昨シーズンに痛めたのは膝だけではなくてメンタルもだった。去年の春から1年かけてリハビリをして食事や睡眠にも気を配った。毎日のトレーニングでは滑走フォームを作ってのスクワットも取り入れた。夏の間も意識を持ち続け、秋に仲間で集まって3月の上旬には合宿をしようと決めた。そして冬に入ると全てがいい方向に転がり始めた。
こうして目標にしていた3月。5人のライダーが東北のローカルゲレンデに集まった。
その隣は初代デモンストレーターで、私の所属したメーカーチームのキャプテン。
その隣はちょっと前のデモンストレーターで、この地に移り住みここでスクールの校長をしている。
私が現役の頃だったらこのメンツでフリーランで遊ぼうという発想は生まれなかった。自分のテーマを持って適した山に行って勝手に滑るはずだ。
私は選手と校長とは初対面だった。リーダーもキャプテンも有名人で実力も知られている。一方で私は終わった人と二人からは思われている。全員に認めてもらいたくて気合を入れて滑ることにした。
1日目は一晩降り続いた雪ということもあって皆SLボードから入った。黙って皆が同じ判断をしていることが心地よかった。
何本か滑ってすぐに打ち解けた。いや、リフト乗り場までのスケーティングと板の取り回しですぐに伝わったはずだ。リーダーもようやく、「実はね」と私を紹介してくれるようになった。
私もだんだんと、同じ戦場を戦い抜いてきた戦友という意識が生まれてきた。アルペンボードを続けて来て良かった。
リーダーが、「大会用に作ってあるスタート台から二人はSLレースね」と私と選手を名指しした。こういう遊びが好きなジジイなのだ。
ゲートを張らないエアレース。「出だしがストレートで、途中が狭くて、ゴール前で振ってある」のだそううだ。
とまあこんな遊びをしながら皆で笑いあった。
午後は体もほぐれ、地形も雪質も理解したのでちょっと飛ばそうと、リーダーと私と選手はGSボードに履き替えた。キャプテンは後輩デモと滑りたいと、カービングフリースタイルボードに履き替えた。
数本滑って翌日朝イチGSの調整を終えた。翌日は晴れの予報で、ゲレンデ終了後には夕踏みをしてくれるそうだ。
それから皆でゆっくり温泉に浸かった。酸性で鉄色の温泉は体の疲れをしっかり取ってくれた。そして18時半から始まった宴会が終わったのは23時過ぎだった。
迎えた2日目。皆しっかり7時に朝食をとり、朝一のゲレンデに集まった。皆ヘルメットを被っていて、レジャーでボードを履いているわけではないことが良く伝わってくる。そして入念にストレッチもする。
しっかりピステンが入ったバーンは極上のグリップバーンとなっていた。このゲレンデは2月中はまさに、「ジャポウ」と呼ばれる腰パウなんだそうだ。それが3月に入ると日中に雪が溶けて沈んできて、状態を見ながらピステンを入れてフラットに固めていくのだそうだ。
こうして出来上がった朝イチのバーンはキレッキレのフラットバーンだった。このゴールデンタイムは持って3時間だ。
板が立ち膝も伸ばせている
結局私はテーマを持って一つのバーンを滑り続けた。緩斜面から20度後半の斜面にダイブしていくバーンで、入り口は先の雪面が見えなくて崖としか思えない。尾瀬戸倉のGSレースのバーンそのものだ。ここでは勇気を持って体軸が遅れないように前に倒していく必要がある。あのコースは最後まで攻略できなかった。
問題が出るのは雪が緩んできたときで、案の定私は切り替えしたあとにフロントノーズが刺さって体が先にバーンに叩きつけられたのだった。雪の入ったゴーグルの中で涙が滲んだ。久しぶりにアタックできた嬉しさと、恐怖と、悔しさが入り混じっていた。
本当はここからが楽しいいのだけれど体がついてこない。お昼前に上がることにした。仲間は少し前に上がっていた。
皆で校長先生に2日間のエスコートのお礼を言った。デモンストレーターの奥様が代わりにスクールに入ってくれていた。
帰りも温泉に寄ってのんびり帰ることにした。リーダーの大型SUVにはキャプテンがチューンナップで預かった校長先生のボードが沢山載っていた。「止められたらゲレンデでかっぱらってきたと思われるでしょうねえ」。
リーダーの家に駐めたマイカーに乗り換えて、帰宅したのは19時過ぎだった。魂レベルで楽しい2日間となった。来シーズンはもっと滑りたい。そして今シーズン使わなかったプレートを使ったほうが良い。と思える滑りになってきた。