オタクにかこつけた俗流若者論 | あざみの効用

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小寺信良「日本人はなぜオタクとなり得たか」 をまずはお読みください。

エエェェ(´Д`)ェェエエ

1ページ目は極めて無味乾燥とした内容でなんら問題ないというか、何もないのですが…2ページ目からネオテニー をキーワードに小寺氏の暴走、妄想の垂れ流しが始まります。

もう、どこから突っ込んだらいいのか呆然としてしまうのですけれど、丁度本日TBを頂いた後藤和智さま「正高信男という頽廃」 の労作を参考にさせていただきたいと思います。

>「日本人はネオテニー化した人類」という仮定の元に考えてみる。

思想信条の自由が保証されている以上、仮定をたてて考えるのも自由です。


>ネオテニー化した要因は、寒さに対する耐性を高めるという環境適応のためであるが、ネオテニー化したこと自体のメリットは、精神的にも肉体的にもいつまでも若いということである。

早産が寒さに対する適応度を上げるという仮定を受け入れるとして(これも非常に怪しいですよ、ネオテニーは人類全般において単に脳の巨大化にともない進化したというのが一般的仮説ですから)、どうしていつまでも精神的、肉体的に若いというメリットがでてくるのかが分からない。そもそも成長が遅いということは適応度を上げるという点ではそれだけ子孫をのこせるようになるまでコストがかかることを意味しメリット足りえません。また、そもそもどうしてネオテニーだといつまでも若くいられるのですか?こんなところに人類の悲願のひとつである不老不死のヒントが隠されていたとはノーベル賞級の発見です!


>ネオテニー化がオタクの要因だとするならば、中国人も韓国人もオタクにならなければならない。だがオタクが日本で発生したからには、それ以外の要因とセットになっていると考えるべきだろう。逆にその他の条件が満たされたとき、それらの国もオタク化する可能性があるということにもなる。
 筆者が考えるそれ以外の条件とは、ある程度の経済的な余裕、そして安定した物流システム、および情報ネットワークである。カネ、モノ、情報という条件を、日本では比較的早期にクリアすることができた。

進化生物学における「常識」「一般教養」として行動の結果は進化をもたらしません。またその行動が次世代に受け継がれていくということはありません。これらは始祖たるダーウィンが既に指摘したことで「ラマルク説」として今では退けられています。進化は遺伝子の突然変異と自然淘汰を経て「種」単位ではなくて「個」単位の蓄積で起こります。

例えばあなたが焼け食いして肥満になったからといってその子どもも肥満になるということはないということです。子どもが肥満になるのは肥満にかかる遺伝子(脂肪を蓄える)の多寡に関する遺伝と子ども自体の生活環境によるものです。


「オタクの果てにあるもの」と題して延々と語られるのはどこかで既視感の漂う俗流若者論…。一体どこがオタクと関係あるの?

>その場合に、相手のこだわっているデリケートな価値観へ探りを入れつつ、自分の意志を伝えようとするならば、「仮定的提案型」という奇妙な言い方にならざるを得ない。もはや謙譲語、尊敬語、丁寧語だけでは、微妙な機微のバリエーションが足りなくなってきているのかもしれない。

せめてオタク論を語るならば「オタク」という一人称の起源がコミケなどで見ず知らずの他者に対する呼びかけにあるという説くらい触れて欲しいものです。


>もともとネオテニー化した社会は、人間は成熟するまでに長い時間を要する。本来はもっと家庭内で長い時間をかけて教育していかなければ、大人にならないのである。だが戦後の日本では、教育や家庭環境、社会のあり方まで欧米に習ってしまったために、未成熟な状態の人間が大学卒業を境に、社会に送り込まれるようになった。子供の精神のままで経済力を身につけた者が、オタクの本質であるとも考えられる。

日本人がネオテニー化したのが昨今の高度経済成長にともなう環境の整備にともなうものとしている。しかしその解決策として家庭内での教育云々があげられるのはどういうことなのだろう?高等教育が家庭の関心事として湧き上がったのは高度経済成長を期とするもので時間軸がおかしい。つまり1970年代から高校進学、そして大学進学が一般化していく(つまり教育熱心な親が増えた)、オタクが析出してくるのは1980年代半ば以降なので彼の説をとると親が教育熱心になったことこそが元凶になってしまう。


>さらに今後の課題として、経済的に余裕がありながらやりたいことが見つからないので働かないニートと、同じ条件でありながらやりたいこと、知りたいことがありすぎるオタクとの分岐点はどこなのか、社会学的にちゃんと洗い直すべきだろう。

ニートのオタクなんて山ほどいると思うんですけれど…。ニートとオタクの層は混じらないのですか、そうですか。

このようなオタク論(以前大谷昭宏 を検証した際も書きましたが)に関しては彼ら自身の問題がそのまま噴出しているに過ぎない。「フィギュア萌え族」などという存在を妄想する人間こそがそれこそ「フィギュア萌え族」を妄想するという意味で「フィギュア萌え族」なのであり、「ゲーム脳」などという妄想を垂れ流す人間自身が「ゲーム脳」なのであり、「ネオテニー」仮説を垂れ流す人間自身が「ネオテニー」に当て嵌まるんです。



Comments
猫さんコメント本当にありがとうございます。猫さまが指摘されている点は最もだと思います。私自身常に言葉遊びになっていないか、固定観念に縛られていないか、単にある人が「~言った」ということのオウム返しになっていないかということは自省を試みていることであります。

ただ今回できうる限り元の文を引用したように専門用語の誤用でもって科学的裏づけがあるかのごとく体裁を整えているのは小寺信良氏だと判断しこのような記事を投稿させていただきました。この点は「知の欺瞞」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000056786/249-6052562-6361132 (←これも誰かが~言ったの例にすぎないとは言わずできれば一度お読み頂ければ幸いです)でも指摘されているように専門用語をその他の分野で使うことは問題ではないです。問題なのは誤った使い方、この場合ならば進化生物学の基本的知識であり、本来の「ネオテニー」の意味に過ちがあるということを問題としているわけです。その言葉の誤用という点を除いても猫さんのおっしゃるように現代社会一般に通じるとことではなく、日本のみにオタクが出現した(←これも事実認識として間違っていますが)理由として用いてらっしゃいます。そしてネオテニーという唯一の根拠らしきものに誤りがあった場合彼の議論全体が空虚なものにすぎないということを指摘したかったわけです。
commented by 遊鬱
posted at 2005/03/13 21:09
そもそも成長が遅いということは適応度を上げるという点ではそれだけ子孫をのこせるようになるまでコストがかかることを意味しメリット足りえません。

>成長が遅いということは、小寺氏の意味合いとしては、好奇心が薄れる時期が遅いという意味だと思います。

これは、現代の文明社会では非常に重要な要素です。
つまり、物事を考えようとする自発的な意欲が他の動物などより長期間続くということで、これがおそらく他の動物にはあまりない人間の思考の深さなどに十分影響していると思います。

この思考の深みが結果として、人類の現代の文明を生んだ原動力といえると思います。
 思考の深みがないスピードは、現代社会で人間の子孫を残すという作業においても、かえって成功はしないでしょう。
(結局のちのちコストがかかるのはどちらでしょうか)

そもそも、一般的仮説というものからはあまり新しい発見はありません。私は電気回路、ソフトウェアの設計を仕事としている30代の男ですが、未だになにか新しいものを自分の力で発見することに喜びを感じます。
 その他、何かを物に触れながら追求することも好きです。(理論(文字)だけで追求するのは単なる言葉遊びになりかねないので)
この業界にはよくあることですが、物事を固定概念で考える人は何も生み出しません。(えらい誰かがこう言うから正しいとかいうこと)
 本で偉い人がこう言っているからとか、特許でこういうのが登録されているから正しいとはかぎりません。いろいろなひとがなかなか結論を出せないようなことについては特に言えると思います。(極端なことを言うと昔誰かが言った天動説など、今は地動説が支持されていますが、何かが原因で覆るかもしれません)
 たしかに誰かが過去に言ったことを頼りに生きていくのは大きく踏み外すことはないと思いますが、大きく思考をリードすることも難しいでしょう。
commented by 猫
posted at 2005/03/13 16:40
コメントありがとうございます。

かつて認知科学の分野で澤口氏は俊英として鳴らしておられたのに…どこで道を踏み外されたのでしょうね。いわゆる「自然主義の誤謬」を地で行かれる人が多すぎです。
commented by 遊鬱
posted at 2005/03/09 22:48
 澤口俊之、ですか。この人も俗流脳科学の伝道師として、森“ゲーム脳”昭雄氏と並んで有名ですね。
 かの文章の書き手には、森川嘉一郎『趣都の誕生』(幻冬社)を読むことを薦めたい。
commented by 後藤和智
posted at 2005/03/09 19:50