昔、コンサルティング会社にいたころの話。


重要なプロジェクトの報告会が無事終了したが、それまで徹夜続きで無理に無理を重ねて疲れ果て、またプロジェクトが終了したという安堵から、風邪を引いて寝込んでしまったことがあった。


数日休んで、出社した時に上司が目を細めながら言った言葉が忘れられない。


「おまえも風邪の引き時がわかってきたなあ。」


当時は、「そんなものか」という印象しか持たなかったが、今考えてみると大きな教訓を含んでいる言葉だったのだ。


プロジェクトが佳境に入っている時に、風邪を引くやつは迷惑だ。総スカンをくらう。今の自分の立場や全体的な仕事の流れ、その重要性を理解してれば、おちおち風邪など引いてられない。


大局的に、俯瞰的に状況を把握していると、どこで力を入れて、どこで緩めるかというメリハリが付けられるようになる。いつもいつも張り詰めていては、ストレスがたまってしかたがない。


そうかと思えば、どうしてもそこはミスったらダメでしょう、という最悪のタイミングでこける人もいる。


仕事をミスしてしまい、信頼を回復しなければならないという時に遅刻してしまう。


いつも仕事をミスしている部下に、名誉挽回するために特別にプレゼンの個人的な指導をしてあげて、いよいよ一番重要なプレゼンという日に風邪を引いて休んでしまう。


上司の想いや時間や労力をどぶに捨てるような風邪の引き方である。


そうかと思えば、どうでもいい仕事を張り切ってしまう。


例えば、同じ遅刻をするにしても、笑ってすませられる場合と終わってしまう場合がある。


そういう話をすると「不公平だ!」と反論する人もいるだろうが、それは大局観がないということの裏返しでもある。

シェイクスピアはかつて憂鬱な皮肉屋にこう語らせた。


「全世界は一つの舞台だ。そして全ての人間は男も女も役者にすぎない。」 



「喜劇」であれ、「悲劇」であれ、役者が真剣に演じなければ本人も観客も楽しめないだろうし、何の価値も生み出さないであろう。


研修という舞台の中で受講生の真剣な取り組みを見ていると、それだけで幸せな気分になってくる。講師という職業を選んで良かったなと感じる瞬間である。


一人の人間の成長にかかわれること、成長していく姿をすぐそばで見られること。受講生の華やかな人生という舞台の裏方として、それだけでも満足である。


講師という仕事は、一見華やかで注目度も高いのだが、自己顕示欲やカリスマ性だけでは決して務まらない。



「常に主役は受講生で、講師は脇役、もしくは裏方である。」



それを忘れてしまうと、道を踏み外してしまう。そういえば、講師を始めたころは研修終了時に受講生から拍手を受けることが最高にうれしかったが、最近はそんなことも気にしなくなった。私の関心が、自分自身から受講生へより強くシフトしたのだろう。


ある企業の教育担当者に言われたことがある。「研修に面白さなんか求めない。仕事ですから。最低に人気のない講師でも、受講生がきちっとスキルを身につければそれでいい。講師は手段ですから。」強烈な一言だった。

ドラッカー曰く、

「一流の教師は、教室内で生徒全員の反応を感知するレーダーを持っている。」


そう、このレーダーがないと、当意即妙な受け答えや臨機応変な研修運びは望むべくもない。


レーダーなしで、夜間飛行をしたり、雷雲の中を飛行するようなもので、そのうち墜落する。


しかし、このレーダーの感度や、そもそもレーダーが発達するかどうかは、講師のプレゼン・スキルに大きく依存するように思う。


つまり、完璧なプレゼンができ、受講生の理解を得られる講師は、反応レーダーを持っていなくても、なんら問題は起きない。


逆にプレゼンに自信がなく、受講生に伝わったかどうか気になる講師は、自然とレーダーの感度が良くなる。


自分のプレゼンや研修運びに自信が付いてきたら、要注意である。


レーダーの感度が鈍くなっていないか、謙虚にチェックする必要がある。


また、レーダーの感度に自信があるからといって、プレゼン・スキルを磨くことを怠ってはならない。