春からの北海道ライフ | 角目好き

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四角いライトいかがです?

大きな変化があった。なんと息子が北海道の高校に進むこととなり寮生活を始めることになった。中学生の間、何度も札幌のセカンドハウスに一緒に行き、ときには同級生も連れていった。北海道の自然や人の暖かさに触れたことや、学校見学でロケットの研究室や、リニアモーターカーの研究室を訪れたのが影響したのだろうか。将来はエンジニアになりたいのだそうだ。

 

まずはオープンでキロロ

 

通っていた私立大学の附属中学には理系学部が1つしかなかった。これをやめて進学する先は、言ってみれば国立大学理系学部の付属校のようなものでそのまま大学生になれる。それより私としては、息子が道民になるというのが羨ましくて仕方がなかった。

 

同室の同級生も連れて買い出し 近隣で唯一の娯楽施設なのだそう

 

息子の入寮日、私は街のビジネスホテルに泊まり翌日の入学式に備えた。入学式が終わってからは寮の夕飯の時間まで、街の100円ショップやホームセンターをはしごした。夕暮れになってすべてが片付きバイバーイとなると、ホッとする間もなく寂しくて泣けてきた。

 

夕方の学校 天気は二日間もった

 

終わってからそのまま札幌に帰るのはつまらないと思っていたので、車にはキャンプ道具を積んできた。70km離れたオープンしているはずもない村営のキャンプ場に向かうことにした。小雨が降っているものの南風が入り、温かい夜だった。

 

キャンプサイトを見るまでは半分あきらめていたのだけれど、陽当りのいい牧草地には雪の溶けたエリアが広がっていた。霧雨が降っていて誰もいない。濃い霧で月明かりもない。駐車場脇の立派なトイレの明かりが灯っているのが救いだった。カッパを着て設営をした。少し怖くて、おかげでいろんな感情が混じり合って強烈な思い出となった。

 

翌朝もジリってる

 

翌日美幌峠で休憩するまでは人を見ることがなかった。峠は深い霧で景色は何も見えなかった。オホーツク海側は日が照っているそうで、時間が許す限り北上することにした。


気分に浸れた美幌峠


サロマ湖でようやく体温が戻ってきた。しばらく走っていると大きなリュックを背負った若者が振り返ってサムアップしている。丁度いいやと乗せてあげた。青年だと思ったら台湾から来たという女性だった。片言の英語と片言の日本語のチャンポンで会話が弾んだ。

 

 

会社のボスにムカついて仕事を辞めて旅に出たのだそうだ。「リュックひとつで日本一周に行くなんて、台湾の両親はきっと心配しているでしょう?僕は息子と昨日別れただけでとても寂しいよ」と英語で言ってみた。流暢な英語で返されてしまうと半分も理解できない。オープンのままで走っていたので笑い声が青空に飛んでいった。紋別のイオンで降ろしてあげた。「よい旅を」でお別れをした。だいぶ気が紛れた。

 

 

西興部村に到着した。青い空に黄色い光線が混じり、もう少しでオレンジ色になるという時間だった。ここでキャンプして翌日札幌に帰ろうと思ったのだけれど、キャンプ場にはたっぷり雪が残っていた。仕方がないのでゆっくり温泉に浸かり、食事をとって体力を回復させ、そのまま帰ることにした。帰宅は21時で、500km12時間の下道の旅となった。

 

 

こうして春からの新生活が始まった。息子は早速部活を決めたようで、それは「スケボー同好会」だった。東京にいる時は見向きもしなかったのにどうしたのだろう。トリックがしたいということで、すぐに板を買って送ってあげた。私はスラローム用の板しか持っていない。

 

勉強と生活で息が詰まっても、スケボーに集中すればそんなものは後ろに蹴り飛ばすことが出来る。私の10代そっくりだ。そしてこれは一生ものになる。

 

校内は自由に滑っていいのだそう

 

夏に帰ってきたら一緒にパークで滑れるかもしれないし、冬に帰ってきたら一緒にボードに出かけられるかもしれない。

 

そして息子の学校からは歩いて30分とかからずにビーチだ。サーフィンもすればいいのにと思うけれど、勉強しに行っているんだしな。寂しさが先行した春の始まりだったけれど、今は何だかワクワクしてしまうのだった。