無心の瞳を向けられてそれを疑う男なぞこの世におる筈もない。 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

いつものごとく反オタク国会議員リストさま 「ヲタクは監禁調教ゲームの影響によって何人か1人の確率で犯罪に走る」by住田裕子 なんですが(一つ前の記事で宮崎哲弥の名を見たときは「ブルータスよお前もか!」と暗い気持ちになりましたよ、漫画含めた書評とか好きだったのに_| ̄|○)

>警察の証拠隠蔽を幇助し、嘘に嘘を塗り固めた報告書によって何の関わりも無かった少年達に強姦殺人の罪を被せるとは、これを鬼畜の所業と言わずして何と言うのか。ヒィー(((゜Д゜)))ガタガタ。そういや謀略によって罪無き人を陥れ、自由を奪うというのは、監禁調教ゲームに登場する鬼畜主人公の常套手段でもあるよね(笑)。

↑本当自ら省みて恥ずかしくないものだけ石を投げて欲しいよ。今さらそのゲーム悪影響論というとんでもに組する知識不足をあげつらおうとは思わないけれど、本当こいつら厚顔無恥(知でも正解だけどさ)極まるよ!


文芸サバイバー? アートギャラリーで小説家を"展示"
>ニューヨークのアートギャラリーで、3人の人間が一ヶ月暮らす。彼らは観客の目に晒されながら小説を書く。テレビのリアリティ番組の出版界バージョンともいえる試みだ。

↑以前、確か渡部直己 のゲスト講義で聴いた覚えがあるのだけれど、小説家がいけていないのは音楽と違って客と一体となったライブ活動ができないことにある。ライブとは文字通り何が起こるかわからない、ハプニングもしかしたら死ぬかもというようなドキドキ感を共有することで、それが物書きでは共有し得ないというような趣旨だったと覚えている。その趣旨からすると上記の試みはイケテルのか???


以下 アニメ感想

「バジリスク」第6話

前回を捨て回にして見事にクオリティを回復させました(作画で一目瞭然)。お胡夷の胸や尻を強調した肉質たっぷりの描写と蛍火の陰鬱な眼差しの妖しさにあてられました。

脚本も素直に原作をなぞる展開で充分に満足です。ようやく甲賀の反撃が始まり、バカップルに悲劇の足音が聞こえてきました(私は陽炎好き~なんで朧なんて…)。


「ガラスの仮面」第7話

車のシーンだけ円谷プロの特撮ばりのちゃちな作画で笑えました。他のアニメだと演出過剰か演出過少のどちらかという気がするのですが、このアニメの場合どれだけ過剰にしても不自然にならないのが恐ろしい。

マヤの病床の役と一体化するために一晩雨に降られ、最後は白目の世界に逝ってしまう下り、そして高熱の中演技をしているマヤに水をぶっかける月影先生には笑いしかこぼれてきませんでした。二人の王子様、そしてライバルと舞台に役者は揃いました。


「いちご100%」第7話

もうだめぽ。どれだけパンツを見せようが、裸を乳を見せようが、あまりの作画レベルの低さに引くだけです。この作品から絵を引くと何も残らないどころか、見るものに不快感しか残らないというに…。放映終了と同時に私の中でアニメ作品の存在は忘却しますが、一応最後まで3倍速で見続けます。


「ムシキング」第7話
脚本;山口亮太
絵コンテ・演出;川口敬一郎 演出;平尾みほ 

( ・∀・) ………?

( ⊃∀・) ごしごし

( ・∀・) ……………

(  Д )         ゜   ゜

(((゜Д゜;)))ガクガク ブルブル

子ども向け作品でカマキリの交尾(雌が雄を食べる儀式)の有り様をもろに見せるなよ、ぼろぼろ食べかすがこぼれていますよ。

ただ、今週はまた本当に面白かった。カマキリの生と死が隣り合わせの生殖の図と、バサーの滅びの美学を正面から戦わせている。本来、自然現象に意味など無い。あるとすればそれは見る側のことで、生に意味があると読み込むポポと無いと断ずるバサーの対決、そしてバサーがポポを助ける下りの熱さは単純な善悪二分論など描こうとしていないこの作品の製作者たちの意気込みが見て取れる。

バサーがポポを助ける動機を考えると、生命に必ず訪れる死(それを全体に拡張して滅びと称している)という運命に対する確信と同時に希望を抱いてのことだろう。希望とは生の意味を個体から子ども、種、生命全体へと拡張可能か否かという受け継がれる生という普遍的な問いだ。バサー自身は自分の生自体全く執着していないと同時に、無意識かどうかは別として無意味な木彫りに興じているのが希望といえる。 私はバサーの価値観には深く共感を覚えるゆえに複雑な想いに囚われる。

最後、凄惨な犠牲の末に成り立つカマキリの卵の描写と、バビ姉さんが「そのときはそのとき。」と今後の村について楽観的な見通しを述べることからも分かるように、生とは意外としぶとい(その根は深く太く強い)。

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