大統領が「エクスペンダブルズ」に仲間入り?『合衆国最後の日』 | 徒然逍遥 ~電子版~

徒然逍遥 ~電子版~

「行政書士ができる往年の映画ファン」のブログ
映画・洋酒・カクテル・温泉・書籍 etc
Myニュースレター【CINEMANIA通信】と重複記事あり

こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。

 

ベトナム戦争後遺症に悩む70年代米国。『エクスタミネーター』(‘80)の記事で言及した通り、ベトナム従軍帰還兵が精神的に蝕まれ、社会問題化したテーマの作品が大量生産された。

『エクスタミネーター』でジャジーなライヴを
のみならず、ごくフツーの作品にもベトナム戦争に触れたセリフや場面が日常生活に映り込むのは当たり前となっていく。
本作は、それらが米国内の問題にとどまらず、国際問題にまで発展する地球規模の危機が訪れる可能性を予示する究極的悪夢である。合衆国どころか『世界が燃えつきる日』に直面するという・・・。


『合衆国最後の日』 Twilight's Last Gleaming (‘77米・西独) 146分
梗概
1981年11月16日。ベトナム戦争に関する国家機密を国民に公開せよ。と、主張したため無実の罪で長期の懲役刑を科されていた元米空軍将軍デル(バート・ランカスター)が、3人を引き連れて脱獄し核弾頭搭載ICBM9基の発射施設を占拠。仲間各自に1千万ドル、エアフォースワンで国外脱出、大統領の人質、そして最大の眼目は件の国家機密を国民に公開させる、といふ条件を提示。一歩も譲らぬデルを相手に、大統領(チャールズ・ダーニング)、空軍司令官(リチャード・ウィドマーク)、国防長官(メルヴィン・ダグラス)、大統領の良き理解者の准将(ジェラルド・S・オローリン)らが苦悩しつつ対処するが・・・。

原題は「黄昏の中の最後のきらめき」の意。合衆国国歌の一節

ロバート・アルドリッチ監督ら製作側の含意は不勉強ゆへ明確に分からないが、公開当時の米国の社会状況を考えるとさもありなん。と得心してしまう。


1977年の作品だが、時代設定は4年後の1981年である。第二次大戦後6人の大統領が執政したことになっている。本作を観ながら指を折ってみた。トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォードと続く。ルーズベルトとトルーマンを間違えなければ、あとは簡単である。
従って、劇中のスティーヴンス大統領はカーターさんのポジションだ。

その大統領は、デルが公開を迫る機密文書の“NSC文書9759”を読んで吃驚。10回読んでも信じ難いとのたまう。
戦死者負傷者合わせて80万人超といふ国民の犠牲者を強いた戦い。100パー勝ち目がないと分かっていながら続行した理由がふるっている。

 

【米国に敵する相手には、自国の損害がいかほどあろうとも容赦なく徹底的に叩いてやるからな。と、対外的(ソ連を念頭に置いて)に誇示し、迂闊に手を出せない相手だと認識させるためだけのことだった】

国家の“威信”を失墜させることのないように負け戦と人的・物的犠牲を覚悟しての戦争。それが文書内容である。もちろん、そんなことを知らしめたら各方面から猛反発必至。殊に犠牲者を抱えた家族はやり切れまい。

それでも、今こそこの機会を逃さず、国民国家の未来構築のためにも公開すべきとデルは確信す。
一方、自分の責任ではないのに損な役回りを負わされるスティーヴンスも腹を決める。


この二人が漢同士、意気を感じ合う。
一時的に混乱しようとも、国は国民を、国民は国を信じようではないか。と。


C・ダーニングが“優秀ではないが誠実な男”と言われる大統領を好演。彼のキャリアでもベストに数えられよう。うろたえ、怯え、困惑し、泣き言を言ふ。実に人間臭いキャラである。

往年の名脇役十傑選~男優篇


B・ランカスターは国に裏切られたが、現大統領を信頼するロマンチストに扮する。理想主義的生き方は、確かに組織には受け入れられ難いだろう。


彼を陥れた張本人はR・ウィドマーク。相変わらず憎々しげな面構えで憎まれ役を一身に引き受ける。続く『スウォーム』(‘78)も軍服姿がサマになっていた。


大統領が信任した国防長官役のM・ダグラスが、最後に苦い結末を予想させる絶妙な芝居でドラマを締めくくる。


大統領とファーストネームで呼び合う軍准将のG・S・オローリンが政府首脳の中で唯一大統領と気脈を通ずる人間味溢れるキャラを好演。見事な助演振りだ。


アルドリッチの演出と男優たちの名演が緊張感を持続させ、二時間超もだらけることがない。


ところで、本作における大統領像が面白い。


まず、大統領自身を過大評価することがない
先述の通り完全にフツーの人間として描かれていて、神格化されることなく、偉大な指導者然としていない。体形は貫録十分だが、見るからにスマートさとは程遠い。

『チャンス』(’79)でジャック・ウォーデン扮する垢抜けない大統領は、この進化形か。


しかし、大統領を好意的に見る視点も欠かさない
倫理的で健全な思考の持ち主で、腹芸は側近らの方が一枚も二枚も上手っぽい。誠実さを前面に押し出す。アメリカンヒーローさながらに、自らを人質として差し出す行為はその最たるものだ。ここはさすがにアルドリッチも保険を掛けた感じがする。ややきれいごとに傾いた。


そして、大統領といへども“消耗品”であるといふ苦い現実を提示。
デル一味の一人パウエル(ポール・ウィンフィールド)がデルに向かって吐き捨てる。「大統領だって使い捨てなんだ」と。はっきりと「エクスペンダブルズ」と言っていたのだ。これは国家国民があまり認めたくない現実だろう。


こんな大統領像は過去にあり得なかったし、今でもここまで踏み込まない。むしろ踏み込めないと言った方が適切か。犯罪者≒テロリストの人質になってしまうなんて。
『インデペンデンス・デイ』(‘96)のように大統領自ら出撃する戦意高揚の気配も無い。『ディープ・インパクト』(’98)みたいな激励と決意表明のスピーチも無い。『13デイズ』(‘00)と似たような大団円など微塵も無い。全く無い。


これこそまさに“国家の威信”など根底から揺らぎまくっていた時代の産物と呼ぶに相応しい。そこへさして“国家の威信”とやらをキープすることに腐心する政府首脳陣が悩む姿は皮肉以外の何物でも無かろう。そんなものとっくに地に落ちたも同然なのに。


事ほど左様にベトナム戦争後遺症の重篤化が進んだ様子が映画を通して、そこに描かれる大統領を通して窺い知れる。マジで当時の米国社会全体が危険水域に達していたのだ。


ところで、この映画の舞台となる1981年には元聖林俳優のロナルド・レーガン大統領が登場する。スターウォーズ計画が浮上するなど再び“強いアメリカ”を標榜することに。

聖林映画がそれに歩調を合わせていくのも周知の事実である。「黄昏の中の最後のきらめき」からのさらなる続きを求めて。

その後、クリントン政権時代の『マーズ・アタック!』(’96)、『エアフォース・ワン』(’97)では、大統領が火星人に殺されたり、テロリストと対決するなど、驚くべき思い切った設定で外敵にさらされることになる。

しかし、後者は見事にヒーローとして獅子奮迅の活躍の場を提供されている。

9.11到来まであと数年。

本日も最後までお読み下さりありがとうございました。

 

追記:施設内の合言葉が「ラムズ」「バイキングス」との設定に苦笑。70年代に一度もチャンピオンになれなかったプロフットボール強豪チームだ。

監督:ロバート・アルドリッチ

    『何がジェーンに起こったか?』『北国の帝王』『ロンゲストヤード』

原作:ウォルター・ウェイジャー

音楽:ジェリー・ゴールドスミス

    『猿の惑星』『オーメン』『スタートレック』