疑問に思うこと・・キリスト教 | 毎日が撮影会

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撮影会に行くことは今後無いので趣旨と違ってきますが馴れ親しんだタイトルを継続します。
「旅行の話」「家庭菜園」「料理」「つぶやき」がメインに培った撮影技術を活かしていきたいです。

 

『イエス・キリストが無実の罪で磔の刑に処された時に、刑場であるゴルゴタの丘まで自らの十字架を背負って歩かさせられ、自分を貶めた全ての人の罪を償った』と言われています。

十字架は『磔になったキリストを表現した』ものですが、多くの教会にはその像が立てかけられています。

両手、両足にはくさびが打ち付けられていて痛々しいです。

教会はステンドグラスなどの装飾に見る価値あると思って積極的に行きましたが、イエス・キリストの像を見る度に痛々しい気持ちになりました。

 

信者の方々はどういう考えてとられているのか正直知りたいです。

 

旅行の前半は美術館に行くことも多く、磔になったイエス・キリストを描いた作品は多かったです。

 

旅の途中までは撮影しないようにしていましたが、疑問に思うようになってからいくつか撮影しておきました。

何か違う形に出来なかったのかなと思うのですが、皆さんの意見が知りたいです。

 

あと宗教絵画を多く見ましたが、芸術性にも優れているものが多く、目を引くものばかりでしたが、特にマリア像を描いたものが突出していました。

ほぼ赤ちゃんとのコラボ作品ばかりだったので、撮影したのはこれだけです。

たぶん自分はひねくれているのだと思うのですが、「赤ちゃんとコラボじゃないと駄目なのか?」と毎回思いました。

作品の完成度というか美しさには目を見張るものは充分にありました。