前作「千と千尋の神隠し」は子どもの可塑性に対する賛歌であったが、今作では対象年齢を少し上げて少年・少女の恋愛に対する賛歌となっている。また純粋に全肯定の存在たる子どもたちに対する応援歌という狙いを持っているためか、前作と同様に思想は背景として仄めかす程度に抑えている。相変わらず他の追随を許さない芸術的な背景(背景自体のアップと引きという動き)といい、見終わった後には爽やかに恋をしたくなる気持ちになること請け負いの名作だ。
ただ読み取れる程度には現在の日本政府に対する苛立ち、反戦を各所で訴えかけてはいる。例えば、歓喜とともに送り出した戦艦群の内帰艦できたのはわずか1隻、それもすぐに爆沈。新聞での大本営発表を始めとして、敵味方のべつくまなく大量に配布されアジビラ、そして最後に戦争を収めるのは国王ではなく、老賢者に主導されてではあるが実務は総理と参謀長と先の大戦に対する痛烈な皮肉のオンパレードだ。
しかしそのような大事件もハウルとソフィーの恋愛物語にとっては障害ではあるが、恋愛を後押しする存在に過ぎない(戦争の終結を直接主導するのはサリマンで2人は関係ない)。むしろそのような世界の問題ではなくてハウルとソフィーがお互いを意識する中で徐々に成長していく過程を楽しむ映画だ。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥にある。」
サミュエル・ウルマン「青春」
ソフィーの成長とはまさにこの詩になぞらえられる。荒地の魔女に呪いをかけられる前からソフィーは老いていたのである。それは妹のベティ(こちらは活き活きと働いている)がソフィーを問い詰めたときにも現れているが、自分で自分の生き方を選択せず、環境がそうだからと自分を納得させ気持ちは明らかにしない。彼女が容姿にこだわるのも同じである。自分に自信をもてないので容姿が悪いせいだと所与の環境に責任を転換して自分を納得させているのである。だからこそ呪いにより容姿が心と相応になった時90歳の老婆になってしまう。
しかし、睡眠中は余計なことを考えないので元の年齢に戻る。そして彼女が若返ったり(顔、腰の曲がり具合、杖)、年老いたりするのはまさに心のありように比例している。帽子=顔を隠すもの=自分を枠に嵌めるものの象徴である。彼女にとって帽子が不要となったのはサリマンの前で弁護をするとき、すなわち恋する少女となった時であった。
はじめは呪いという環境が彼女を冒険に駆り出すわけだが、やがて新しい環境下で眠っていた若者の好奇心、勇気が目覚め、最後にはつまらないことを考える余地を残さない恋愛感情が彼女を支配する(母親に戻るように言われたときも自ら躊躇い無く現状肯定=掃除婦という職業を選択している)。
逆にハウルはサリマンが評したように政治(=現実)から逃げ回り「魔法を自分の為だけに使う」、成長を拒否した子ども(彼の部屋がぐるぐる回る赤子をあやすおもちゃであふれているのはその象徴)なのである。「美しくなかったら生きていても仕方がない」という科白は端的に表している。成長することは齢を重ねることであり、必然的に老いという醜を伴うからである。
ただ老い=醜という構図も荒地の魔女により見事に否定している。サリマンの罠により歳相応の姿にされるまでの醜悪な姿と、食事や下の世話などの介護は必要となるが最後陽だまりの中穏やかに佇む姿のどちらが美しいかは一目瞭然である。また歳をとるということは知恵を蓄積すること(ローマの元老院の思想も元々はそうだった)であり、ソフィーの恋愛相談にのったり、マルクルを庇ったりと実に頼もしい存在である。
話を元に戻して、ハウルが成長(=責任を担うこと)を受け入れたのはきっかけは彼自身の言葉によると「守らなければいけないものができた、君だ!」と恋愛感情となっているが決してそれだけではない。それは家族だ、ソフィーは掃除をしただけではない。弟子ではなくしつけをすべき子どもという存在としてマルクルを見出し、カルシファー(火+堕天使ですな)カブ、犬、魔女と次々に家族を作った。既存のものとしての家族(子どもの立場)から新しく作る家族(親の立場)へと変わったことが守るべきものの正体である、心は重いんだ。
その他にもいろいろと仕掛けがあって楽しめる。例えば、ハウルがソフィーに「君は綺麗だ」と言葉でいっても信じてもらえない。この作品では言葉よりも行動や景色が雄弁を振るうのである。それはいまだに背景は3次元の如き深さを有しているのに対し、キャラクターは昔から一貫して2次元を感じさせる造形を考えれば香ばしい。また、空飛ぶ戦艦の造形はナウシカで登場した蟲(動き含め)そのままである。吠えることができない太った犬あの犬の造形もどこかで見たような気がするし押井守?
最後、(逆方向だが)容姿に拘っていた2人とも髪の色が初めと変わるがそのようなことを気にしなくなっている。恋愛は容姿じゃない、心なんだ!と訴えかけている(でも、2人ともどう見ても美少年・美少女だよ~)。