月1回の勉強会のテーマとして、論語を勉強することになった。


最近は、論語のブームでもあるという。21世紀の現代人も、昔の日本人と同様に紀元前の聖人から学ぶ。


シンプルな言葉から、珠玉の知恵が溢れ出ている。


学習に関する言葉がある。


「学びて思わざれば、すなわち暗し、


思いて学ばざれば、すなわち危うし」


(いくら学んでも、学んだことをさらに考えて深めなければ、本当に体得したこととはいえない。


また、頭だけで考えていても、実際に教わったり、本を読んだ入りしなければ、独断に陥り、道を踏み外し、危なっかしい。)

遠くに筑波山を望む、緑に囲まれた郊外の研修施設にて、ファシリテーション研修。


鮮やかな新緑が目にしみる。見ていて飽きない。


今日の研修は、15時前に終了するという変則スケジュール。研修が終わったのにまわりが明るいのは、なんか違和感がある。


所定の成果を出すことができた。


受講生と関係者の方に感謝したい。



情報や知識はネットで検索すれば、すぐに出てくる。


我々が小・中・高校、さらに大学教育と16年間で得た知識は、おそらく小さなUSBメモリに入ってしまうだろう。


だからこそ、本当に体験したこと、現場を知っていることがますます重要になってくる。


「ネットではああいうふうに書いていますが、実際にはこうでしたよ。」と言える事が貴重なのだ。


最近は、海外旅行に行く若者が減ってきているということだが、知り合いの二十歳になる息子さんは、「モロッコは、こういう国だ。文化はこうで、政治的はこうだ。」とネットで調べたことをとうとうと語って知ったような気分になっているという。


だが、実際にマラケッシュの空港に降り立ち、その空気、臭い、埃っぽさ、聞こえてくる音楽や言葉を体験してはいない。


体験とは、五感に圧倒的に迫ってくるものだ。


母親は、「そんなに言うなら、モロッコに行って体験して来い!」と言うのだが、彼は行く必要はないと考えているようだ。


いざという時、土壇場で力を発揮するのは、ネットでの検索能力や空虚な知識ではない。


実際に体験したかどうか、その体験を元に問題を解決できるかどうかだ。