番外編:


知り合いの会社での社内研修での事例だが、あるとき社内講師をベテラン講師から新人講師に変更をしたそうだ。


その方が言うには、おせじにもいい研修とはいえないような講師ぶりだったそうだ。


肝心なところで、しどろもどろになる。するべきレクチャーを忘れる。順番が前後する。質疑応答もあまりうまく受け答えもできなかったらしい。


研修終了後のアンケート評価も新人講師は散々だったようだ。


しかし、研修終了後しばらくたってから職場での実施や役に立っているかどうかを追跡調査すると、ベテラン講師よりも新人講師のほうが高いポイントになったという。


ベテラン講師のプロセスは完璧に近かった。一方、新人講師のプロセスは乱れまくった。


どういうことなのだろうか。


まだ仮説に過ぎないが、プロセスを乱すことで、研修終了後に何か影響を及ぼすことができているのかもしれない。昨日紹介したテレビドラマの例と同じである。


もしかすると、ベテラン講師の流れるような研修運びが、逆にアダになっている可能性もある。


高いアンケート評価を取れる、すなわち完璧なプロセスを演出できる講師ほど、ヤバイかもしれないのだ。


この仮説に関しては、今後も慎重に研究していきたい。

カウンセリング編:


親しくしている心理学の先生からこんなことを聞いたことがある。


心理カウンセリングのセッションで過去に遡って記憶を追体験したりすることがある。


こで見事に過去の記憶の世界に入ってしまった人と何かが気になって深く入り込めなかった人を後から比較してみると、後者のほうが社会復帰が早いことが多く見られるという。


一回のカウンセリングの成果のみを見てみると前者は大成功で、後者は反省しないといけない結果なのかもしれない。だが、その後のクライアントの行動には正反対の結果が出ている。


なぜなのかをその先生に聞いてみた。


前者はコンテンツ(その先生はストーリー/記憶と説明されていたが・・)にどっぷりはまり込み、後者はプロセスを気にしてコンテンツにそんなに深く入れなかったと言える。


前者はコンテンツにはまり込みすぎたがゆえに、夢物語になってしまい現実生活と結びつけることが難しくなるそうだ。


一方、周りが気になって―すなわち自分の五感に集中してしまい―コンテンツ(過去の記憶)にはまり込めなかったが、現実とのつながり(プロセス/五感)はあったわけで、体験したことを現実生活に活かしやすくなるそうなのだ。

う~ん、なるほど。プロセスが乱れるとコンテンツに入り込めなくても、なんらかの効果があるといえそうだ。

そう考えると、テレビドラマの映像手法でも、わざと手ブレを起こして撮影したり、ちょっとフレームを斜めにしたり、画像を粗くしたり、少し巻き戻したりといったものが見受けられる。


特に海外ドラマでは顕著である。


そういう手法を使うと一瞬プロセスが乱れるわけで、見ているほうが「!?」と感じる。


それが、記憶に残りやすかったり、次回も見ようというきっかけになっているのかもしれない。


これは、研修講師やファシリテーターにとっては、穏やかならない事実だ。最高の研修をしたからといって、成果が出るとは限らないということを示唆している。


明日は、研修での事例を検証してみよう。

研修編:


コンテンツとは、カリキュラム項目であり、ひとつひとつの知識であり、スキルであり、レクチャーであり、トレーニングであり、ロールプレイであり、テキストであり、ワークシートであり、発表内容であり、最終的なアウトプット―確認テスト、行動計画書、実施報告書―である。


一方、プロセスとは研修のレッスンプランであり、スケジュールであり、進め方であり、時間であり、ステップであり、局面であり、場の雰囲気であり、会場(教室)そのものであり、声の大きさであり、意識であり、情熱である。


研修講師は、ファシリテーターとは違い、決められたコンテンツを決められたプロセスで進めていくことが求められる。


それゆえ、研修講師には、徹底的なリハーサルが求められる。


そして、その中でもこのコンテンツとプロセスのバランスを取れることがいい講師だと思う。


講義ノートをぼそぼそと講義する大学の先生は、コンテンツは素晴らしいかもしれないが、プロセスをないがしろにしている。


また、研修中にマイクの調子が悪かったり、雑音が入る、プロジェクタの調子が悪い、スライドの順番が合っていない、テキストに誤字脱字が多いといったことが発生するとプロセスが乱れるわけで、受講者の集中力が落ちる。


いずれの場合も成果は出にくい。