昨日は本当は、
いつもランチをご一緒する先輩と、
テレビ局時代の元上司・ハーゲン先輩
の3人で、
鎌倉頼朝さま聖地巡礼ツアーを
する予定でした。
(↑3人とも歴史好き)
※ハーゲン先輩についてはこちら↓
↑なぜ「ハーゲン」かというと、
編集部でしょっちゅう
ハーゲンダッツを食べていたから。
私は仕事に追われていて
一緒に鎌倉に行けなかったのですが、
先輩方にLINEで弱音を吐きました。
「原稿が書いても書いても終わらない。
溜まりまくっています。
疲れました……来月は休みたい。
でもフリーはやらなかったら0円だし、
断ったら次はないので、
結局全部請け負っちゃいます……」
するとハーゲン先輩からこんなお言葉が。
仕事を頑張ってる人には
結構響く言葉じゃないかと思ったので、
ご紹介します。
※ちなみにハーゲン先輩は、
テレビ局に来るまで
某スポーツ紙で芸能、スポーツ、報道など
いろいろな現場をまわられてました。
超絶変態&変人で、
その変人ぶり故に
芸能界のドンにかわいがられ、
一見仕事してなさそうなのに、
スクープをしれっと取ってきます。
なぜか私は退職後も
かわいがっていただいていて、
私が芸能に戻るキッカケを
くださったのもハーゲン先輩です。
【本日のハーゲン先輩語録:備忘録】
↑超絶変態&変人のハーゲン先輩
「原稿がたまってる」なんて
このご時世、贅沢ですよ‼️
そもそも日々のネタ数が激減してるし、
「コロナ対策で、
テレビしか呼んでません」って
言ってくるところ(事務所やPR会社)だってあるんだから。
断ったら、物書きになれないよね……。
手塚治虫なんて、
「絶対無理だろう」って量なのに
全部依頼を受けてたそうだから……。
同業者を遠横目で見ながら
「なんでアイツに依頼があって
オレにはないんだ」って
死ぬまで思っていたそうですよ。
吉本(興行)の人が言ってたけど、
漫才ブームの時、
「忙しいから無理」と
仕事を断っていた人は
一人も生き残ってない、とのこと……。
ダブルブッキングだろうと
くだらない仕事だろうと
全部引き受けた人だけが
生き残ったそうです。
「テルマエロマエ」の
ヤマザキマリさんも
同じこと言ってましたよ。
イタリア人の旦那の家族から
「いい加減、仕事を断れ」と
言われてるけど、
「今しか
できない仕事だから断れない」と。
大体、この仕事して10年ぐらい経つと、
「贅沢病」が始まるんですよ……。
「朝早い仕事は
新人にでも行かせろ‼️」とか
「担当じゃないから、行かない」とか
言い出し始めると危険な兆候で、
そうなると
デスクも面倒くさくなって、
そういう記者に
仕事を発注しなくなる。
オウム真理教事件の時、
「上九一色村にすぐ行ってくれ」と
あるデスクが
女性記者に頼んだんだけど、
その女性記者が、
「私、毒の出るところには行きません」
と拒否したシーンを
見たことありますよ。
あっという間に
芸能から外されました……。
↑ちなみにこの年、1995年。
ハーゲン先輩は
オウム真理教の南青山本部を
毎日張り込んだり、
阪神大震災2日後に神戸入りして
西宮北口で降りて
自転車を買って
現場に向かったそう。
私はまだ小6だった……。
はい。
ワタクシ甘ちゃんでした。反省。
つい3~4年前まで、
東海地方で無職になった私は、
見知らぬ土地で
ワンオペ育児をしながら
仕事を見つけるのに
とてつもなく苦労しました。
フリーでライターになった後も、
初月収は源泉徴収引いて9000円ちょっとで、
そこから数万円ずつ
地道に収入を上げていきました。
「子持ちだから」と相手にされなかった。
託児所に子どもを預けてお金をかけて
面接まで行って仕事が決まったのに、
翌日急に
「お子さんが大きくなってから」と
ひっくり返されたり。
音信不通になるクライアントもいました。
ライターとして
きちんとした仕事にありつくことが
そもそも難しく、仕事がなかった。
そして仕事が増えていっても、
それは未経験のジャンルばかりで、
とてもとても
しんどかったです。
今、いつの間にか
記者時代の月収を超え、
当たり前のようにレギュラーがあり、
多岐のジャンルにわたって
執筆できているのは、
「当たり前」のことではない。
もちろん、
働き方改革で無茶な働き方は
変わってきているけれど、
仕事があるというのは
とても贅沢でありがたいことなのだと、
自分の中の傲慢さを戒めました。
とはいえ
体はすごく疲れているので
3月は体力を戻すためにも
少し量を抑えて、
次に備えようと思います。
ハーゲン先輩、
編集部で一緒に働いていた時は
下ネタとスイーツの話しか
してこない印象でしたが(笑)、
(私とは歴史と政治の話もしていたけど)、
辞めた今の方が
インタビューの仕方や
原稿の書き方など、
まともな仕事話を
相談している気がします(笑)