先週のブログ記事『現代のニセ錬金術師』(http://ameblo.jp/g-solution/entry-10457696097.html )の下にグーグルによる広告が掲載されている。


記事の内容にマッチした広告を自動的に表示しているものだ。


記事の内容のキーワードに対応して、「コーチングで成功するHP」、「マーケティングセミナー」、「ファシリテーション入門」と3つの広告が並んでいる。


しかし、記事の主旨はセミナー商売の構造を批判したものであるので、セミナーの広告が掲載されていると違和感がある。もしくは、よっぽどセミナーの内容に自信があり、ニセモノではないと言いたいのだろうか。


雑誌の広告でいうと、「危険なダイエット」という記事の横に「ダイエット食品」の広告があったり、「政治のカネとヤミ」という記事の横に「民主党」の広告があるようなものだ。


こういうところが、ITの間抜けなところである。


さらに、広告主もこういう状態なっていることを知らないことが問題だ。

ダイアログとワールドカフェのイベントに参加した。


多様な価値観が交錯して面白かった。


「企業の社会的責任が大切。利益は後からついてくる。」というファシリテーターに対して、


「利益を出すことが大前提。利益が出る前に倒産してしまっては責任どころか迷惑をかけてしまう。」


という意見が出てきたり、


「我々は、次の世代にどんな地球を残したいか?」という問いに対しては、


「地球を遺すというのはおこがましいのではないか、人類がいなくなっても地球は存在し続けるだろうし、地球にとっては人類がいないほうがいいかもしれない。」


という意見が出てきたりして、面白かった。


ファシリテーターは、「正解はない。どれも聞くに値する意見。」と言っていたが、私としては、収束し、解決策を出さなければならない場面になったらどう対応するのだろうか、見てみたかった。

たくさんのことを知っているから先生でいられるという時代は終わりつつある。また、情報を知っていることが、偉いという時代は終わりつつある。


講師の知識がいかに浅はかなものなのかは、受講生がググれば一発でわかってしまう。おそらく講師の持っているあらゆる知識もデータにしてしまえば、小さなUSBメモリに収まってしまうだろう。


だから中途半端な知識をひけらかすことにはまったく意味がない。


講師というものは、読んだり、聞いたりしたことをいかにも自分が経験したことのように話すことが得意な人が多いが、これも最近のインターネット検索事情やコンプライアンスの観点からもよくない。


出典を明言、明記して足元をすくわれないようにしたい。


ある講演で聞いた話がそのままその週のビジネス雑誌の特集記事だったこともあった。


いかにも苦労して研究して得た結論です、というような感じで話していたので、ずっこける。


一言、この雑誌の記事でも書かれていましたが、と言えばよかったのに。


またある時は、いかにも俺があみ出した秘法を教えてやるぞ、という雰囲気しゃべっていた講師のノウハウが、実はあるベストセラー書の受け売りだったこともある。


これからの講師は、知識を伝えるだけではなく、実践や成果に結びつくことを教えなければならないだろう。


たくさんの知識を持っていることは、単なる必要条件でしかなく、自慢するものでも尊敬を期待するものでもない。これからは実践や成果を出すからこそ尊敬されるという方向にシフトが起こってくるだろう。