今年も新入社員研修の季節がやってきた。


どの企業の教育担当者も口にするのが、「厳しく指導して欲しい」、「甘やかさないで欲しい」、「積極性を引き出して欲しい」という言葉だ。


ゆとり教育の影響か、私自身も3年ほど前から、新入社員の意識の変化を痛切に感じている。


我々が常識だ、当然だと思うことが、新人にとっては当然ではない。


「これくらいわかるだろう」と思わずにきちっと説明をすることが求められる。


例えば、研修中に積極的に手が上がらないことが増えているが、講師が「積極的に手を上げましょう」、「なぜ手を上げないのか?」と言っても反応しない。


なぜ積極的に手を上げなければならないかを説明しないと理解できない。しかし、素直ではあるので、理解できると行動ができるようになる。


私はこんなふうに説明している。


「新入社員研修中も皆さんには、給料が出ていますよね。ということは、研修中は業務であり、積極的に手を上げない、参加しないということは、仕事をサボっている、業務怠慢と見られても文句言えないですよね。」


ちなみに日本生産性本部による今年の新入社員のタイプは「ETC型」だそうだ。


「性急に関係を築こうとすると直前まで心の「バー」が開かないので、スピードの出し過ぎにご用心。


IT活用には長けているが、人との直接的な対話がなくなるのが心配。


理解していけば、スマートさなど良い点も段々見えてくるだろう。


“ゆとり”ある心を持って、上手に接したいもの。」(日本生産性本部)


なるほど、ちなみにオフに付き合うと関係構築しやすいなどの『休日割引』はあるのだろうか。

最近ファシリテーション研修について、続けざまに同じような意見を企業の研修担当の人から聞いた。


昨今は、企業の中でファシリテーション研修が流行っている。


担当者曰く、


「2日間のファシリテーション研修を実施したけど、全然身についていない。」


「ツールやスキルばかりを教えて、それが使えない。覚えきれない。」


「場をどうやって作っていくか、というようなことは教えてくれない。」


などなど。


私のこれまでの経験から言わせてもらうと、2日間の研修で『ファシリテーション』が身につくと考えること自体が間違っている。


「発散・収束のプロセス」や「プロセスのデザイン」、「ロジックツリー」や「マトリクス」などのツールをいくら教えても、それをどう使いこなすかは、実戦あるのみだ。


ある場面で有効なツールが、違う場面ではほんの些細な要素が違うだけで使えなくなったり、前回うまくいったことがメンバーの気分によってうまくいかなかったり、場数がモノを言う世界だ。


「場を作る」とか「空気を読む」、「議論の流れを変える一言」とった目に見えないことを伝えて、それを理解し、実践できるようになるには、センスと相当な場数が必要だ。


だから、2日間の研修で「ファシリテーション」が身につきます、と謳っている研修は、誇大広告であり、インストラクショナル・デザイン を知らないということを自ら認めているようなものだ。


2日間の研修でのゴールとして、デザインとして許容できるのは、せいぜい「ファシリテーションの基礎知識を知ること」、「ファシリテーションに必要な基本的ツールを知ること」、「簡単なファシリテーションを体験すること」、これぐらいだろう。


ファシリテーションを知り、体験する2日間には、意味がないと言っているのではない。


それはそれで、貴重な体験になるだろうし、弊社でも2日間のファシリテーション基礎研修は提供している。さらに、研修が終わった後に職場で実践しやすいデザインとツールを提供している。


本当に身に付けようと思うなら、2日間の研修の後に少なくとも3日以上は、講師の指導の下、ファシリテーションを経験することが必要だ。


講師のための自主トレという勉強会での対話が面白かった。


そもそもは、ファシリテーションやダイアログを通じた組織変革や自己変革について話し合ってきた場であるが、いろんなテーマに話が発散して、刺激された。


エニアグラムの起源や原始キリスト教の話。


江戸時代の隠れキリシタンの心情。


ゆとりやスペース、間、空、場といった目に見えないものがないがしろにされている現状。


太平洋戦争に関する生々しいストーリーに、現在企業の中で起こっている様々な問題を重ね合わせて捉えてみたり、チクセントミハイのフロー理論に、自律訓練法。


21世紀のヒーロー像、マヤ暦にまで及んだ対話を堪能した。


未来を正確にうかがい知ることはできないけれども、対話を通して、またそれぞれが日常で感じていることをを通して、おぼろげながら今後の組織のあり方や研修のあり方、個人の成長の方向性は見えてきている。


利益や効率などではなく、目に見えないものに価値を感じて、いかにそれを磨くのかということが大切になっていくだろう。