三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』を読んだ。
倒錯した愉楽の使徒・サド侯爵。風俗壊乱で獄にある彼を、妻ルネは十八年にわたり待ち続ける。だが釈放の刹那、一転、修道院へと向かう決意を固め…。果して妻は、夫の何を信じていたのか(「サド侯爵夫人」)。血塗られた粛清の奥底に潜む、独裁者を衝き動かした狂気とは?(「わが友ヒットラー」)。互いに照応し合う「一対の作品」と自ら評した、代表的戯曲2篇。「サド侯爵夫人」は澁澤龍彦に感化され執筆。芸術祭賞を受賞した。
『近代能楽集』と並ぶ、三島の観念劇と言えるだろう。
登場人物の動きはほとんどなく、語られる言葉=思想だけが、舞台=三島の脳内劇場を支配している。
本作について、三島自身がこう書いている。
澁澤龍彦氏の『サド侯爵の生涯』を面白く読んで、私がもっとも作家的興味をそそられたのは、サド侯爵夫人があれほど貞節を貫き、獄中の良人に終始一貫尽くしていながら、なぜサドが、老年に及んで自由の身になると、とたんに別れてしまうのか、という謎であった。この芝居はこの謎から出発し、その謎の論理的解明を試みている筈であり、私はすべてをその視点に置いて、そこからサドを眺めてみたかった。
いわばこれは「女性によるサド論」であるから、サド夫人を中心に、各役が女だけで固められなければならぬ。サド夫人は貞淑を、夫人の母親モントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ婦人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表して、これらが惑星の運行のように、交錯しつつ廻転してゆかねばならぬ。舞台の末梢的技巧は一切これを排し、セリフだけが舞台を支配し、イデエの衝突だけが劇を形づくり、情念はあくまで理性の着物を着て歩き廻らねばならぬ。目のたのしみは、美しいロココ風の衣装が引き受けてくれるであろう。すべては、サド夫人をめぐるひとつの精密な数学的体系でなければならぬ。……
私はこんなことを考えてこの芝居を書きはじめたが、目算どおりに行ったかどうかはわからぬ。しかし、この芝居は、私の芝居に対する永年の考えを、徹底的に押し進めたところに生れたものであることはたしかである。日本人がフランス人の芝居を書くのは、思えば奇妙なことだが、それには、日本の新劇俳優の翻訳劇の演技術を、逆用してみたいという気があったのだ。…(『跋(サド侯爵夫人)』より)
三島の作品は、小説でも戯曲でも、「古典的」である。
それは裏返して言えば、野趣に欠け、理性的作劇術(ドラマトゥルギー)の下にこじんまりと纏まってしまう傾向がある。
そこらへんが、例えば武田泰淳などと大きく違う部分だろう。
三島は「無意識」というものを決して認めようとしなかった。
サド侯爵を今日理解しようとすれば、当然無意識に言及せねばならないが、本作でも三島は、サディズムの無意識的説明を巧妙に排して、個人ないし社会の道徳性の話題に転換して説明しようとしている。
三島は「病」の存在を決して認めようとはしないのだ。
そうした三島にとって、晩年の右翼的言動はまさに現代社会における病理とも言えるものだったのは皮肉としか言いようがない。