我々が踏み躙った、或いはこれから踏み躙る国の者達からだ。戦場は大量の魂を手に入れる漁場となるんだ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地


▲「ホーリーランド(漫画じゃないよ!)」のシーンは爆笑してしまいました。こういう宗教映画のドキュメンタリーはそもそも狂信的宗教の素地があまりない日本では商売にならないと踏んでいるのかなぁ。


「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」で今週(来週は後編!)「我らを悪から救い給え Deliver Us From Evil」を取り上げています。内容は以前メモした米カトリック教会が児童虐待で630億円の賠償金を支払った件 についてで、その児童虐待の酷さ(母親にまで手を出していたり)と、カトリック教会の隠蔽体質についてでますます宗教が嫌いになること請負。


2009-02-22 は小泉政権下における民営化を巡る議論2題。財政がそんなに心配ならば日本国政府のバランスシートを資産を負債に強制的に引き当てて見せた数字を純負債額として公的に借金総額として掲げる数字に看板を付け替えればいいだけじゃないの?


CJC408◎教皇、アイルランド教会の性的虐待問題に「恥と怒り」
>教皇ベネディクト16世は、司祭の性的虐待問題にアイルランド教会が30年間も隠蔽を続けて来たことに、「恥と怒り」をアイルランドの人々と共にしている、とバチカン(ローマ教皇庁)が12月11日、声明で明らかにした。


いっそのこと児童虐待&組織的隠蔽をカトリックの教義、特徴に加えておけばいいのに。伝家の宝刀の破門処分のひとつもアメリカでもそうですが下せない辺りが腐ってます。


「イエス・キリストはゲイ」=エルトン・ジョンの発言にカトリック団体が猛反発
>自らも同性愛者であるジョンさんは、「私は、イエスは人間の問題を理解していた慈悲深くて超利口な同性愛の男性だったと考えている」と述べた。ジョンさんは続けて、「イエスは十字架の上で、自分を張り付けにした人々を許した。イエスは私たちが愛に満ち、寛容であることを望んだ。私にはどうして人間がこんなにも残酷なのか分からない。中東で女性が同性愛者であることは死んでいるのも同然だ」と語った。
 

なぜ、同性愛者と考えたのか根拠が不明ですが、「我らを悪から救い給え Deliver Us From Evil」内では司祭様は少女のみならず、少年にも魔手を伸ばしています。元祖も似たようなものだったんでしょとかそういうことならば同意できますが(笑)


>これに対して、米国最大のカトリック人権擁護団体の「カトリック連盟」はジョンさんを激しく非難した。同連盟は声明を発表し、「イエスが慈悲深いことは確かだが、『超利口』などという表現は神の御子をゲームショーを勝ち抜いた出場者に例えているようだ。もっと悪いのは、イエスを同性愛者と呼んでいることで、これはイエスに性的異常者のレッテルをはることだ。しかし、かつて『私としては宗教を完全に禁止する』と語った人間(ジョン)から、我々は何を期待できるのか」と猛烈に反発している。(2月20日17時6分配信 時事通信)


だから、お仲間から性的異常者が出てもレッテルをはることもできず、場所を動かすだけで各地で被害者を数百人も生んだんでしょうね。お仲間を守るための慈悲深さは十二分に伝わりましたよ。


教会へ行かなくても信仰心は健在? 米若者の宗教観調査
>米調査機関ピュー・フォーラムが実施した宗教と社会活動に関する意識調査で分かった。
それによると、特定の宗教を持たない無神論者などの若者は、1980年以降に生まれた世代の約25%を占めた。この割合は、65―80年生まれが同世代だったころは20%、46―64年生まれが同世代だったころは13%にとどまっていた。一方で、死後の世界観や天国、地獄、奇跡などを信じるかどうかについては世代間の差はなかった。また、日々の祈りをしているという若者は45%、「神を信じる」という若者は約3分の2に上り、それより上の世代とほとんど変わらなかった。 (2010.02.18 Web posted at: 16:25 JST Updated - CNN)


無神論者が増えているとはいえ圧倒的少数派のまま、日本で小学生が死んでも蘇ると考える生徒が1割近くいたということから、教育批判がなされたのと雲泥の差過ぎます。同じ内容で日本で調査を取れば良いのに。


欧州で強まる反ブルカの動き、仏では国籍申請却下の理由に
>イスラム教の女性が顔や全身を覆う装束「ブルカ」について、欧州各国で禁止に向けた動きが強まっている。フランス政府は妻にブルカ着用を強要していたとされる男性の国籍申請を却下。デンマークの有力議員は3日、「ブルカはイスラム政治の象徴であり、欧州に居場所はない」と発言した。


本来、信仰の問題も内心に留まるならば絶対的な自由かつ安全が保障されますが、外部に滲み出る部分については他者から批判の対象となると。不自由な文化を受け入れないというのも文化だというような多文化主義はお題目としては結構ですが、不自由な文化が多数派となった場合の恐怖はローマ帝国の顰みはおろか、そこらに実例がゴロゴロしているので現実的ではないでしょう。


>フランス移民相は3日、フランス人の妻を持つ男性からの国籍申請を却下したことを明らかにした。却下の理由について、この男性が「妻に全身を覆うベールを強要し、行動の自由を与えず、顔を隠さずに外出することを許さず、宗教分離の原則を拒み、男女の平等を認めなかった」と説明、道徳的見地から国籍を与えなかったと述べた。 フランスでは1月26日に議会の委員会が、公共の場でブルカなど顔や全身を覆う服装を身に着けることは禁じるべきだと提言した。まだ採決は行われていないが、病院、学校、公共交通機関などでのブルカ着用禁止が提案されている。


まあ、イスラームを信仰する国民数が一定数に達したらまた変わるのかもしれませんが(そうなって初めて選挙結果における多数派の主義主張を抑圧するトルコの叡智に思いを致すかもね)。


>一方、デンマーク議会の保守党議員、ナサ・カダー氏はCNNの取材に対し「(欧州では)イスラム政治もイスラム政治のシンボルも、大多数が望んでいない。ブルカは大多数が拒絶するイスラム政治の一部だ」と述べた。 (2010.02.04 Web posted at: 14:32 JST Updated - CNN)


移民問題においていかに自国民化していただくか(出自の文化・宗教・言語…)にどう腐心するかが成功の鍵でしょう。単に受け入れるのも、単に排斥するのもある種単純解で最適解ではないでしょう。


明治神宮 神社界の「不動産王」 収入150億の経済力
>明治神宮野球場をはじめ、テニスコート、アイススケート場、ゴルフ練習場、フットサルコートなどのスポーツ施設や駐車場が並ぶ。明治天皇の足跡を描いた作品を収めた聖徳記念絵画館や、イチョウ並木も有名だ。外苑には含まれないが、国立競技場や秩父宮ラグビー場も隣接している。
総合運動公園と見まがうこの土地は、実は明治神宮の「境内」だ。そして同神宮は、これらスポーツ施設の利用料や食堂・売店の売り上げなどによって、莫大な収入を得ている。「収益事業と公益事業の収入の比率は、9対1ぐらい」。明治神宮の財務状況を知る人物はそう語る。外苑の「稼ぎ頭」は、明治神宮野球場だ。『明治神宮外苑七十年誌』によると、1996年当時で、総売上高の約30%を占める。プロ野球・ヤクルトが本拠地とし、多額の利用料を支払っているのが大きいとされる。次いで多いのが、球場などの売店・食堂の約25%。以下、テニスコート約15%、ゴルフ練習場約12%、駐車場約6%と続く。明治神宮によると、こうした構成比は、現在もあまり変わっていないという。


>外苑と記念館を合わせた売り上げは年約百数十億円。このことから、内苑の年収入は十数億円規模と推測できる。ひっくるめれば、明治神宮の年収入は実に約150億円。神社界ではダントツの実入りだ。


これで再開発なんてし始めた日には、明治不動産と名前を変えないとおかしいでしょ。宗教法人を隠れ蓑に潤沢なキャッシュフローがありながら、税制上、特権的優遇措置を受けているこの不公平感をどこかの政党がマニフェストに掲げてくれないものか…。


>明治神宮は04年7月、国内のほとんどの神社が傘下に入る神社本庁からの脱退を申請。翌月、東京都に認められた。神社界では衝撃的な出来事だったが、これを「再開発を目論む明治神宮の策略」とする声が出ているのだ。


>04年4月、天皇夫妻が明治神宮を参拝した。同神宮は事前に、当時の外山勝志宮司名で案内状を送ったが、「両陛下」と書くべきところを誤って「両殿下」と記載。本庁はこれを、許されない不注意だとして、外山宮司に「進退伺」を出すよう求めたのだった。

「あってはいけないことでしたが、案内状の回収など、明治神宮として即座にしかるべき対応をし、職員の処分もした。それでも本庁は人事にかなりの意見をしてきたので、当時の執行部が被包括関係の解消を決めました」

網谷総務部長はそう説明し、付け加えた。(AERA 2009年2月8日号掲載)


普通に皇室財産にお戻しして、その皇室よりの社会的弱者への再配分を戦前のように願う方がよほど宗教的行為、道徳的にもかなう行為ではないのでしょうか?


他社に先んじる情報「神の声」を聞き分けた信越化学
>未曾有の不景気が続く中で状況を的確に把握し、判断するための第一の基本、それは“真に価値ある情報”と“雑音”を聞き分けることだ。
あふれる情報の中で私が最も重視するのは、営業マンが集めてくる需要家の生の声だ。毎日の仕事もそれを起点に始まる。朝、私は出勤途中の車中から、アメリカにある子会社で世界最大の塩化ビニル樹脂メーカー、シンテック社の現地駐在幹部へ電話をかける。アメリカにはこの人がこんなことをいうなら、市場のサインであると察知できるようなキーパーソンの需要家が何人かいて、その言葉はまさに“神の声”だ。それを毎日確認するのだ。彼らから昨日までなかった動きが出たら、すぐに対応策をとる。市場の調査データに表れたときにはもう遅い。需要家のような変化を生み出すおおもとの当事者の声に耳を傾け、その判断を探れば、ほかの人たちよりいち早く動くことができる。


こちらは私がありがたく拝聴させていただいている「神の声(笑)」。第一~第三の経営的判断の戒律も含めて総てメモせざるをえない。第一に関しては、色々なテーマにおいてこれぞという人を見つけて、折に触れてその言説を参照することの大切さを普段から実践しているつもりなので合格かなぁと。


>雑音を排除し、真に価値ある情報をつかんだら、第二の基本として、その時点で「これが最善」と思われる判断を行うことだ。それが正しかったかどうかは結果にすぐ表れる。間違っていたら修正し、新たな判断を行えばいい。中長期的にはよい方向へ収斂していく。


第二と第三の原則は中々実践するのは難しいでしょうね。確信が持てる、遅いとしても市場データのようなものが出るまでは、間違う恐怖から留保してしまいたくなる。それも私のような下っ端ではなく上にポジションが向かうほどに、その恐怖は虚勢ともあいまって難しくなるのではないか。


>わが社は今期の業績予想をあえて見送った。市場環境は急激な変化が続き、見通しが立たない。できない予想はすべきではないと考えた。もちろん、多くの企業は景気の先行きをある程度予測して業績予想を行っている。そのすべてがそうだとはいわないが、なかには景気の回復を当てにしているかのように見える企業もある。それは裏返せば、「業績が悪いのは不景気のせいである」と言い訳にするのと同じ発想だ。わが社の場合、業績が落ちた理由を不景気と結びつけて会議で長々と説明し始めようものなら、その場で私にきつく叱責される。今求められているのは、言い訳探しではない。不景気は1~2年は続くと覚悟したうえで、それをいかに克服し、いかに結果を出していくかだ。そのためには、日々変わる市場環境の中で真の情報をつかみ、その都度、最も現実的な最善の判断を積み上げていかなければならない。


痛烈な批判です。そもそもくだらないから四半期決算とかやめてしまえば良いのに。中長期的視野にたった経営を行う上での足枷でもあるし、決算発表がための棚卸、資料作成などの雑務など含めて良いことあるの?


一つ一つの決断に時間をかけてはならない。直面する課題の7~8割はその場で決める。これが第三の基本だ。2、3日検討するくらいなら、すぐ決断し、必要に応じて修正していくほうがはるかに好ましい結果が得られると考えるべきだ。


>持ちこたえる体力を一番に支えるのは、需要家との強い関係だ。これは一朝一夕にはつくれない。例えば、この不況下でもシンテック社は同業他社が軒並み赤字や大幅減益に陥った中で増収増益を達成した。それが可能だったのは、操業開始以来35年間、需要家との強い関係を全世界規模で積み重ねてきたからだ。好況のときに需給が逼迫しても、顧客に商品が提供できずに迷惑をかけるようなことが絶対ないよう努める。その結果、ロイヤルティ(継続して取引しようとする度合い)の高い需要家を多く確保することができた。好況期に積み上げた努力が不況期に生きるのだ。そのため、不況のまっただ中にある今も景気回復後を想定した努力を怠ってはならない。シンテック社は2008年秋、米ルイジアナ州に新工場を稼働させると同時に第二期工事にも着手した。タイミング的には決してよくはなかったが、体力の弱い企業が市場から去ったあと、需要家に商品を安定的に供給し、勝ち続けるための投資として決断した。むろん、今は残業をしてまでも建設工事を急ぐ状況ではないので、最低のコストで完成させるつもりだ。


結局モノを言うのは中長期的に培った信頼関係ということになると。焼畑農業的な経営を目指すならば別でしょうが…。


>日々の課題については真の情報をもとにその都度、最善の判断を一つ一つ積み上げていく。同時に中長期的課題については、不況を突き抜けたときの出口に向けて準備を整える。それが100年に一度の不況を克服し、最後まで勝ち抜くための私流の戦い方だ。(プレジデント 2009年7.13号)


好況の時こそ不況に対する備えをつくり、不況の時こそ、ただ縮こまるのではなく再飛躍のバネを蓄える機会として使うべきというご宣託でございました。



貨幣貸借に伴う高利の問題がある。アクィナスの基本的な立場は、以前のスコラ哲学者と同じように、高利は自然法に反するというものであった。その根拠は、アリストテレスの『政治学』における主張、すなわち貨幣の自然な使用目的は財の交換の媒介であり、貨幣は交換の過程において消費されてしまうものであって、貨幣がそれ自身で利子や利得の形で増殖するということは自然に反し、道徳に反するというものである。


利子を伴う貨幣貸借は、元本の取引と元本の使用との2度にわたって、貨幣を不当に使うことを意味する。そればかりか、一定額の貨幣が一定額と利子とを含んだ額と交換されるならば、等価物の交換という正義の原則にも反する。貨幣は消費されるべきものであるという観念の基礎には、貨幣は増殖することのない不妊物であるという観念があると解釈される。


                              塩野谷祐一「経済哲学原理」