害獣マスゴミラ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

今日の朝生、宮崎哲弥氏ただ一人がマスコミ批判(過剰イジメ「自殺」報道だけでなく、加害者の報道基準みたいなきれいごと時に系列のセクハラに関する報道がないことをぶつけていたり)正論を吐いていましたね…そしてこのエントリーも消えちゃいましたが残滓だけメモしておきます。ちょっと鬱の気が酷くなってきた。

ニュルンベルク裁判でゲーリングは被告として裁かれた。裁判官から「なぜドイツはあのような無謀な戦争を始めたのか」と聞かれたとき、彼はこんなふうに答えたという。

「もちろん国民のほとんどは戦争など望んではいない。でも戦争を起こすことは、指導者にとっては簡単です。国民に対しては、今おまえたちは攻められているのだと危機を煽り、これに反対する平和主義者に対しては、非国民として脅せばよいのです。これを繰り返せば、国など簡単に戦争に向かいます。ドイツだけではありません、すべての国に共通です。」

危機を煽り、あるいは脅すためには媒体が必要だ。つまりメディア。だからこそ新聞に加えて、映画やラジオなど識字能力を必要としないメディアが普及し始めた20世紀前半、ファシズムは突如として、同時多発的に歴史の表舞台に現れた。言い換えれば、メディアが存在していなかったら第二次世界大戦は起こらなかったかもしれない。その認識と反省が、特にマスメディア全般にあまりに低い。

歴史に学ぶべきだ」。メモの最後のこのフレーズ、これからも口うるさいほどに何度でも繰り返して欲しい。

新聞を読んで 森達也「歴史に学ぶべきだ」(東京新聞2006年10月22日)

マスコミに総ての責を帰するのは酷かも知れないけれど、単に空気に応えているだけだというのかもしれないけれど、マスコミというものの存在意義を考えれば別段過剰な役割期待ではないはずというか今一体何の役に立っているの?

で保留していた2005/11/21 ぶんですがそれは佐藤俊樹氏のコメント。

手短に私の脳内連関を記すと残滓群に共通しているのは、批判に耐えうる定量的な議論をという当たり前のことなのに、それが希少であり、貴重なものになってしまっているというもの。その根底部分において同じ問題意識に基づいているものと思います。言いたい事は記事名で察してw 

で佐藤氏のコメント欄の文章からメモしなかったもの。

>たしかにあらゆる立論は前提依存的ですが、逆にいえば、a)暫定的にせよ共有する前提があれば、それだけにもとづく命題はその範囲内で事実だとして出発してよい、そして、b)そういう共有可能性は意外に広い、と考えています。これもごく常識的な話で、例えば、社会調査にせよなんにせよ、ある種の統計データを「事実」とし、それにもとづく結論を政策提言している社会科学者は、同様の手続きで得られた統計データは同様に「事実」としてあつかうべきでしょう。

ここでは自明視されていますが(いやそれが当たり前だと思います)政策提言それが社会システムだろうが教育だろうが医療だろうが治安だろうが、エビデンスが前提とならないとそれは逆説的に単なる妄言だよね。

「欲ばり過ぎるニッポンの教育」苅谷 剛彦 (著), 増田 ユリヤ (著)

教育は魔法じゃないのに日本の教育はこれまでよーもやってきた。・゚・(つД`)・゚・ 。という内容。それこそゲームに親しんでいれば分かるけれど、呪文を唱えるにもMPや新しい魔法を修得するに経験値が必要なんです、それでもこれ以上教育に担わせようというなら、時間、人、お金をかけましょうという当たり前のお話。

以前 紹介した浜井先生が現在、刑務所が最後の福祉を担っているのではないかと記されていますが、これまで最初の福祉を担ってきたのは学校だということ。つまり、他国ならば中卒ぐらいで(中卒というのは中学校の学力もついていないのがもっぱら)放り出していたものを、高卒ぐらいまで余計に引き受けていたと。社会に放り出された人間が問題行動を起こせば犯罪だが、学生である限りにおいて教育問題として更生し易い余地が残っていたそれが日本が長らく青少年の犯罪が少ない秘密ではないかと。もちろん、この点につき、オタメディアの普及と軌をいつにしているとか、高度経済成長がとか、少子化の進行がみたいな説明も可能ですがね。

だからPISAなんかの成績をもとにフィンランドまんせ~という意見も多いけれど、フィンランドの高校進学率が60%、大学進学率15%という日本が1960年にとうに通り過ぎた地点の国だということが分かってほざいているの?と。確かにそれだけ篩いにかければ国際テストの成績は上がるって…。

この点は相対評価と絶対評価のどちらの物差しを使うかにもかかっていて、受験戦争やらの思い込みで狂っているけれど厳しいのは絶対評価、この言い方が不味くて修得主義であると苅谷先生は明確に見抜かれています。なにがどう厳しいのか、相対主義なら周りをみていくら低順位であってもとりあえず卒業みたいな道がありますが、修得主義なら~を修得しない限り、いつまでたっても卒業できない。

そんな福祉の一端を担ってよくやってきた日本の教育をまずは正しく査定するところから始めないと手をつけるたびに悪くなるって当たり前のお話ですよね。しかし、苅谷教授の恐ろしい、凄いところは案の定失敗した総合教育にしても、だから元の木阿弥にもどせとはいわない点。やってしまったというその地点から始めざるをえないでしょうと(進化論的と自嘲していますが)割り切っていること。教育再生会議に誰一人として教育学者という専門化がいないという事態をどう思うかと…。

安倍内閣メールマガジン(第7号 2006/11/23)
[この人に聞きたい]

● 教育再生の土台(教育再生会議担当室長 義家弘介)

>なぜ、今の子供たちは帰属意識がないのか。なぜ、自己肯定感がないのか。なぜ、夢が持てないのか-。多様化し、複雑化する現代の子供たちの現状を大人たちは口々に嘆く。教育再生のスタートはその「なぜ?」の原因を明確にすることから始めねばならない。

苅谷教授は教育に期待しすぎと魔法じゃありませんとすぱっと言い切っている部分ですね。

>アメリカの心理学者マズローは『欲求階層説』という学説を唱えている。
人の欲求は五つの階層で構成され、より基礎的な欲求が優先される。つまり、基礎的な欲求を満たすことができなければ、より高次の欲求には発展していかないという考えだ。この学説を現代の教育の現状に当てはめたとき、先の「なぜ?」の原因は明らかになる。人間のもっとも基礎的な欲求は『生存の欲求』である。それが満たされたとき、『安心・安全の欲求』へ、そして『帰属の欲求』、『尊敬の欲求』、『自己実現の欲求』へと発展していくが、帰属意識や自己肯定感、夢を持つ前提である基礎的な欲求が満たされていないことが「なぜ?」の原因であると言うことができるだろう。

だから「何?」

>もっとも基礎的な『生存の欲求』を満たすのは当然、家庭であるが、朝食さえしっかりと保障していない家庭は多い。命の大切さを教えるのもまた家庭の責任である。また、『安心・安全の欲求』を主に担うのは学校だが、教室ではいじめが放置され、学級崩壊が広がる中、子供たちは安心して勉強することさえままならず、諦めさえ漂ってしまっている。そんな現状の中では、子供たちに帰属意識を持たせることは不可能だし、みんなから褒められたい(尊敬の欲求)と努力することもできないだろう。夢(自己実現の欲求)など持てるはずもないのだ。

朝食はもう諦めたけれど、せめて学級崩壊が広がっているというならばその具体的な数字を出せよ。具体的な数字がなければ夢という具体的な目標はもてるはずもないでしょうが。

>家庭、学校の確固たる再生。それを抜きに教育は語れない。生存の欲求さえ満たされず、自殺の連鎖さえ起きている今、まさに教育は待ったったなしだ。不退転の決意で再生に着手することこそ、子供たちへの責任であり、彼らが創っていく未来への責任でもあると私は思う。

とこんな感じ。上記書を読んだ上でもう一度この安っぽい文言を読み返してみましょう。

レジデント初期研修用資料さま「風の谷大学付属病院」 を読むと、どのような悲惨な事態に小児科、産婦人科があるかという現実が手早く分かります。マスゴミの無責任な医療批判はより事態を悪化させるに役立つのみ。ここでも至極単純に人手が足りていない、お金を入れろというとても当たり前の見解からの指摘なし、あったとしてもそれらは一過性、医療過誤にこそとびつくと。

山形浩生の「経済のトリセツ」さま アフリカのエイズの新しい分析……それと経済学の何たるか。

梶ピエールの備忘録。さま「まっとうなフェアトレードの経済学」

ともにさきに触れたこともある書物からより豊穣なものを引き出している見方ですけれど…マスゴミの好きな綺麗ごとではなくてもっと…復元作業限界寝ます、もう続きません。


Comments
後藤さん、こんばんわー。

>とりあえず酷い番組である、ということは伝わってきた

それで十分でございまする!連れ合いから冷たくされるのも、子どもに無視されるのも、リストラが横行するのも、(少年)犯罪が激増したと言われているのも、拉致被害者が出たのも…ぜーんぶ憲法が悪いというのと同様に、教育に関する問題を教育基本法(倫理・道徳ね)のせい、なかんずくその改正を妨害した、左巻きの日教組やらマスゴミのせいというだけのことですから。

お勧めされた本も出たら覗かせてもらいます!

しかし、それだけ録画を溜め込んでいると見るものの無い年末年始は困りませんね、実に羨ましい(棒読み)w
commented by 遊鬱◆jnhN514s
posted at 2006/11/27 01:44
 ごめんなさい。
http://newmoon1.bblog.jp/entry/340383/

 こちらのコメント、見ていませんでした。とりあえず酷い番組である、ということは伝わってきたので、いつか見ることにします(え?)。今年は前述のTBSやら、フジテレビの「たけしの教育白書」(でよかったのかな?)やら、そしてテレ朝の当該番組やら、日テレの「太田総理」やら、本当に「教育」をテーマに扱った番組が多かった気がしますが、そこからどれだけ俗流若者論が捕れるかな。結構録画してあります(苦笑)。

 苅谷剛彦氏の新著に関しては、一応発売日に買いましたけれども、まだ読んでいません。ついでに、こういうのも発売されるようなので、参考までに。
http://www.nihontosho.co.jp/renewal/isbn/ISBN4-284-30115-2.html
 広田照幸氏が監修していますし、それほど酷い内容にはならないと思います。
commented by 後藤和智
posted at 2006/11/25 19:47
 当該番組、一応、録画してありますが、見た方がよいのでしょうか。個人的には、かのTBS「緊急大激論(以下略)」にも出ていた喜入克が出ているのが少々ネックなのですが。
commented by 後藤和智
posted at 2006/11/25 19:38