>「旅は愚者の楽園だ(中略)何処へ行こうが悲しみ悩む自己がいつも傍らにいる」
エマソン「自己信頼」
旅についての落書きを発見したので解読の上そのまま投稿。
山登りとは不慣れなことを始めてしまいました。時間についてという往年のテーマへの手がかりとはいえ、縄文杉は遠い。黙々と10時間近くも森と水滴立ちこめる中淡々と歩く。勢い悟りの境地には程遠い人間なのでこのようにとりとめもないことを考えながら歩く。
いくら良い景色、澄んだ空気とはいえいいかげんそればかりでは飽きてくる。暇潰しがなくなれば、己と向かいあわざるをえない。それは気持ちを滅入らせるというのがパスカル「パンセ」の論旨でしたね。私は無神論者だけど、いやそれだからこそ無為なときをいかに楽しむかが大事になってくる。
登山に近いから必然道も悪いし、上ったり下ったりとしかも帰りもあるかと思うとますます疲労、徒労感が募る。過呼吸による変性意識状態って下手したらトランス状態に陥りそう。山伏などの修行ってようは過呼吸からくる高揚感を悟りと勘違いしているに過ぎないし。
悪人と善人を同じ道にする方法は登山でへとへとにさせることだとか言ったのはニーチェだっけ。
登山家は全力で持って否定されるだろうけれど、登山の楽しみとは過呼吸からくる変性意識を除くと、学習心理学の言うところのショートステップ(RPGの楽しみ方)と同じだよね。あそこまで行ったら~が見える、あそこまで行ったら頂上まであと~kmとかね、細かくゴールを設定して達成感を味わうんだ。だって最終的にはスタート地点に無事戻ってくることが目標なのだから結果ではなくて過程にしか意味ないよ(←これは人生そのものともいえるけれどね)。
そもそも人が好んで「旅」をする意味ってなんだろう。
近代のツーリズムの意義(植民地支配→経営へ、交通手段の整備、見聞を広めるというステータス、外に理想郷を見出し翻っての自国批判など)をいったん保留する。
現代日本に関して考えると、海外から批判の高い貿易黒字(経常黒字)を海外に移転するため、旅行・航空産業の需要作りといった政治経済上の要請がまずある。
その上で広告代理店(旅、紀行番組とかね)を通して醸成された空気、同調圧力がある。「今度の休みは何処行くの?」という質問には旅行に行くこと自体が既定事項として含まれている。特に恋人・子供がいるものにとってはどこにいくかが重要な問題となる(何処にもいけないのは可哀相という評価付けをされる)。
それはボードレールの言うところの記号論的操作(=ものそれ自体の使用価値に基づくのではなく、帰属を示すために必要とする)として、~へ行って~をしたということという話題及び自己定義を図る(~をできる自分)ということ。
では内発的な動機付けにより旅に出たいと思うのはどういうことだろうか?
失恋でも卒業でも何でも良いけれど要は人生における転機を迎えて、あるいは転機にしたい場合だ。
これは民俗学でいうところの「通過儀礼」にあたるのだろう。つまり擬似的な生と死を体験することで今までの自分とは違う誰かになる(なった気持ちになれる)ことが効用なのだろう。
心の迷宮には明確な出口はない。心そのものが迷宮なのだから、迷宮の外に出たと思えたとしてもそれは一時的な錯覚に過ぎない。それはまた新たな迷宮に入り込んだことを意味しているにすぎないのだから、迷宮の外部も迷宮なんだ。
>「迷宮を去るものだけが幸福になれる。だが幸福なものだけが迷宮から逃げ出せる。」
ミヒャエル・エンデ「鏡のなかの鏡」
そこで心理的問題を物理的問題(旅)に置換するのだ。旅においては明確な入り口と出口がある。即ち出発と期間が明確であり必ず元の場所に帰るのだ。視覚化した結果、問題を解決したと思うことができるのである(所詮それも錯覚だけれどもね)。まあ、付随して何か思い出ができれば儲けもの、ただそれも心象風景であり、関係性に関する何かであり、百聞は一見に如かずなどというのは信じがたい。味覚にしろ、視覚にしろ五感に訴えるもの等は総て知識に括れて、そのようなものはこの情報化社会において、場所的な限定性はほとんどありえない。すると残るのは愛情とか友情を暖めるということだがそれこそ場所はどこでもいいという結論に帰着する。
…というのが前段とすれば後段は、そのようなことを考えながらする旅などというものは身も蓋もないということだ。固有の意味を剥奪して、還元していった果てに残る何かは妄執とでもいうべきもの、現象学というのは不幸なのか平安なのか。
>「人の一生は重荷をおうて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足無し。心に望み起こらば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くることしらざれば害その身に至る。己を責めても人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」
徳川家康(現在では後世の人の創作と言われています)