セミナーや研修で語られる様々なノウハウやツール、体験談。


果たして普遍的にそれが通用するのか、きちんと検証しているだろうか。


再現性はあるのか、実験やテストをして、データを取っているだろうか。


体系化や理論化するべく、研究しているだろうか。


たまたまその人(会社)が置かれている環境で、たまたまそのタイミングで、たまたまその人の持っているスキルや個性がうまくかみ合って、うまくいっただけではないだろうか。


理論やデータがあり、事例があり、トレーニングの手法があり、ワークシートなどのツールがあって初めてメソッドと言えるのではないだろうか。

~中立的な立場に身を置く


問題を冷静な視点で解決していくためには、中立的な立場でファシリテーションを進めることが重要である。


問題やしがらみ、タブーなどを俯瞰し、それらに左右されることなくファシリテーションを進めることが、適切な解決策を導く第一歩だ。


それに、新たな場を創造するといういう意味において、これまでの人間関係やしがらみに捉われるとうまくいかない。


外部のファシリテーターは、その点を最初からクリアしている。

おうおうにして会議は、声の大きな人、口のうまい人、経験者が仕切ってしまうこともある。しかし、一番いいアイデアは、新入社員が持っているかもしれない。


また、会議の場を社内政治の場と勘違いしている人もいる。


だから、ファシリテーター自身が問題の当事者であったり、利害関係があったり、当事者と何らかの人間関係があると、うまくいかないのである。


ちなみに、私自身も自社の会議のファシリテーションはお世辞にもうまいとはいえない。すべてのテーマに思い入れがあり、とても冷静にはなれないし、時間通りにも終わらないからだ。


重要な社内会議は外部のファシリテーターをアサインするほうがいいと思う。


社内ファシリテーターを活用している企業もファシリテーターは利害のからまない違う部署から呼んでくるなど、工夫をしている。





~あくまで主役は参加者である。


自分自身が、中心になって仕切りたがったり、解説をしたがるファシリテーターも多くいるが、それは私から見るとあまり意味がない。


社内ファシリテーターならまだしも、プロフェッショナルとしては、クエッションマークが付く。


自分が中心になって、問題解決が進むといい気分かもしれないが、それはアマチュアである。


なぜなら、自分自身の感情や欲求に左右されているからである。


それに、ファシリテーターが中心になると、参加者がファシリテーターに依存することになる。ファシリテーターに依存させることは、ファシリテーションの目的ではない。


そうすると、いつまでたっても、自立的な会議運営や問題解決ができるようにならない。


ファシリテーターは、回数が重ねるにつれて存在感を薄くし、フェイドアウトしていくのがいい。


例えば、こんな光景をイメージすることがある。


会議が盛り上がって、有意義な解決策が得られ、参加者も満足している。


談笑が続いているが、ふと誰かが気付く。


「あれ!?三宅さんはどこ?」


「いつの間にかいなくなっている!」


これが、私なりのファシリテーターの美学のひとつでもある。