手ぶれ起こして針飛ばすこの俺 でも来年も負けない | 角目好き

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四角いライトいかがです?

2023年で忘れられないこと。それは春先に長年私の体と心のケアをしてくれていた友人が亡くなったことだ。彼には家族がいて、弟子が沢山いて、頼りにしている仲間が沢山いた。「良い奴から逝っちまうんだな」。そんなふうに思うしか無かった。葬儀では涙が止まらなかった。

秋に仲間を集めて、と言っても3人共、頭の上がらない先輩なのだけれど、一人の先輩の自宅で偲ぶ会を開いた。

「凄いやつがいます」。そう言って彼を先輩たちに紹介していったのは、もう10年くらい前になる。彼の何が凄いかを一言でいうと、”生きている次元が違う”ということになる。連れて行った先輩たちも普通の人ではないのだけれど、すぐに彼の格の違いに気がついたようだった。

先輩M氏は、私が30歳の頃に知り合った。私の持っているオートバイのうち、2台を仕上げて頂いた。現在はメーカーY社のアジア選手権を統括していて、全日本チャンピオンの選手が何人もお世話になっている方で、とにかくオーラが凄い。

先輩F氏は、20代半ばに私のことを知っていたようなのだけれど、私がつるむようになったのは40近くになってからだった。アルペンボードのチーム監督として、何人ものトップ選手を育て上げてきた。東大クラスを受け持つ予備校の数学教師で、私が何か質問をしてもたまに無視される。「考えなくてもいいよ」と。

先輩H氏は、20代半ばからの先輩で、所属していたメーカーチームのキャプテンだった。当時の国内選手は私も含めて誰も勝てなかった。そして協会の発行したスノーボードの教則本となった。今は自宅兼工房で、全国からボードのメンテナンスを受けていて、私が板を持っていくとすぐに乗り方がバレてしまう。

 

そんな先輩たちがひれ伏したのは、10才以上若かった彼が神がかっていたからだった。私には、影響をおよぼしていた木星のエネルギーをのがしてくれた。それ以来私はキレなくなった。

 

F氏は作文を書いた。数学の理詰めとは裏腹に、火の鳥の作文だった。私は腹筋がひきつるのを必死にこらえた。H氏は、彼の弟子たちに色々な講義をしていたようだった。あとから知ってびっくりした。そしてM氏は、「本物だよ」と言って、コヤマックスを連れてきたり、担当をした8耐のあと、ノリックが流星になって挨拶をしていった話しをしてくれた。

という3人を、私は彼の施術院に次々と連れて行き、3人は彼にゾッコンとなった。私は核融合実験のつもりでひきあわせたのだけれど、みんなは、「○ちゃんの役割は俺たちを引き合わせてくれたことだよ」と言って、私抜きの4人でよく飲みに行っていた。今でも思う。ざけんなよ。

 


そんな昔し話しをしながら、今年の秋は朝まで飲み明かした。そして私はそこでプレゼントを貰った。それは玉の付いたネックレスで、先輩3人が私のために念を込めてくれた。この仲間内では私はいつも子供扱いをされる。俺56。

それからは不思議なことが沢山起き続けている。その度に気がつくのは、「彼が私にエネルギーを送ってくれている」ということで、人に助けられるシーンが増えていった。というか、気がつくようになったのかもしれない。だからこのネックレスはきっとアンテナなのだと思っている。

ボードの先輩二人とは3月になったら東北合宿に行くことになっている。私は膝をいたわって、もうちょっと天然雪がついてから滑りに行こうと思っている。ボーダーではないM師匠には、「正月に飲んでください」とオファーをしているところだ。

 

正直に言うと、私はこの3人に何度も見捨てられている。だけど私は食らいついている。この3人は何人もの仲間を切り捨ててきた。持っているひとの宿命なんだと思う。でも逝ってしまった彼だけは、私を最後まで見捨てなかった。だからこの3人にはピラニアのごとく喰らい続けている。

そして今、私の車には年末に行くキャンプの道具がぎっしり詰まっている。昔のサーフィン仲間と南房総で飲み明かす計画を立てている。仲間は一生の宝物だ。もう年なので誰も海には入らないし、手間なので釣りもしない。市場で食材を買い、海を眺め、焚き火をし、2023年を笑い飛ばす。きっと街で飲むより楽しいだろうな。先輩の3人とは違って冗談を言い合える仲間だ。

 

こうして2023年が終わろうとしている。今年はオートバイに沢山乗って、沢山景色を眺められた。こんなに生きている実感を得られるのは、私にオートバイとアルペンボードがあるからだと思っている。だから2024年もこんな感じで飛ばしたい。