にも気付けるし。
単発の花火を打ち上げるのもたまには必要かもしれないが、基本的には日常的な“ルーティン”があってこそ最大の力が発揮できると信じている。
“一流”には“ルーティン”がよく似合う。
イチローの打席前ルーティン。
毎回寸分違わない動作で打席に入る。
ゴルフのショット前のルーティンも実に正確無比。
こういう日常の積み重ねが好きだなぁ。。。
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