個別事象と全体像、具体と抽象の狭間について | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

『一人の個人の中に同時に存在する互いに相容れない観念の心理的対立は適切な条件のもとでは、当人の行動に信念を適合させることを導く動因を生み出す。当人の信念に適合するよう行動を変化させるのではない。』

            フェスティンガー「認知的不協和の理論」


なにについてのエセーなのか…事物に似た構造を見出すということと、似た構造があるからといってその背後に単一の設計者を想定することへの飛躍に関しては慎重にも慎重であるべきということ。

「分断される日本」(著)斎藤貴男
巻末に触れられているように出版にこぎつけるまでにその権力批判に波風を立てたくない出版社の腰が砕けて二度も版元が変わったといういわくつきの本。別段「紙の爆弾」などと違って直接権力が介入しているわけでもないに関わらず、自主規制、萎縮してしまうなど言論人の風上にもおけないけれど、まあ時事的ルポ・評論集ですが政府、警察、大企業(トヨタ、JR東海)、有力政治家と逃げたくなる気持ちも分からないでもない。

基本は日本の米国化、二極分化という階級社会化が推進されていることにたいする危機感、そして推進する側に対する怒りがみちみちています。そういった社会を維持、安定化する装置として、教育改革という階級固定、そして不満を抑えるために警察国家化がなされているという筋書きなんですけれど…個々の事件に関する危惧は共有できても大きなところでついていけない。ゆとり教育だってつめこみ教育、学力偏重に対する不満を吸い取ったものだったし(そして現在反動がきている)、監視カメラだって図らずもインタビュー内で拾っているように市民が自ら望んでいる(そしてその効用のなさを知り、コストに意識が向けば変わるだろうと考えています)。嫌韓だってニュースを追っているものからすると捌け口というよりも報償の原理が働いているに過ぎない。そんな大きな潮目があるというよりも、個別具体でその場その場限りの欲望が拾われ増幅されているということなのではないかと。

斎藤氏はインタビューにより、関係者の本音を暴露し、結果的にどういう思想に基づいた動きが生じているかを露にするわけですが、先に結論ありきになっていないかと思わざるをえない。例えば三浦朱門、江崎玲於奈氏に対するインタビューは有名ですが、この本では先に大きな軸を設定しているためか、あるいは評論集という扱いからか物理的に各トピックの分量が短いためか意外性がない。単に斎藤氏が見たいものを見ているだけではないかいう気がしてならない(各トピックそれぞれへの批判については共感できるとしても)。

その点、当書で一番の読み応えがあったと感じた保守主義者として名高い佐伯啓思教授とのインタビューで指摘されている。つまり、ビッグブラザーのようなオーウェル的特定の権力者のもとでこれらの動きがあるのではなく、まさに国民がなんとなく不安になって、それをなんとなく緩和してくれそうであると感じた施策、政治家(それがたとえ下劣なものだとしても)を支持しているだけということ。もちろんそのなんとなく(「空気」と言い換えましょうか?)を利用せんというハシッコイ人間もいるでしょう。ただ、いずれにせよ、往々にして後に後悔、忘却するかもともかく国民自身が望んでいることに過ぎない、悲しいことに。

なお佐伯教授に関しては、Let's Blow! 毒吐き@てっくさまが転載されている見失われた「この国の価値」を求めて をご一読ください。その国を礎とされた保守思想、観には右左の区別なく少なくとも思料となることでしょう。

犯罪対策閣僚会議(第7回)・青少年育成推進本部(第3回)合同会議 にずらっと並んでいるトピックなどもまさにその通り。それがたとえ根拠のない「体感治安」の悪化に基づくものに過ぎなくとも、国民の要望を吸い上げるのが政治である以上、そこに権力者の欲望、陰謀のみを見出すというのは間違っているのだろうと思う。実際に情報、防犯産業への天下りがなされている以上そこに善意のみがあるとは絶対にいえないが。「空気」は一個人がどうこうできる代物ではない。もちろん一個人、一個人のなんとなくが集積したものが「空気」へと至るわけだけれど。

表情読み取るコンピューター 米英で開発進む
>人間の表情の変化から気持ちを読み取るコンピューターの開発に、米マサチューセッツ工科大と英ケンブリッジ大の共同チームが取り組んでいる。ビデオカメラで相手の顔の動きをとらえ、これを特別なソフトウエアで自動的に分析する。ケンブリッジ大のピーター・ロビンソン教授によると、これまでの研究で24種類の表情の識別が可能になっている。

>技術の応用分野はいくつか考えられる。チームが想定しているのは、インターネット上の広告を見る人の気分によって調整したり、ネットを通した授業で生徒が内容を理解しているかどうかを判断したりする場面。また、車のダッシュボードにカメラを取り付ければ、運転者が眠気に襲われたり、道に迷ったりした状況を察知し、事故防止につなげることができる。

欲望=需要あるところ、技術の進歩=供給として応えられていくのが資本主義の常と。この技術はもちろんそこらぢゅうにばら撒かれた監視カメラに組み合わされて不審な行動をとる人物を自動的に追跡、捕捉というように使われることになるでしょう。

論座2006.8月号◆「子どもの安全」を考える 携帯、ICタグ、監視カメラ、街角ロボット… IT技術は小学生を守るか

●子どもが犠牲となる事件がメディア上をにぎわせている。登下校の安全を守る取り組みも盛んだ。小学校の実態を紹介し、安全目的の情報技術が社会に与える影響を考える。

そう問題は題名に含まれているとおり、メディア上をにぎわせて「空気」の醸成、強化につとめていることなんですが…。結局この記事も全体を通してその片棒を担いでいるだけですね。

>愛称は「まもるっち」。品川区が2005年秋に実用化した「近隣セキュリティシステム」の専用端末だ。PHSと防犯ブザーの機能をもち、区内の小学校40校に通う児童およそ1万2千人に配布されている。仕組みはこうだ。登下校中に何らかの危険を感じた児童が「まもるっち」のストラップを引っ張る。すると、防犯ブザーのピンが抜け甲高い警報音が鳴り出すと同時に、品川区役所内に設置されたセンターシステムと音声がつながる。

「たまごっち」が元ネタ?子どもを繭の中で大人の自由に育てたいという欲望の現われとはいいませんが、雛見沢村を機械的に構築しようということみたいですね。

●地域の「防犯力」刺激策
>「品川区の子は『まもるっち』を持っている、というアナウンスによる抑止効果もある」と指摘するのは市川一夫・区教委参事だ。市川さんは「まもるっち」を、地域コミュニティに培われてきた「防犯力」回復のための刺激策ととらえている。

過去形でしかもどこの過去に追い求めているのか疑わしい美化された過去にあった「はず」というコミュ二ティが、今ここに守る=敵の存在という大義名分を前提に立ち上がる!

>2学期には新たに、区立小学校全校に監視カメラが設置される。芳水小では、見通しの悪い交差点に交通指導員が立つ。まもるっちが狙いを定める「登下校時の連れ去り」だけが危険な場面ではないということだ。現に、品川区PTA連合会では「83(ルビ=はちさん)運動」も提唱している。登下校時間帯の朝8時と午後3時に、地域の大人が家の外に出て、花に水をやったり散歩したりしながら子どもたちを見守ろうという取り組みだ。

品川は学区制をとっぱらっている以上、ご近所さんが顔見知りとは限らないし、果たして善意で見守っているのかどうかということも疑い出したらキリがないんじゃないの?ゲーティッド・タウンでもそうだけれど、もともと内部にいる場合はどうするんだろう?重大犯罪は見知らぬものが起こすよりも顔見知り(例えば家族)の犯行の方が多いのではないのかね?

●親子間のプライバシーは?
>セコム(東京都渋谷区)が01年4月から提供している「ココセコム」は、東京のオペレーションセンターが全国をカバーする。GPSとau(KDDI)の通信網から得られる位置情報を利用して、子どもが身につけた専用端末の位置を割り出す。さらに依頼に応じて最寄りの拠点から緊急要員を急行させる。位置情報提供と緊急通報サービスは対人向けの機能で、車両、ペット、金庫用などを合わせた全端末のユーザー数は、今年3月末で26万9千件を数え、子ども(保護者)と高齢者が半数を占めるという。

>対人サービスは、1件当たり5千円の加入料金、月額800円の基本料金のほか(端末はレンタル)、位置情報確認はインターネットの場合1回100円(毎月2回まで無料)、「現場急行」1件1時間あたり1万円(以上税別)がかかる。また、家庭と子どもの間だけで安否確認が可能な「しらせてコール」(月額100円)などオプション機能もある。同様のサービスには他社も参入している。
 
>また、今年に入って、子ども向け携帯電話も発売された。NTTドコモが3月に発売した「キッズケータイ FOMA SA800i」がその代表例だ。「子どもが大人用の携帯電話を使う光景を目にしたのがきっかけ」と同社マーケティング担当の岡野令さん。保護者などと簡単な操作で通話できる「直(ルビ=ちょく)デンボタン」、漢字表記をひらがなに切り替える「キッズモード」のほか、防犯ブザーなどオリジナル機能をつけた。発売2カ月で契約が12万台に達し、うち9割が新規契約で、低学年の利用も多いという。また、「イマドコサーチ」(月額200円=税別)を併用すれば、親が子どもの居場所を検索できる。キッズケータイでは、防犯ブザーを鳴らした場所や電源を切った時点での位置情報を自動的にメールで送信することも可能だ。最初の設定時、またはそのつど位置情報を検索される側の許可が必要になっている。「持っているだけ、持たせているだけではなく、親子間でよく話し合って、よく理解したうえで使っていただくことが重要」と岡野さんは言う。
 
●ICタグは万能か?
>一方、携帯端末以外の新技術を利用したセキュリティーも広がっている。大きなトレンドは、無線ICタグ(RFIDタグ)を用いた登下校管理だ。バーコードの次世代版と言えるICタグは、商品管理や食品のトレーサビリティ(生産・流通履歴)などの分野で期待されるIT技術で、ID番号などを記憶させた超小型ICチップが埋め込まれている。「物流や家畜用に開発されたICタグを人間に使うのか」との批判もあるゆえんだ。
 
>立教小学校(東京都豊島区=約720人)の「登下校管理システム」は、ICタグを用いたセキュリティーシステムの草分けだ。校門にICタグのリーダー(読み取り機)を取り付け、児童一人ひとりの登下校時間を記録。保護者やクラス担任が、子どもの登下校時間のデータを専用ウェブサイトで閲覧できる。さらに、両親の携帯電話や自宅PCなど最大三つの登録メールアドレスにも、登下校ごとにメールが送られてくるという仕組みだ。

カタログでも眺めているようですね。「体感治安」の悪化に伴い付随するアイテムが続々と登場中。いったんこうなると供給側の思惑というものも考えざるをえなくなるでしょう。軍産複合体ならぬ警産複合体みたいなね。
 
>導入を進めた石井輝義教諭(情報科主任)は「動機は、どちらかというとセキュリティーよりも利便性にありました」と語る。導入当時、問題となっていたのは、02年度スタートの「異年齢交流」での出欠確認だった。各学年3クラスを1~6年の「縦割り」にして、朝礼や給食などの時間に3グループで行動するのだが、担任の目だけでは、どうしても見落としが出る。その頃、富士通が開発した侵入者検知システムを知って、この技術を出欠管理に応用できることに気がついたという。
 
>「教師の仕事の一部を肩代わりしてもらうことで、生身の子どもと接することに集中できる」。今後はさらに、記録を時間順にソート(並べ替え)して仲良しグループを割り出す、長期欠席児童を把握するといった可能性を考えている。

>さらに、技術開発やシステム導入時の「議論」の重要性も強調する。校門を出たり入ったりして遊ぶ子、ランドセルを放り投げる子……。開発当初、参考に登下校風景のビデオを見た富士通の技術者たちは、子どもたちの「予想外の動き」に驚いたという。文系出身の石井さんたちが開発段階から加わることで、現場のニーズや社会的倫理までふまえた議論をした。「何度も手直ししました。ごく一部の技術者が専門知識を専有して突っ走られたら困りますからね」と石井さんは言う。

こうして需要が需要を生み出していく。「生身の子どもと接することができる」ってこうやって監視で得られた情報に基づいて管理するの間違いじゃないの?

●新たな実験が続々と
>実際に、子どもに大きな被害が出た学校は、どういう対策をとっているのだろうか。01年6月の児童殺傷事件から丸5年が経過した大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校(約700人)では、数多くの安全対策が試みられてきた。外部からの侵入者を防ぐため、04年に校舎を全面改築し、校舎全体の見通しを確保。日常的に使用する門はひとつにして、警備員が常駐する。監視カメラも設置され、4月には、そのモニタリング用として画像解析・警報システム「ナイス・ビジョン」(アイティフォー社=東京都千代田区)を導入した。イスラエルの会社が開発した技術で、リアルタイムで画像データを分析して、侵入者の動きをモニター上の赤い丸と警報ランプで示すことができるという。さらに同社は、「お守りキッズ」と名づけたGPS防犯システムの実証実験を池田小を含む大学附属の3校で7月に開始する。また、信和エンジニアリング(東京都板橋区、小川清志社長)と大教大の学校危機メンタルサポートセンターが、「登下校時の連れ去り防止」を目的に「児童登下校通学路安全管理システム」を共同試験中だ。学校と最寄りの阪急池田駅の間は子どもの足で約20分。児童の登下校経路と所要時間を登録しておき、児童が身につけたICタグ(電波バッジ)を校門や通学路のカメラ付き管理ポイントで検知。異変を検知すると学校へ警報が届く。2月に実験を開始して、任意・有料で年度内の実用化を目指している。「地元小学校との共同運用も視野に入れています」と津田一司副校長は言う。
 
いったいどこの国の重要機密施設なんでしょうね?

>1個数千円のICタグと1台数十万円のリーダを設置できる場所は限られる」と言う。運用費用は電池代(年間100円程度)と安価だが、初期投資は百万円単位になる。それでも、携帯電話を全児童に持たせた場合に比べれば破格の安さだろう。

>大阪市南部の閑静な住宅地にある私学、帝塚山学院小学校(大阪市住吉区=約750人)も同様のシステムを導入している。附属池田小と同様、帝塚山学院小も遠くから通う児童が多い。昨年9月にNAJ(大阪市中央区)の登下校管理システム「見まもメール」を導入したきっかけは、PTA役員の提案だった。校舎出入り口に4カ所のセンサーが設置され、児童手帳に入れたICタグ内蔵のICカードをかざすとその児童の登下校時間を記録し、保護者にメールが届く。「最寄り駅や乗換駅の公衆電話に列をつくって『今から電車に乗る』と親に電話する光景がなくなりました」と山本卓校長。児童の9割以上が加入しているという。

>さらに二つの最寄り駅(南海電鉄・帝塚山駅、阪堺電気軌道・帝塚山三丁目駅)周辺に監視カメラを設置した。こちらは、NAJを含む企業・自治体・学識者などで構成される「大阪安全・安心まちづくり支援ICT活用協議会」(大安協)の実験だ。会の了承を得れば記録映像を見ることができるが、何もなければ一定期間を経て消去される。「電車通学者も、駅までの安全が確認できれば少なくとも自宅の最寄り駅までは安心でしょう」(山本校長)。

そのシステムは誰が常時見守るの?確信犯に対しては無力でしょ?

>「大安協」が関係する実験には、こんな例もある。大阪市立中央小学校(同市中央区=約600人)周辺では今年2~3月、「街角見守りロボット」を用いた「街角防犯システム」を実験した。児童100人とその保護者、さらに地元の駆けつけ協力者60人強を組織。実験に用いた自動販売機には、緊急押しボタンとICタグのリーダー、タグに連動して撮影する監視カメラといったスーパー防犯灯的な機能を取り付け、緊急時には管理センターや協力者などに通報が届くようにした。10台のうち3台は防犯情報を提供する表示パネル付きだ。自販機でカバーできないエリアには、小型PCを流用した無線基地局をボランティア家庭に配置した。
 
●「安全」と「便利」の両立
>しかし、屋外向け情報端末の設置には諸手続きと初期費用が必要となる。これは「自販機王国」のポテンシャルを生かさない手はないと西尾教授は考えた。メーカー側からは「高付加価値化と社会貢献」という理由から協力を得られた。一方、大阪府・市の狙いはITによる防犯コミュニティ作りにもあった。「地域の住民同士を結ぶ一助としたい」と大阪市の寺岡信太郎・情報化施策担当課長は説明する。中央小周辺は寺町、商店街などの古い町並みと新しいマンションやオフィスビルが混在するエリアだ。実験によって新旧住民が融合するきっかけになるという。西尾教授は説明する。「公立小学校やPTAがコミュニティー再建の核です。上意下達型の組織ではなく、横のつながりを促進する必要性を感じています。今後は、送迎の分担を保護者同士で相談するなどといった日常の近所付き合いを支援する地域SNSやブログが有効かもしれません」ただし、こうした技術や実験が、地域コミュニティーにマイナスに影響することもあるだろう。極端にいえば、犯罪抑止に熱心になるあまり、地域内が「相互監視」に陥る危険性もないわけではない

ないわけではないってくだらない文句ですね。とりあえず、いつまでもそんな戦時体制のような緊張感を持続することはできない以上、馴れやら面倒やらを抱えつつそのうちに持て余すだけの陰湿なことになると思います。

>「子ども自身が身を守る」ことの有効性を強調するのは、立正大学の小宮信夫教授(犯罪社会学)だ。小宮教授は、実践的な安全教育のためのツールとして「地域安全マップ」作りを提唱している。ハード面での安易な対応には批判的で、「技術まかせで子どもの判断力が育たないとしたら問題です」。防犯ブザーも携帯電話も、子ども自身が自分の危険を察知できなければ意味がない。一方、一部で広まる犯罪発生マップや不審者マップは、知的障害者や外国人など地域共同体内部の異質な存在を排除してしまう恐れもある。子どもたち自身が地域を歩いて危険な場所を体感・判断する地図作り体験こそが、子ども自身の危機対応能力を磨く、と小宮教授は考えている。
 
小宮教授で総括ですか、そうですか。どうみても普通に両立可能な提案です、ありがとうございました。随分と子どもを信頼されていることでとその点にむしろ驚きでございます。

MIYADAI.COM「全体性の消失──IT化に最も脆弱な日本社会」前半 後半

>十年前になりますが、97年の『まぼろしの郊外』で、インターネットは良くも悪しくも「摩擦係数が低いコミュニケーション」だと表現しました。摩擦係数係数が低いとは、距離コストや探索コストが低下することを言います。良い面だけで済むことはあり得ず、悪い面が前面に出てくるとマズイことになるだろうと言いました。

摩擦係数の低いコミュを賞賛しているとばかり思ってました。この種の管理に関しては串を通せば問題ないとか言ってなかった?

>インターネットのこうした「摩擦係数の低さ」を、統治権力は、場合によっては利用し、場合によっては制約しようとします。利用するという側面では、摩擦係数が低いことを利用したポピュリズム、とりわけ「不安のポピュリズム」が横行しています。選挙時のネガティブ・キャンペーンと「断固・決然」の煽りが典型的です。

これも韓国大統領選絡みで若者たちを賞賛していたよね?そして同じ連中がノムヒョンを選んでいるんですよ?この種の掌返しはあまりいただけない。柔軟性の表れとしての宗旨変えは大いに結構なことだと思いますが、過去の自分の言動くらい参照すればいいのに。

>『法の概念』で有名な法理学者のハート教授によれば、全てのルールにはグレイゾーンがあります。著作権で言えば兄弟や友人の間で本やレコードを貸し借りする振舞いです。法実務家は、それらが昔からどう処理されてきたか、別の法律で似たケースがどう処理されているかを観察して、遂行的に対処するというわけです。レッシグ教授が問題にするのは、ネットアーキテクチャによる規制がグレイゾーンを消去することです。人々が慣習的に遂行してきた振舞いによって支えられてきた人々の利益と企業利益とのバランスが、法適用の厳格化で崩れてしまう。これは合衆国憲法の精神に反するとして、厳格化を法的に禁止するべきだと提言します。

宮台氏の消費の正しい仕方はその主張を無視して、この種の断片的知識をざっくりと参照すること、それに尽きるのではないかと。信じるものは「あえて」でしたの後出しでバカを見ますw

>一口で言えば、冷戦体制終焉によって「米国という正統性」が揺らぎ、米国追随行為が不人気になって、国際的影響力が低下する。奇しくもIT化が進んで権力源泉が金から情報へとシフト、省庁のサバイバルをかけた権益争奪戦が起こり、そこに政治家や私企業が噛む。結果、全体性を把握しようとする志向が社会から消える

リアリズムの名の下に米国への追従しか選択肢がない状況、少なくとも日本では米国という正統性のどこが揺らいでいるのかが分かりません。世界的潮流について指摘している文章と把握すると、後段は日本についての指摘であるので理解不能。階層社会化やら新自由主義やらアメリカによる日本改造やらの言説にすぐに総ての問題が絡めとられるのが全体性でなくてなんなのか?このエセーの趣旨は全体性でもって把握しようとする志向(結果、細部ではともかく、議論のレベルが上がる過程で粗雑な代物に成り果てる)が強すぎないかということですので実に良い例です。

>「尻馬・勝馬」的な権益争奪戦との関連で重要なのが「統合シンボル問題」です。どんな社会でも経済がうまく回ること自体が統合シンボルになります。逆に経済がポシャると統合シンボルが問題になる。それが90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれた背景です。これに小泉改革による過剰流動化が拍車をかけました。

これが全体性を把握しようという志向でなくてなんなの?それは宮台氏の把握の仕方も含めてですが…とりあえず日本固有の状況と、普遍知としての欧米の状況を全体的に捕らえるのはやめたほうがいいかと(別に日本が特殊社会だと言っている訳ではないよ)。それに経済がポシャらなくても統合シンボルが問題となることなんてそれこそアメリカのキリスト教原理主義がITバブル期に普及したことを思えばね。

>重大なのは全体性を見通す“大ボス”がいないこと。アクセンチュアが見通しているかといえば違う。自分が納入するアーキテクチャの、誤用濫用を含めた潜在性について、むろん官僚よりは知っていても、市場競争と技術開発のクロックスピードが早く、潜在性を検証し尽くすようなフィージビリティスタディは不可能なのです。

おそらく全体性でもってくさす輩は自分は、良い悪いは保留しても自分(だけ)は見通しているという自負があるのでしょうね(私も含めてですか?(∩゚д゚)アーアーきこえなーい)

>ノーマライゼーションに抗ってプラットフォームを保全するには格差が不可欠だというのは、重要な智恵です。欧州にも米国にも格差社会が悪いという発想はない。欧州では底辺の幸せが保障されれば、階層上昇機会が乏しくても格差OKです。米国では、底辺にも均しく階層上昇機会が与えるなら、底辺が相当低くても格差OKです。

そうですか?少なくとも日本では格差がない(と信じられていた)時代にプラットフォームはなかったですか?へー…だいたいプラットフォームが幸せお必要条件ではない(それはこの文でも読み取れる)以上、そんなに重要なこと?具体的にあれこれというのではなしに、なんとなく仄かに感じる程度で十分に歴史が穴埋めしてくれる類のものですよ。

>スマート化テクノロジーは〈システム〉を不可視にします。ディズニーランド化と呼べます。ディズニーランドで、人はゾーニングされた各場所に棲み分けつつ自由に享楽します。表層からは見通せない深層に物流や汚水処理やごみ処理のアーキテクチャがあります。表層で戯れる人々は自らが依存する〈システム〉を知らない。

そんなソフトなものばかりでないという疑念は以前にも記した覚えがあります。人々の欲望は「安心」を得るために目に見えるシステムを要求しています。

>再帰的近代においては、人々が選択をやめて安らげる選択以前的な選択前提はありません。一般的に言えばこれは過剰負担です。選択前提の再帰性を万人が意識して日日を生きるのは困難です。そこでは選択前提の再帰性を意識する者と意識しない者が分化し、社会システムは多かれ少なかれディズニーランド化します。

再帰的近代以前でもそして今でも似たようなものじゃないの?結局のところ日常、日々の生活、半径3m以内の出来事が関心の大部分を占めるんじゃない?「パンとサーカス」「よらしむべし、しらしむべからず」なんて言葉もあるくらいだし。

>日本には「宗教的良心への信頼」はありません。日本は欧州と同じく政府部門の不完全をローカリティが埋合せて来ました。ところが小泉改革によって最後のローカリティ=〈生活世界〉が破壊され、なおかつ超越神をベースとする「宗教的良心への信頼」もない。そんな社会で優勝劣敗的ネオリベ路線を継続すればどうなるか。

…これもそう?定義的な問題かもしれないけれど、勧善懲悪とか意外とみんな信じてない?最近だと堀江や村上が捕まったとき拍手喝采だったじゃない、そしてそのような空気が逮捕へと踏み切らせたわけでしょ?

>欧州にせよ米国にせよ、遠くない将来に日本のようになるかもしれません。信頼可能な〈生活世界〉も放棄し、脱空間的な〈宗教的善性〉も放棄し、〈システム〉の自律的な──各人が作動上の結節点に過ぎない──回転に、ひたすら身を委ねる他ないような社会ということです。その意味で日本は先端的実験社会だと言えます。

懐かしい未来…ポストモダン全盛時に東京が最先端の都市だとかする言説あったよね…。

>教育を通じて多様性フォビアとしてのリベラルフォビアを克服して多様性に耐えうる人々を増やし、そのことを前提として「家族ならざる家族のようなもの」「〈生活世界〉ならざる〈生活世界〉のようなもの」の多様性を実現することで、「最大多数のまあまあの幸せ」を実現する。それがポストモダン的公共性です。

過程はともかくこの帰結は同意。でも多分教育なんか通じなくても時間が自然と解決してくれます。

>社会的多様性を実現する有力な方法の一つがゾーニングであることは、周知です。憲法上の幸福追求権に「見たくないものを見ずに済む権利」を書き留めたものです。私は松文館裁判の証人陳述などを通じて、性表現規制を、刑法175条の猥褻規制の如き表現規制から、行政上のゾーニング規制にシフトすべきだと訴えて来ました。

件の「思考実験」のやりとりも要はこれ以外正当化しようがないんですよ、教えてあげないけれど。

>以前から危惧していたゾーニングの行き過ぎに議論の焦点を移しました。都では竹花副知事と警視庁が条例を強化して青少年が深夜に立入れる場所をなくし、繁華街の監視カメラ化を進め、風営法上の取締強化で店舗風俗を壊滅させてきました。

>警察官僚や関連議員の煽りがあるにせよ、民衆には強いゾーニング要求があります。それに応えてゾーニング規制を進めると、民衆から見えない所で「権益配置とリスク配置の不透明化」が生じ、違法なカオスが拡がります。全体性(システム合理性)の観点から言えばこれは不合理であり、システムの安定的存続を脅かします。

見たくない人が見たくないというのは許容できますが、見たくないものを根絶せよというところにまで主張のボルテージが至っているのが問題と思っています。

>単一の視座から全体性に接近できる時代は終りました。「真理の言葉」の時代が終りました。複数視座を自在に横断し続ける営みの集積だけが全体性に接近できます。即ち「機能の言葉」の時代がやって来ました。今日の不透明な全体性を前に視座の輻輳を実現するには「真理の言葉」から「機能の言葉」へのシフトが必要です。

「意味から強度」へに続くスローガンというか、むしろ最初の博士論文に繋がる原点回帰として喜ぶべきこと?

>時代が変われば人も変わってしまうからです。正確に言えば、時代が変われば人も変わってしまうほどに、人が変わらないからです。そこでは社会の可塑性と人間学の可塑性が、ニーチェ的な意味で前提にされる他ありません。変わらざるがゆえに変わりゆく人間たちの、どの像に定位すべきなのか。そのことに合意できるのか。謎です。


『真の意味での闊達さ、明朗さは安定した形式そのものによってではなく、生存の根底にとぐろを巻く不定型で不確実なものと直面し続ける勇気によってこそもたらされる。』

                    ニーチェ「悲劇の誕生」

【参考】
誰がために鐘は鳴る
ロンドン同時テロについての雑感
海陽学園~監獄の誕生?~
失われし安全を求めて~ユートピアが招くディストピア~


Comments
Sanzo-さん、こんばんわ。

ゲーム脳なんかを騒いでいる人は同じく騒がないと確かに一貫性に欠ける!

というか、このまえの奈良放火殺人事件ではないけれど、こんな始終監視されていると思うと息がつまって仕方がないと思うのだけどそういう子ども側からの意見は今のところ見当たらないですな。
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/07/14 23:48
安原さん、こんばんわ。「私である」とか「であるです。」っていきなり文人みたいな言葉遣いどうされたんですか?(笑)

あと、別に偉くないですよ。まさに自分のための外部記憶+書くことで自分の思考を纏めているだけですから。

>あと日本って今以上にゾーニングしなくちゃいけないほど、ほんとうに「見たくないもの見てる」のかなと思ったりするけどね。

だいたいさ、年末になるともはや恒例行事とかした格闘技とかいうもろ暴力番組をみ~んな見ているわけでしょ?最近だと亀田兄弟のボクシングだっけ?あれだって最悪死者が出たりするわけじゃない、それでも視聴率30%近くとってしまったりする。この手の主張する人はこういうのは見てないの?そしてこの手の番組排除しろと主張しているのかとまずは聞きたいです。本当、二重規範もいいところヽ(`Д´)ノウワァァン!!

>このへんはのコミュニケーションの問題だけの話かと思いますけどね。

単純に自分たちが若者だったときに凶暴だったから、それを当て嵌めて恐怖してるんじゃない(笑)
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/07/14 23:40
こんちわ。

いろんな通信機器を持たされて、変な電磁波・電波で子供の脳が犯されそうな気が真剣にしてきました。
commented by Sanzo-
posted at 2006/07/14 20:47
こんにちは。
(∩゚д゚)アーアーきこえなーい)⇒これかわいいかわいい。

ほんとうにいつもえらいですね。すでに分裂症気味のMさんの論考見ようと思う気も最近あまり起きない私である。

>いったいどこの国の重要機密施設なんでしょうね?
「子供」=プルトニウムみたいなかんじだね(笑) 笑いごとじゃないのが痛ましいが。

「「秩序感の回復」はNPOや地域住民組織による犯罪予防施策として実効性が期待できる分野である。ガーディアンエンジェルズの創始者であったガーディアン・スリワが最初に人を集めて行った行動が店の前の掃き掃除であったのは示唆的である。「NPOガーディアンエンジェルスの活動」 警察公論 2003」
というわけで「お掃除」さえも治安に組み込もうとしてるのは警察の論文とか読めばよくわかるんですけどね。陰謀論とかではなくて(笑)。まったく油断もスキもあったもんでは・・・。日本の権力ってすごいなーすごいなーと思うこの頃であるです。

>「見たくない人が見たくないというのは許容できますが、見たくないものを根絶せよ」
そうですね。あと日本って今以上にゾーニングしなくちゃいけないほど、ほんとうに「見たくないもの見てる」のかなと思ったりするけどね。すでに十分ではないの?なのにどんどん大掃除がすすんでいる・・。

話ずれますが、コンビニの前にたむろする若者「見たくない」っていわれてもねー。困るっちゅうか。「ゴミ捨てたいんで、すいません」とかいえばいいのにね。「あっおねえさん、すいません」とかいってどけてくれるけどね。あれを「怖い」って思ってしまうんだろうね。「君たちどけなさい」とかえらそーにいうから「なにおーこのクソ親父」になるんだと思うけど。このへんはのコミュニケーションの問題だけの話かと思いますけどね。

ウィニーとかも話題になるけどパソコンぶっこわれる覚悟しないと使えなかったけどね。なんかPCオタク+金持ちが使ってるだけで、IT企業におったけど私のまわりでもウィニーつかってるのごく少数だけだったけど・・。心配なのはわかるけど、市場拡大予測とかシュミレーションしてとっつかまえた話なのかなあ。機能面のリスクをきちんといえば使う人やはり限られるソフトのような気がするんだけど。国民の8割もったらやばいかもしれないけど、広がって◎割的な市場予測を計算しているんだろうかとか思うけどね。甘いですか?そこがないと、問題点がすり変わるような気がします。
commented by 安原
posted at 2006/07/14 19:48