模倣と盗作の交錯した関係についての論考 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

FNS歌謡祭、時代劇ファンとしては大石否、マツケンサンバを見なければいけないという義務感にとらわれて、見ていたんだけれど、冒頭に出てきたモーニング系の集団のあまりの景気の悪さに絶句。詳細はこちらのサイトを参照してください

人間にそもそもどれほどの独創性が備わっているかは大いに怪しい。ほとんどのものがそれまでの蓄積に対し、接木を重ねながら系統樹のように複雑化していくものに過ぎないだろう。人はそうやって進化してきたのだから模倣自体を恥じることはない、模倣を繰返すうちに独創性が芽生える例なんて山ほどある(日本のアニメだってそうだし)。

安倍嬢は自分のお気に入りの文章をメモっていてそれを安易に加工して使ってしまったという(まあ、ゴーストライターを使っていなかったということは明らかになった)。むしろその加工技術があまりにも稚拙だし(ほとんどそのまんま)、元ネタが安易だよ。もう少し工夫しようよ(例えば元ネタはマイナーなものを選択して、そしてお得意のサンプリングしていくつもまぜこめば分からないし、否定のしようがあるでしょ)?他にも語尾を総て「なの」に文章全体の雰囲気をぶち壊してみるとか、同じ盗作するにしても独創性を発揮してもらいたかった。

それにひきかえ、マツケンサンバ独創性ありすぎだよ。うわーん、これからはいくら真剣に忠臣蔵を見ていても涙で画面が曇りそう。