6月の北海道 | 角目好き

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四角いライトいかがです?

待ち焦がれた来道ウィークだ。前回4月に来た時は息子の入学準備に終始した。そして今回は札幌に置いてあるMTBを寮まで持ってきてほしいと言われている。友達が続々と自転車を手に入れていると言われてしまったら仕方がない。私は今回もオートバイロングは諦めるしかなさそうだ。

 

諦めないといけない理由は他にもあった。4台のオートバイにバッテリーを積んでエンジンをかけようとすると2台がかからない。かかる1台は車検が数日前に切れていて、もう一台は走れるけれど危険レベルでブレーキがエアを噛んでいる。残りの1台は初爆が入らず、最後の1台はスターターが回らない。

 

息子のところに出かける前に、走れるXVだけでも帰ってきたら乗れるようにしようと、友人の後輩がやっているバイク屋さんを訪れた。テキパキと作業をしてもらい、おかげで問題なく走れるようになった。ミッションのメーカーリコールも調べてもらったら、対策済みになっていた。

 

去年の夏、新潟からのデポ留めでXVを受け取ってもらった

 

去年の10月。4台を仕舞う時、ガソリンを満タンにして、燃料添加剤を入れて、20kmずつ走らせて、絶好調のまま冬眠させた。それなのに。。

 

3台は友人にレッカーを頼み、入院させてもらう手はずを取っての出発となった。

 

日差しの強い午後3時。車のリアシートには前後のホイールを外したMTBと自転車の装備を積み込んだ。荷物満載なのでオープンには出来ないまま淡々と走り続けた。

 

MTB載ってるね

 

陽が沈むと案の定、鹿が出没してきた。多分30頭は眼の前を横切ったと思う。到着までの2時間は完全集中の時間となりとても疲れた。札幌から400km近く離れたキャンプ場で眠りに落ちたのは23時に近かった。

 

 

翌朝は5時に起きて7時過ぎにキャンプ場をあとにして、寮の食事の終わった頃、無事に息子にMTBを届けることが出来た。喜んでMTBを乗り回す息子を見て、何だか小さかった頃のことを思い出した。

 

 

一緒に街に出かけて、買い物をして食事をした後に温泉に浸かった。誰もいない広い畳の間でくつろいでいると、校庭まで送ってほしいと息子が言った。何でも友達が校庭でサッカーを初めたのだそうだ。こうして寮でのびのびと暮らす息子の様子が見られてとても安心出来た。

 

 

この時間から札幌に帰る気にはなれず、昨夜のキャンプ場にもう一泊することにした。内陸方面は天気が続くようだった。

 

翌朝 多和平には馬が運び込まれていた

 

帰りの日は所々で晴れ間が覗き、そんなときにはオープンで走った。津別に抜ける道を行ったことがなかったので走ってみた。北海道らしい雄大な景色が流れて、美幌峠と周回したらとても楽しそうだ。

 

層雲峡を経由した

 

こうして二泊三日の下道1000キロちょっとの旅を終えた。

 

翌日の札幌は晴れの予報だった。朝からXVを家の前に出して準備をしていると、いろいろな人に声をかけられた。くわをかついだおじいちゃん。「今回はいつまでいるの」。いつも折り紙をくれるおばあちゃん。「おばあちゃん。会いたかったよ」。そして隣の家の外壁工事をしている一人親方。親方は「家の人いないから」と足場に登らせてくれた。おかげで我が家の屋根の確認ができた。我が家にはタラップがついていないので貴重な経験だった。融雪溝はとても綺麗だった。

 

XVでの出発はお昼前となった。日本海側に出て北上することにした。道は空いていた。オートバイにはオープンカーの外感とはまた違ったダイレクトさがある。顔に風が当たるのはやはり気持ちがいい。

 

雨だと前が見えない純正大型スクリーンからMRAのスクリーンに変えた

 

青山方面に曲がり山に入っていくと空気が冷たくなり空が怪しくなってきた。道民の森の駐車場に入っていくと、作業をしていたおじさんがこっちこっちと駐輪場所を示してくれた。20cm程の幅の鉄板が埋まっていた。これならアスファルトを傷めないしバイクもこけない。

 

道民の森にはそのおじさんしかいなかった。結構な時間話し込んだ。春まで車掌さんをしていたのだそうだ。楽しい話が沢山聞けた。「冬には沢山仕事があるよ」。こっちに住みたい気持ちが読み取られたようだった。

 

青山通りは空が暗かった

 

出発する頃にはすっかり空は明るくなっていた。走った距離は200kmにもみたなくて、沢山は走れなかったけれど、沢山の人とお話しができた楽しい一日となった。

 

帰宅後はいつものごとく夕日レストランでお弁当&グデグデ