CLAMP資本主義 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

おそらく漫画が好きな人ならば、誰もが一度は通った道だろう。代表作をざっとあげても「聖伝」「東京バビロン」「レイアース」「カードキャプターさくら」「エンジェリックレイヤー」「チョビッツ」「X」「ツバサ」といくらでもある。彼女らの影響は良しにつけ悪しきにつけ現在でも絶大だ。

その軌跡を辿ってみても同人作家→少女漫画家→青年漫画家→少年漫画家と順調にステップアップを図っている。少女漫画が少年漫画に質的に劣る(現時点においてはそれも否定し難い気持ちに襲われることもあるけれど)というわけではなく、単に市場の大きさをここでは指している。同じ商品を提供するにしてもより大きな市場で提供することには合理性がある。

またその商品においても時代時代の趨勢、流行の先端を良い意味で恥ずかしげもなく取り入れている。これは同人時代から培ったものと思う。パロディを主とする業界において流行の動性に敏感であるということは必須だからだ。やおい、陰陽、異世界もの、魔法少女、フィギュア連動戦闘もの、メイドロボ(エロ風味)と総てそれらに先行する作品がありそれを貪欲に取り入れている。あえていうならば、他のジャンル(少年漫画やライトノベルやゲーム等)から少女漫画に持ち込むという手法で圧倒的な成功を収めてきた。

また漫画もその他普通の製品と同じで分業体制で作れるということを明らかにした。つまり、ストーリーとキャラデザと作画とその他もろもろというように4氏で完全に分業して(もこな・猫井は交互にキャラデザを行うことで絵に対する飽きを防いでいる)、最終的にCLAMP印の商品を送り出している。一人で総てを統合してやらなければいけない芸術性の高い作業を、工程ごとにばらすことで一芸に秀でていれば参入可能にし業界の敷居を下げた。今の原作・原案(=編集)+作画(=漫画家)というよくある形式、イラストレーター(物語の作れない漫画家)の原型ともいえる。

角川がしかけたメディアミックスにのり、漫画製作段階から映像化を念頭に置いた作品の量産。だからこそどの作品も次々とメディアミックスされうる。メディアミックス向けとは、時間軸を現在に固定し、心理描写を薄くする等、絵だけで説得的かつ見栄えがする作品だ。

これらの観点はどれも売るためには必須だが、作品で何を表現したいのか、伝えたいのかというような芸術性は逆に不要のものとなる。だからどの作品においても設定に最新の流行を取り入れておけば、ストーリー展開は同じで問題なしとなっている。一番の身近な人物が最後に裏切って敵となれば主人公には葛藤が得られるし、終局も悲劇性を孕んでます、終了というわけです。売れれば正義なのかもしれないが、あまり作り手としての誠意は感じない。そして現在連載中の作品では(お約束のアニメ化決定)過去の作品の自己パロにまで堕している。

しかしその単純な構造であるがゆえにその絵の映え方と相まって漫画への入門としては誰もが通るということです。問題はその後がないということ、少しでも複雑になると駄作とソッポを向くような客層が増大することによってすべての作品がその層向けに供給されがちになるという害悪は彼女らの責ではなく業界自体の責ですからね。

ただ漫画家として誇りがあるならば、あれだけ風呂敷を広げさんざん収益をあげた「X」くらいは始末をつけて欲しいと切に願っています。