5月後半 購入漫画感想 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

「月刊少年シリウス」あす創刊 少女読者を視野に 人気小説も漫画化
>「新雑誌に『少女○○』と名前を付けても売れない。今ならば『少年○○』の方が少女読者にアピールしやすい」「シリウス」の指吸(ゆびすい)孝一編集長はこう語る。中学生がメーン読者という同誌は、ある意味実に欲張りな漫画誌だ。「基本はファンタジー漫画+ライトノベル。漫画も小説も両方読む、活字好きな男の子、女の子を意識しています。」中・高校生に人気の作家、西尾維新、あさのあつこの新作小説を別冊付録にし、本誌では、あさの、はやみねかおる、田中芳樹の小説を漫画化。

イイトコドリを狙ったラインナップの雑誌になるようです。テレビドラマが原作で漫画に寄りかかり始めたように、漫画もまた新しい血液を流すために小説原作を積極的に入れることが必要なのかもしれない。ただ寄りかかりすぎて物語構築能力が減衰するようでは本末転倒になる(まあ今までの漫画化された作品を見ても、そこまでの力を小説は既に失っていると思っている点からも杞憂に過ぎないでしょうけれど)ので注意は必要かも。更に言うとライトノベルが注目されているのはあくまでも相対的なものにすぎないことも知っておくべき(ライトノベルの売り上げの全盛期は「ロードス島戦記」~「スレイヤーズ」であって、他の文芸書籍の売り上げが激減したため浮き上がってみえると言うこと)

>集英社によれば、現在294万部の「ジャンプ」読者の女性比率は約2割。特に少女読者は意識していないというが、コミックマーケットなど同人誌市場では、『テニスの王子様』や『DEATH NOTE』などの人気は完全に女性優位だ。

>連載誌「少年ガンガン」の湯村宣昭副編集長によると、約20万部だった同誌は“ハガレン”人気で30万部に急伸したが、「増加分のほとんどは少女読者では」と推測する。「恋愛中心の少女漫画の精神性より、少年漫画のわかりやすさを求める女性が増えているようだ。描き手の側も、少年誌に描きたいという女性漫画家は結構多い」

ここはこれまでクドイ程繰り返しているので割愛

>漫画家・小川彌生さんの話(中略)男の子向け漫画で育ってきたところもあるので。今回は絵柄も意識して変え、女の子の口や鼻を小さく描き、線も強めに引いています。思い切りアクションシーンが描けるのはうれしいですね。最近の女性読者は『男脳』度の高い人と『女脳』度の高い人に二極化し、恋愛ものに飽き足らない前者の人が少年誌に流れていると思う。一方、男性の『乙女化』も強く感じますね」

物語の主軸について多様性をということも繰り返してきたので割愛、ただここでは絵柄についての考え方がとても興味深いと思う。この内容は少女漫画が細部に拘るに対して、少年漫画はシルエット重視ということを示しているのかな?シルエットというのはその後にアクションシーンが描けると続けているように動かすことを前提にした絵であるため、できるだけシンプルな絵(この点でいうとアニメの作画の歴史に近いかもしれない)が好まれるということかなと(井上 雄彦先生をはじめとして例外はあるとしても)。もちろん、週刊誌が中心と言うことでスピード重視と言うことも少年漫画の絵の方が記号化が進む要因として大きいとは思うけれども。


以下 漫画感想(朝生・NNNで徹夜…眠い、おやすみなさい)

「フルーツバスケット」17巻 高屋奈月

話が大きく動きました。あきとが女性であり、そして十二支のつながり(猫の呪い)に執着して、縛り付けている根本問題が母親との関係にあったこと。両親という人が基本的信頼を構築する上で、その資源を調達する最も身近で大きな部分に欠陥があったとき、たとえ「呪い」というものであったとしても絆というものに縋りつく、そしてその「呪い」を不要とする、相対化するお話だったということです。

考えてみると所与の絆と後から築く絆の交換、衝突がテーマだったということです。たとえば透も両親はそれぞれ家族(所与)から離れ、家族を作ったわけです。そして透は家族を失い(所与)、由希、夾たちと新しい擬似家族を作り、更に一歩先へと踏み出せるか(新しい家族)という究極目標に向かって不器用に血を流し続けている。

この絆という脆いものを担保するはずの呪いが紅野の存在でもって、それこそ家族と同じようにある日突然消えてしまうようなものであったことが明らかになり、これはあきとにとっては恐怖であり透にとっては希望である。近代家族の宿命たる泡沫家族を超える絆とは何か(絆とは仏教の縁起のようなもので結べば庵にいて解けば只の…と思っているし、この作品のテーマもそうだと思っているけれど)そのことについてとてもよく考えさせられる。


「しおんの王」2巻 安藤慈朗・かとりまさる

1巻と違ってサスペンス要素がなく、純粋に将棋の対決のドラマに絞っている。神の1手ではないけれど実際に将棋を知っている人を魅せる局面を作るのは困難極まるが、人と人の対決であるという点から心理ドラマに焦点をあてれば盛り上がるということを示している。

…私は将棋も嗜む人間ではあるけれど、実は将棋の展開には興味がないため若干退屈だった。ただ将棋もまたサスペンスに絡んでいるようなので目が離せないけれど。


「NHKにようこそ」3巻 大岩ケンヂ・原作;滝本竜彦

主人公がどんどんどつぼに嵌まっていく様がある意味リアリティーがある(感じる)のが怖い、前巻から明らかになった岬ちゃんの主人公に絡む動機が実際の行動として過激化しながら噴出していく展開が怖い。

あとは滝本先生が庵野監督と同じように脱オタク→サブカルでつまらないただの人にならないことを切実に祈っています。

参考;Monty Python’s Flying Guillotineさま「タッキー&浩紀を観に行きました」


「壮太君のアキハバラ奮闘記」4巻 鈴木次郎

↑の本と同時期に読むとその薄さが物足りない。主人公がそこそこ追い詰められているのだけれど切実さが足りないというか、甘い。


「ないしょのつぼみ」1巻 やぶうち優

【少女漫画】過激化する性描写による自招危難 を書いたのはこの本を手に取ったからです(その時点では買っただけでまだ読んでいなかった)。

実際に読んで世評の盛り上がりとは違って、「水色時代」の延長線上にある作品であってとてもほっとした。「水色時代」でも初潮の問題を取り扱っていたし、この作品での扱い方も大差ない。ただ恋愛面の描写よりも性(性差)の基本知識に重きを置いているので誤解(それが狙いとしても)を招きやすいのかもしれないがとても真面目な作品だと思う。


「ジャンクヤード・マグネティク」2巻 村山渉

主人公の動きがあいかわらず意味不明。個々の行動は理解できるとしても全体を通すと支離滅裂、無色透明としか思えない(この巻を通してどこを成長したのかも分からない)。また石の設定も新たに何か付加価値が加わったわけでもなく退屈なのでこれで脱落。


「ぷちはうんど」1巻 ねこねこ

こういう作品の需要もきっとあるのでしょう…。ぷに萌え、獣耳萌えでそのような少女が画面に出ていれば、別に話(戦闘らしきものはあるけれど)は必要ないという人には合っているのではないでしょうか?

思ってみればこのような感想ならば↑でも同じようにまとめられるし、冒頭のファンタジー+ライトノベルという枠組みがそうなのかもしれない。むしろ萌え要素にファンタジーを塗しておけばいいというような安直なものを感じてしまう。萌えによりかかって粗製濫造した結果、早くも萌え4コマなるジャンルは死にかけていると思うけれどここでは脱線もいいところか。


「苺ましまろ」4巻 ばらスィー

不条理ギャグのレベルがあいかわらず高い。大笑いと言うよりもキャラクターの可愛らしさとあいまってくすくすと微笑む笑いです。アニメ化されることを一巻発売時から願っていましたがあともう少しです。

苺ましまろアニメ公式サイト (放映枠はああっ女神様の後と)


「ガンスリンガーガール」5巻 相田裕

ただただひたすら切ない…。少女たちに狩られるもの達の視点で話を進められたとき、彼女たちは残酷な死神に過ぎない。そして読者にとっては彼女たちの負って立つものも十二分に知っているだけにますますやるせない。

その美しい悲劇がたまらなく好きなんだけれどね。

アニメ版の感想;「大きな銃と小さな幸せ」ガンスリンガーガール