小手川ゆあ『死を媒介としての社会と世界の巡礼』 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

死刑囚042が5巻で完結しました。 月半購入漫画感想とは別に改めて思うところを…。

小手川ゆあ先生公式ホームページ

以下 長文です

死が人にとって必ず訪れる普遍的なテーマである以上、死をどのように消費するかは死の恐怖から免れるための一つの方策といえる。そのひとつが【殺人】であり、サスペンス、ミステリー物語(あえて小説とは言いません)が世の中で一定の需要がある理由…。

私は基本的には少女漫画(それも白泉)属性の持ち主なのですが、しばしば突発的にジャンルにこだわることなくジャケ買いします。そしてその著者が気に入ったならば総てを揃えるのですが、その一人が小手川ゆあ先生です。

現在までの著作は、集英社から

「おっとり捜査」(全10巻)
「ARCANA」(全2巻)
「死刑囚042」(全5巻)

角川書店から

「ANNE-FREAKS」(全4巻)
「ライン」(全1巻)

が出版されています。

私が最初に出会ったのは「ANNE-FREAKS」1巻で、いきなり母親を殺す少年、そして冷徹に手助けする少女の姿という展開に魅かれ(絵柄も好みだったし)既存の作品(その時点では「おっとり捜査」だけ)を揃えました。もし、この後初めて手を出してみようと思われたならば下線を引いた3作品が本当にお勧めです。死の扱われ方、重さとしては、

「死刑囚042」≧「ANNE-FREAKS」>>>(越えられない壁)>>>「ライン」となっています。

ちょうど「ANNE-FREAKS」がターニングポイントたる作品で、死の扱い方について開眼されたように思います。それまでの作品はどちらかというと単に流行の猟奇もの設定をとりいれただけの…その…あまり内容の無い薄い作品です。

殺人を扱う作品はおおまかに、グロテスクな像のインパクトに頼るだけの作品と、殺人の心理的背景にスポットを当てる作品に分かれます。前者は殺人といいながら「ヒトを殺す」という行為を「物化」している点で、物語として改めて考察する余地の無いまさに一過性の消費物であると思います(探偵トリック物もこの範疇)。

しかし、後者は違います。「ヒト」が「ヒト」を殺すという罪を犯し、あえて社会を敵に回すという行為に踏み込んだ何かを描き出すわけです。それは個人的な恨みや社会に対する恨みへの報復、リスクを犯すにたるリターンの存在(物心ともに含む)などいろいろと考えられる。一般には作りやすく、読者の共感を得やすいという点で個人的な恨みが選ばれることが多い。

「ANNE-FREAKS」で作者はあえて茨の道を選択されました。おそらく完結後の読者受けはあまりよくなかったのではないかと思います。特に最後に主人公が犯す殺人に対しては、体に血が粘りついたかのような後味の悪さを覚えること必須です。あえて選択したと断言できるのは、殺人を犯さないという選択肢も十分に説得力をもてるだけの前振りがその直前まであったからです。ただ、私は小手川先生のこの決断を心から支持しています。ここで凡百の作品と決別しました。殺人という罪を背負い、いつ殺されるか(それも最愛の人に)という緊張感をも受容したとき、それまでの灰色の世界(社会ではないです)が、鮮やかに色を帯び始めます。

死を覚悟、受容したとき逆説的に今ある生が価値あるものとなるという普遍的テーマを展開することに成功しています。世界は、その他総ての人を敵に回そうと、愛する人とさえいれば2人だけで全く構わないという一つの真理。社会の善悪などは個人の生の充実にとってはあまり関係の無いという恐ろしい事実にキャッチコピーの如く戦慄することとなるでしょう。

続いての「ライン」は、「ANNE-FREAKS」で掴んだ死が生を鮮明にするというテーマを意図的に試した作品と思います。むしろ、特殊な生い立ちを抱えずとも同じ結論に達することが可能であると確信の度合いを深めたのだと思います。

そして「死刑囚042」に至り、殺人を直接描かずとも同じ思想を描写することに成功しています。更にこれまで殺人を描写することで等閑になりがちだった温かな人間関係の輪を描くことに成功しています。これまでの作品が世界>社会として、社会を離脱する作品(「ANNE-FREAKS」)であり、社会を離脱したヒトを鏡として薄くなりそうだった社会との結びつきを強化するというのが作品(「ライン」)でした。この作品では社会から離脱したヒトが社会に帰還する姿を描いています。

そしてその差がもっとも表れるのは、作品において主人公が築く人間関係です。それまでの濃密な人間関係が二者関係(恋人、友人)から社会に開かれています。それは友人であり、恋愛感情を抱ける異性であり、妹のように慕われる異性であり…その他もろもろだ。あえて(意図せずして留まり続けるヒトは幸い)社会に留まる、あるいは社会に戻るということは、社会に愛着が生じる、生じたということ。濃密な関係性は寂しさをももたらすけれど、逆に与えられる自己肯定感は一度味わってしまえばそれを手放すことが出来る類のものではないということ。

連載当初から最期を示唆されていた042は社会に帰還した後、従容と死を受け入れ世界へと旅立っていきました。これはバッドエンディングなのでしょうか?否、そのようなことは決してない。読まれたならば必ずハッピーエンドだと同意してくれると思います。042は彼が関わった人たちの中で、彼を想ってくれる人たちの中で永遠です。