マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。マイノリティの運動の簒奪(さんだつ)、などとも呼ばれています。しかしよりによって「共生」という言葉を簒奪するとは。障害者を対話(セッション)から排除し、人手不足が及ぼす今日明日の生活の不安、生存権すらおぼつかないかもしれない未来への危機感を、健常者の感覚で嗜好品の選択肢の問題に矮小(わいしょう)化してしまうとは、あまりにも恥ずべき簒奪だと思いませんか。
市川沙央さん
— 朝日新聞オピニオン編集部 (@asahi_opinion) September 11, 2025
「誤解のないように言っておきます。私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。
『共生』という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです」
奪われた「共生」の言葉 障害者なき対話に市川沙央さんは思う:朝日新聞 https://t.co/LQME2BMahV