ひぐらしのなく頃に推理暫定版 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

ひぐらしのなく頃に

同人ソフトとして圧倒的な人気を誇る当ソフトはゲームとして新たな可能性を切り開いている。
①いままでアドベンチャー系クソゲーの定型批判として、選択肢が少ない、一本道エンド…とあったがそれ完全にを逆手にとっている。選択肢を完全に切り捨て、ユーザーに推理させるという楽しみ方を提供している。またゲーム本編として主人公に感情移入することはやむをえないとしても、別にTipsというしかけで客観性を確保させようとしているところがにくい。
②解決編がまだでていない(小説でも東野奎吾が犯人を明らかにせず、推理のヒントだけというような手法を使用していた)ことで、結果的にじっくりと「推理する」という楽しみを再認識させている。
③推理小説との差異は、絵と音楽が深みを与えてくれることだ、とくに通称ひぐらしモードといわれるキャラが一変するシーンや鳴き続けるひぐらしの声はプレイするうちに浸透していく。

ゲーム、推理小説好きならとにかくプレイして損はない作品であることは現時点で自信をもって保障できます。解決編がでて評価が変わる可能性はありますが、上記しているようにこの作品の魅力は解決編がでてからでは減少してしまう可能性がむしろ高いです。(以下ネタばれの可能性あり)



このゲームの場合、推理にとって何よりも重要なのは、非人間的要素をどこまで認めるか(全く認めないことも含め)が最初の分岐点となっている。もしも総てをおやしろ様の祟りとして片付けるならば推理は終了。私は祟りは信じない近代人なので、初めから祟りは一切ないものとして推理を始めた。(「いかなる証言もその証言が確立しようと努める事実以上にその証言の虚偽性の方が一層奇跡的であるような性質でない限り奇跡を樹立するのに十分ではない。」ヒューム)

まず、4話目のおまけ編は読む必要がないとゲームで語られている以上、単に作者からの推理のヒントとという意味しかないだろう。この場合ヒントを出しているのは梨花ちゃましかないだろう。そもそも3話で死んでいるはずの刑事が生きている辺りで矛盾が生じる以上、予言をしたという事実を認める必要はないと考えた。

過去の事件は1件、1件がばらばらに起こった事故と殺人だ。最初のバラバラ殺人は犯人が判明している。ただ行方不明の主犯の行方に関しては、村で処理した(井戸の底とかね)可能性がある(工事中止と村の求心力回復のため)。沙都子の両親は梨花ちゃまも言った様に事故だろう。継父を児童相談所で排除できなかった沙都子が嫌がらせの一環としてトラップをしかけたところ、母親も含めて殺してしまうことになったというところだろう。つまり事故というのは本人に殺意はない、軽い気持ちだったということ。梨花の両親の場合は神主は単なる病死、母親は行方を眩ました…現在の鷹野二三じゃないかと思っている。後者に関しては明確な証拠はないが、一度も梨花ちゃんと鉢合わせしていないこと、そして他に二三さんと入れ替われる主要登場人物がいないという消去法だ。沙都子の叔母を撲殺したのは、悟史(後で捕まったのは適当な人に薬物を注射の上、吹き込んだ)、悟史は村で処理した。

次に各編の推理に入る前に各編に共通に起きた最初の事件と、最後の村人全滅を説明すると、そのヒントは綿流し(村の歴史)にあると思う。共食いという儀式、鬼との融合という伝承を現実的に解釈すると、それは伝染病のことだと思う。つまりかつて病気が流行った(死者が大量に出た)、しかし村人は共存することに成功した(抗体を作ることに成功した、このことを知っているのは御三家のみ)ということ。その病の症状は、幻覚、幻聴、被害妄想、異常な攻撃性の発現、自傷癖。蔵にあった道具一式は、拷問道具ではなく医療用の道具だろう。つまり病気を解明するべく、病死した人を解体し研究していたということではないか(園崎家中興の祖が731部隊に所属という過去とも符合する)。
つまり最初の事件は、村を探る部外者(おまけ編の主人公か?)を消すべく鷹野(=梨花の母)が蔵から病原体を持ち出し感染させ、自殺に追い込んだということ。本物の鷹野は身代わりとしてあらかじめ山中で前日に処理、梨花の母は一端身を眩ました。最後村人が全滅したのは、その抗体を使用できる医者兼監督が殺された(犯人は沙都子)後に沙都子が村中に病原体をばらまいたこと(かつて蔵に入ったことは触れられているので保菌者)。

このように考えると総ての各編の犯人は皆、病に犯された人となる(ちなみにレナもかつての感染者、村から出た結果治療が受けられなくなり、学校での凶行に及んだが村に戻ってきて監督の治療を受けている。)
鬼隠し編における犯人は圭一
綿流し編における犯人は詩音
祟殺し編における犯人は沙都子
となる。あとは病気の症状の仮定さえ正しければ、細かいポイントも説明がつく。例えば、おはぎの中身はわさびかなんかの刺激物、そして圭一が勘違いしたのはおはぎを食べるためについていた楊枝。最後、魅音とレナが呼ぼうとしたのは監督(=医者)であり、彼女らがしようとしたのは注射ではなく、マジック(祭りでシャツに落書きしたのと同じことをしようとした)。
魅音との恋愛イベントに騙されず、詩音と魅音がどのシーンでどちらがどちらかということをきっちりと把握すれば綿流し編も解決する。