14年前までの10年近く、毎週のように走りに行っていた仲間と再会できた。
集合場所に着くと、「よう久しぶり」なんて声かけではなくて、「ヘルメット脱いだら剥げてるかな。白髪かな」なんて笑いながら迎えてくれた。
誰かが持ってきた5年前のマップルは未だに1ページ1時間なのだそうで、「でも見えにくくなった」と言っていると誰かが、一生懸命ピンチアウトを初めた。
昨日の続きのような会話が14年ぶりに再開されていた。私が一方的に抜けたのだけれど、また誘ってくれたのだ。やっぱり似た者同士は居心地がいい。
家を5時前に出た時は完全な雨だった。第三京浜を国道16号に降りて、港南区の待ち合わせ場所についたときには、雨がやんでいた。
さあこれからどこに行く?なんて集合してから決めるのも昔と変わっていないし、集合場所は起き抜けのメールで方角が変わり、遠くになったのに時間は早まった。変化を楽しみ、臨機応変に対応するのがみんな好きなのだ。
私には苦手科目だったのだけれど、今は生き方としてそういうことが出来るようになっている。きっと合格だ。
雨雲レーダーで雨が振らないのは三浦半島だけで、実際に空が明るいのは南の空だけだった。
早朝の海岸通りは走りやすかった。ただ、朝からフケの悪い私のZZRが、八景島の先でとうとう止まってしまった。草に囲まれた交差点の歩道で修理が始まった。
その昔、道端で皆をまたせてキャブのOHをしたあげくに、原因がタンクのエアーバルブだったという猛者がいた。その彼が、「まずはリザーブの確認だよ」と言う。
私は燃料コックの位置しか覚えていない。何しろ巨大なサイドカウルとグラブバーを含めて、たくさんのネジを外さないと現れてこない。そしてZZRの積載工具は、くるんだタオルを茶色に変色させてへばりついていた。
見かねたキャブバラシの猛者は、仲間が出してきた高級工具を使いテキパキと作業を進めた。そしてとうとう燃料コックが現れた。オンとオフだけの燃料コックだった。すかさず誰かがそのコックを斜めの位置に回して、「治ったよ」。大声で笑いあう相変わらずやかましい仲間だ。
とうとう隊長が「つまってんだっぺ」と、相変わらずの水戸弁でスロットルに手をかける。そしてスロー領域では動くエンジンを始動した。タンク内の錆をこすって落としてしまい、それが高速でメインをつまらせたかなと、集合場所で説明してあった。
隊長は9000まで回していくのだけれど、エンジンはストンとストールしてしまう。上手に回して行くと段々と安定してきた。最後はコールを切っておしまい。走れるようになった。
風車の丘に到着した。草原の中に建つ東屋で話しが弾んだ。まだ怪我の話しまでで済んでいる。もう少し年を取ったら病気と孫の話しと進んでいくのだろうな。
手土産を持っていった
逗子にあるコーヒー店が目的地だった。おいしい料理においしいコーヒー。海を見渡せる最高のレストランで、最高の仲間と最高の時間を過ごせた。
※画像は拝借
湘南通りに入ってくると、10代の頃の記憶が蘇ってきた。昔からあるマックで休憩をしてそこで解散となった。お昼すぎになっていて、ちょうど雨がパラパラと降り出した。
みんな好きなバイクに乗っている
同じ方面の仲間とつるんで三京を走りきった。駒沢通りに入ると大雨となった。ZZRのエンジンは高速を降りるとやっぱりぐずり始めたけれど、朝と同じようにコールして、家まで辿り着けた。
帰宅は家を出てから10時間後だった。この10時間ですっかり14年間の時間が埋まった。そして寝るまでLINEは盛況で、酔っ払ってスマホ見て馬鹿笑いしている声がリビングまで届き、家族はそんなめずらしい親父にあきれていた。
灯台下暗し。三浦半島は走っているだけで楽しい。もっとたくさん走りたい。忘れられない1日。いや忘れたくない1日となった。