太宰治の中では、一番好きな作品かもしれない。


『苦悩』を売り物にしている太宰治にしては、ユーモア精神があふれている。


思いを新たにする覚悟で、真正面に富士山が見える御坂峠(山梨県富士河口湖町)にやってきた太宰治。その3ヶ月あまりの逗留生活の富士山日記である。


太宰治の富士山に対するやっかみともやつあたりとも取れる批判が面白い。


富士山の頂角が、「鈍角だ」とか、「のろくさと拡がっている」とか、「決して、秀抜の、すらと高い山ではない」とかさんざんに批判している。


「たとへば私が、印度かどこかの国から、突然、鷲にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。」


「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。」


太宰治が逗留したという天下茶屋は、まだ残っており、執筆をした部屋が見学できる。実際に御坂峠からの富士山を見に行ったことがあるが、そんなに悪くない。


それよりもその当時の太宰治のものの見方が痛いほど感じられた。


俗物に見られたくないという自意識やかっこよく見られたいという自意識、世間が礼賛するものへの反発。それに文学では尖がっていなければという相反する考えが、富士山の見方にも反映されたのだろうか。


小説では、富士山嫌いの太宰治が、天下茶屋の人々と触れ合いながら、また自身の小説に対する苦悩やお見合いに関しての顛末を絡めながら、ストーリーは進んでいき、だんだん富士山を好きになっていく。


最後には、「富士には、月見草がよく似合ふ。」という名言を残している。


興味深かったのが、お見合いの描写である。


お見合い中にはずっと下を向いていた太宰治だが、ふと背後の長押に飾ってある富士山の写真を見る際に首を捻じ曲げ、戻すときに、「娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。」とある。


今から考えると昭和13年当時のお見合いは、なんとウブだったんだろう。富士山の写真を見るというきっかけがないと娘さんを見ることすらできずに、さらに、ちらっと見ただけで決めるという。


ウブであり、大胆である。


江戸時代から明治・大正から昭和の初期に至るまで、早く老人になりたい、素敵な翁(おきな)になって人生を謳歌するのが風流だという「翁の文化」があったという。


当時は、儒教の影響もあって、年寄りを尊敬する、いたわる習慣も確固として存在していた。


ひるがえって、現在の日本では、どちらかというと「年を取りたくない」、「若返りたい」、「若者を理解しよう」、「若者を見習おう」といった傾向が強い。


しかし、中国人や韓国人の留学生と接していて、彼らには「年上を敬う」儒教の精神が色濃く残っていることを何度も感じたことがある。


若者に迎合することが果たしていいことなのだろうか。


新人研修を担当していてもジレンマに陥るのもこの点だ。


若者を理解して対応することとついつい説教をしたくなる自分との絶妙なバランスの上で、研修を進めていく。

先週で今シーズンの新人研修がすべて終了した。


さまざまな組織で、多くの新人の方と出会い、社会人の心構えから、マナー、コミュニケーション、ロジカル・シンキング、プレゼンテーションなど多くのプログラムを実施した。


今年の新人は、おしなべて優秀な人が多かった。


毎年、ある一定の割合でボーっとしていて、「この新人、大丈夫かな?」と心配するような人がクラスに一人や二人は存在しているものだが、今年はそういう人をまったく見かけなかった。


厳しかった就職戦線でそういう人たちは、淘汰されてしまったのだろうか。


プレゼンテーション研修で感じたことは、他者に対して率直に意見や感想を伝える力の欠如である。


プレゼンテーション研修では、フィードバックが命である。


一人ずつ全員の前でプレゼンをして、そのプレゼンがどうだったのかをフィードバックすることで、発表者は気付きを得ることができ、成長することができる。


それなのに、お互いに遠慮しあって、まともなフィードバックができないことが多かった。


ひとりひとり指名したり、グループで話し合わせると非常に鋭い意見が出てくるので、観察力がないわけではない。おそらく1対1でフィードバックすることで、悪く思われたくない、悪者になりたくないという心理があるのだろう。


率直に思ったことを伝えることに慣れていないのである。


だから、お互いに切磋琢磨するという雰囲気を醸成するのが難しかった。


同期同士で、言いたいことを言えない、当たり障りのないことしか言えないとしたら、こんなに不幸なことはない。


彼らは、この先様々な壁にぶつかったり、トラブルに見舞われたり、クレームに翻弄されたり、自らを見失うこともあるだろう。


そんなときに、率直にフィードバックしてくれる仲間がいなかったら、乗り越えられることも乗り越えられないのではないかと非常に心配である。