「首相に浜口を語る資格なし」
、引き続き代表質問ウォッチング継続中
以前、議論についての考察
をしたが、なんだか空しさがより募ってきた。ここで引用させていただいたサイトにもあるのだが、無駄なことわざとか比喩を使用しても分かった気がするだけでなんら問題は解決しない。
今回はちょっと「浜口雄幸」という例えを用いることについての試考。
おそらく政治家の皆さま方の元ネタは、城山三郎「男子の本懐」
だと思う。確かに歴史小説としては面白いと思う。ただ、それでもって現実に政治を語る人ってはっきりいって痛い(何かといえば「この国のカタチ」とかいう輩もね)。
浅田彰
氏はかつて講義で政治家が歴史を引用するならば、ギボン位にしてくれとぼやかれていたが、そのような教養主義とは別に問題があると考える。
浜口雄幸、井上準之助コンビが実際に命を賭けて政治に取り組んだのは事実だろう(実際、片方は銃撃され、片方は暗殺された)。ただ、その意志がいくら気高く善意に溢れるものであろうと、一国の政治を担う者にとって結果が総てだ。はっきりいってどのように汚れた人間だろうが、国益を守り国を正しき方向に導けば偉大な政治家であり、結果を残せなければ無能な政治家に過ぎない。
>『進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって本当の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救われるか、俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。』
臼淵大尉(←吉田満「戦艦大和の最期」)
改めて両氏はどうだっただろうか?この点、岩田規久男 編「昭和恐慌の研究」
で充分に明らかになっている。つまり、両氏の金解禁にこだわった緊縮財政政策は典型的な失政だったということだ。
戦争前後の好景気をバブル=悪と断じ、耐えることで足腰の強い経済が再生するという精神論で持って突っ走った(なんだか今の構造主義というお題目とそっくりだ)結果、経済に壊滅的な打撃をもたらしその生活苦の中から政治への失望と軍部への期待が国民の中で育っていった。その後、高橋是清蔵相が今で言うリフレ政策でもって経済を再生させた。しかし、時既に遅く充分に力をつけた軍部が国民の支持の下戦争に突入していった。
歴史を鏡とするならば今の状況の歪さがそれこそよく分かる。不況だといえば構造改革を処方箋とし、単なる景気循環で若干景気が改善すれば構造改革のおかげとし、景気が悪化すれば構造改革が足りないとする。なんだかラビリンスに迷い込んだようですってどこかおかしくないですか?
臼田大尉ではないけれど、この失われた(つつある)十数年で数百兆の資産が失われました。これは立派な経済敗戦といえます、しかし負けても目覚めないとしたら残るは絶望か…。
>『焦りと後悔は何の役にも立たない。焦りは新たな焦りを呼び、後悔は新たな後悔を呼ぶ。』
ゲーテ