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2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ2歳

姉妹を育てるコティマムです。

39歳、

元テレビ局芸能記者の

アラフォー

ワーママライター鉛筆

◎BFC公式アンバサダー1期生

(23年3月卒業)

◎wicot公式アンバサダー活動中。

 

ワンオペ育児のあれこれや滝汗

大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、

おいしいもの(外食)など、

カオスな日常と

たまの贅沢を綴ります乙女のトキメキ

 

カメラ夫婦のお仕事

マスコミブログはこちらカメラ 

 

 

 
 

 

 

【暑い日に怖い話はいかが?おばけ
 

 

 

 

 

以前書いたのですが、

毎日の子育てと家事、

仕事とのバランスに

日々試行錯誤し疲れ果て、

自分でも病んでいると思っていますネガティブ




  


 

 

実は最近、

自分の「病み」を

さらに痛感する

出来事がありました魂が抜ける


 

8月に入ってから、

フリーランス記者仲間のお友達と

すごく久々に会って来たんですガーベラ

 

この記者さんも

今はフリーランスですが、

私が現役時代、

彼女は某有名ウェブ媒体で

正社員の記者をしていて、

現場でよく一緒になったことから

仲良くなりましたクローバー


私が東海地方に行って

母になってからも

定期的に会っていて、

関東に戻ってきてからも

たまにご飯に行っていますスプーンフォーク

 

彼女はフリーの今、

社員時代以上に

複数の媒体でバリバリ

芸能の現場に出ており、

カメラや機材にもお金をかけてカメラ

ライターだけでなく

カメラマンとしての

仕事も増やしていますお金

 

私にとっては

昔話をできる相手でもあり、

刺激をくれる相手でもあり、

なかなか取材に出られない今、

最新の現場情報を

教えてくれる相手でもありますゆめみる宝石

 

友人はDINKSなので

社員時代と変わらず、

むしろそれ以上に

仕事がたくさん回って来て、

しっかり稼ぎ札束

それを仕事に投資し、

もちろん自分にも

お金を使うことができますまじかるクラウン

(私にはそう見える)。

 

 

私は今年4月から、

娘が小学生になったことで

生活が激変し滝汗

仕事はほとんど手を

つけられない状況になっていますアセアセ

 

それでも芸能記者の

仕事は好きだったので、

少しでもいいから

隅っこの方でも

ぶら下がっていたい

との思いで、

たまに取材に出ていますカメラ

 

ですが、やはり現役バリバリで

やっている彼女に会うと、

刺激を受けてすごいなーと

思うと同時に、

もう同じ土俵で

話ができない「差」も

痛感するのです。

特に今回はそうでした悲しい




話を聞いて勉強になったし、

刺激ももらったし、

もちろん楽しかったのですが、

「あぁ……。

やっぱり今の私には

もう昔みたいに

やるのは無理なんだな」

って突きつけられた感じでした。

 

友人曰く、

 

「もうあの頃一緒にやっていた

女性記者さん達は

誰も残っていないなぁ……。

今フリーで毎日現場に出ているのは

私以外、みんな男性。

かろうじて、

結婚してない若い女性記者くらい。

一緒にやってた女性陣で

出産した人は、

みんな記者をやめて

違う仕事をしてる」

 

とのことでした。

 

私はかろうじて

現場に食らいついている

つもりでしたが、

彼女の中では

私もおそらく「やめた」の中に

入っているのだと思う。

 

何気ない、

本当に何気ない言葉でしたが、

今の私くらいの活動量では、

現場にいる内に

入らないのだと思います。

 


上の子を妊娠した7年前、

ちょうど東海地方行きが決まっていて、

私はどうしても

記者を辞めざるを得ませんでした。

 

でも、本音を言うと

辞めたくなかった。

続けたかった。

 

今でもずーっと、

たぶんそこに執着してるんですよね悲しい

 


ガーベラガーベラガーベラ



友人と会っていた場所は

上野だったのですが、

浅草が近いので、

一緒に浅草観光することに。




 

浅草は私にとって特別な場所で、

上京してから

10年住んでいた場所ですクローバー

 

ものすごく立地の良いところで、

浅草駅から徒歩2分くらいの場所に

住んでいました。

雷門にも歩いて行けるし、

スカイツリーも近くに見えて、

とても素敵なエリアでした。


(↑スカイツリーの建設が始まった頃から

ニョキニョキ伸びていくのを

毎日見てました)

 

上京して初めて業界に入ってから、

超絶ブラックな日々でしたので

徹夜続きでとても忙しい毎日でしたが、

浅草の家に帰って来ると

不思議と癒されて、

街を歩いているだけで

元気になれましたおねがい

 

仕事のイロハを学び

いろんな新しい人間関係に触れ、

たくさんの出来事がありましたキラキラ


夫との交際中・同棲中、

結婚後も浅草で生活していたので、

仕事でも私生活でも

いろんな思い出が詰まっていますピンク薔薇


東京時代のすべての土台が

浅草を基盤に築かれて、

私にとって浅草は原点です。

(今でも本籍を台東区にしているし、

将来はまた住みたいとも思っている)。






 

そんな私にとって特別な浅草で、

友人と久々に観光していると、

20代の頃の日々が思い出されて、

とても複雑な気持ちになりましたガーベラ

 

友人と別れて自宅に帰る際に

銀座線の浅草駅に入ってからも、

「帰りたくないなぁショボーン

という気持ちが

高まって足が止まってしまい、

また地上に出ました。

 

今度は一人で、

懐かしい場所を

トボトボ歩きましたランニング





 

浅草時代の友人とよく行った

飲み屋やファミレスに寄ったり、

昔住んでいたマンションの前まで

行ってみたり。。

 

↑マンションに行く時点で

若干ヤバイやつだと

自覚してるのですが、

もう懐かしくて懐かしくてえーん






 

この頃は本当に

仕事が大忙しで

バタバタしていましたが、

良い先輩や上司、仲間に恵まれて

一生懸命ひたすら

動きまくっていましたゆめみる宝石






 

夫との関係も良好でした。


結婚していても

お互い忙しかったのでアセアセ

隙間時間に

ようやく会える感じで、

深夜に浅草寺や墨田川沿いを

散歩したり、

スカイツリーまで歩いたり、

夜中も開いているラーメン屋に

行ったりと、

少しの時間の再会を大切に、

楽しんでいました桜


 

マンション前を歩いていると、


「あー、あの頃、

楽しかったなぁ。。。

戻りたいなぁ・・・ショボーン


という感情がわいてきて、

涙が出てきました悲しい悲しい

 

完全にヤバイ奴ですねネガティブ

 

どう願ったって

過去には戻れないし、

今ある生活を

より良いものに変えて行くしかない。

 

今は子どもがいて、

新しい生活があり、

そこに適応して

いかなければいけない。

 

母になった以上、

苦手な家事もしなければいけないし、

育てていかねばならない。

 

一方で、

一人の人間として

仕事や自分の生き方を

自分の納得いくものに

したいという葛藤もある。

 

そして収入という面でも、

子どもを育てていく以上、

シビアに考えていかねば

ならない面もある。

 

浅草時代のあの頃と

今では

もう環境や状況が全く違う。

 

だから、今もし

物理的に家族で浅草に

引っ越してきたとしても、

「あの頃」と同じではない。

 

家事育児のしんどさ、

ワンオペでなんでも

一人でやらなければいけない状況は

ずっとついてまわる。

 

子ども自身の悩みだって

出てくるから、

自分だけのことを

考えていればいいわけではない。

 

過去と今が違うのは

よーーーくわかっているのだけど、

毎日毎日しんどすぎてショボーン

何もかもリセットして、

あの頃に戻りたいなと

思う自分がいるのですもやもやガーン

 

娘たちにはイライラしてばかりで

本当に毎日ブチギレているし、

家事が嫌すぎて

涙が出てくるし、

いろいろなことが良い方向に

進んでいくように

頑張っていかねばならないと

思うのですが、

疲れ果てて気力が出ない、

というのが正直なところです悲しい

 

家事育児に関しては

本当に人手が欲しい。

でもうちは夫が家事育児できないし、

すぐ近くに頼れる親族が

いるわけでもない。

(義母にはとても助けて

いただいていますが毎回は難しい

人手が増やせないなら、

お金で解決するしかない。

 

今はそういう面も考えて

仕事の仕方も

見直しているところです。

 

 

「浅草時代のあの頃に戻りたい」

じゃなくて、

子どもたちもいる今の自分で、

子どもたちも一緒に

新しい楽しい思い出が

作れたらいいなと思います。



(でもものすごいネガティブで

かなり過去に引きずられています。

身体を十分に休めて、

日々の生活の負担が

今の半分くらい楽になれば、

気持ちも前向きに

なれるのでしょうか……)