中国に対する過剰なまでの対抗意識はきっと不安感からくるものだと思う。それは、自国が穏やかに(急激かもしれないけれど)衰退していくと(正確にはパワーゲームの主要なプレイヤーから脱落する)予測される中、自国よりも遥かに劣っていると思っていた近国が怒涛の勢いで成長しつつあり、早晩追いつかれ、追い越されるかもしれないという意識が問題の中心なんだろう。特にこの近いということが問題で、歴史や経済等大局的展望に欠けている大衆においても、不法移民(犯罪の巣窟とレッテルを貼られている)も含め、身近にもその溢れるエネルギー(経済・人口・軍事諸々)を感じるということなんだろう。
私はほどほどに豊かな生活水準を維持しつつ、いい意味で曖昧模糊としたこの「国のかたち」を維持するためには、日本の置かれた地理的優位を最大限に享受することだと思う。それはアメリカ及び中国(両国とも人口増=需要増)が繁栄することで、その間を繋ぐことなのだから喜ぶべきことだと思う。むしろ問題なのは、両国とも現在バブルかつ政治・統治手法に関して大いに不安感を醸成していることだ(特に中国は沿岸部と内陸の異常な経済格差、赤字国営企業の整理縮小に伴う大量の失業者、頻発する暴動、新興宗教の勃興と王朝崩壊の末期症状が歴史的に揃っています)。
ただこのような短期的問題はともかく中長期においては他に道はないのだから、できるだけ友好的な関係を保つことが大事。返報性の原理は基本的に働くものだから敵意は敵意を生むし、好意は好意を生むものです。徒らに敵意を煽り、それでもって内政に活かすという手法(両国共にね)は、最悪だ。一度生まれた悪意を無害化するのにどれほどの血と時間が必要となるかは、中東や印パを見れば火を見るより明らかだ。
何はともあれ遺族会の票目当てかどうかはおいておいても、その後も確信犯として繰返すあいつだけは許せない。国のために命を捧げた英霊も泣いています。またそれに安易に同調する人々は、国や歴史に自分の誇りとか存在意義を担ってもらおうと考えていないか胸に手をあてて考えてみたらどう?その態度は国益に叶っていますか?
愛国者;部分の利害の方が全体のそれよりも大事だと考えているらしい人、政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒を担ぐ人。
ビアス「悪魔の辞典」