「B.B.JOKER」過渡期に舞い降りた黒い笑い | あざみの効用

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4コマに代表されるギャグ漫画の潮流は、「あずまんが」の大ヒットで大きく変わった。それは4コマという枠に囚われない、ショート漫画形式の導入であり、絵そのものに拘った漫画の登場であり、笑いについてもオチでの爆笑を重視したものではなく、微笑えましいという感情を惹起させることを目的としたものであり、という意味でまさに「純キャラクター漫画」と称せるものが登場したのだと思う。もちろん何度も触れているように(例えば、http://newmoon1.bblog.jp/entry/207807/ とか)萌え4コマというジャンルとしての流れは緩やかに卵を温めることなく、怒涛のような粗製乱造により割れてしまったが、「あずまんが」に見出された可能性は単品として脈々と受け継がれている(「苺ましまろ」「ぱにぽに」「みなみけ」など)。

「純キャラクター漫画」と称したのは、それがあからさまに「萌え」に特化した漫画だと思うからです。4コマの強みとは1本の4コマで世界が完結するがゆえに各4コマ同士の関連性を重視されない(もちろん都合の限りで繋げてもいい)ということ、つまり俗にいうところの世界観の設定やら、ストーリー性が一切不要ということです。そして現在の漫画がキャラクター重視の流れ(ストーリーを希薄なものとしてもいかにカッコよく、いかに可愛く描くか)にある中で、この強みがその欲望を忠実に実現を可能としています。つまり各キャラクターのエピソードをだらだらといつまでも連ねていくことを躊躇することなく選択できるということです。この点、例えば「苺ましまろ」1巻の巻末で作者自ら「…子どもが描けりゃ何でもいいんだ」とあからさまに記しています。

…でもただそれだけだと一体何処に行き着くの?この点、それこそ「サザエさん」「ちびまるこちゃん」「クレヨンしんちゃん」のように国民的作品にまで昇華できれば終わらない物語でもなんら困るところはありません。でも「あずまんが」ならばともかく、継承作品はその成功から萌え要素をできうる限り極大化する方向に進んでいるが故に、一般化は茨の道どころか30年(社会の構成人員が変わらない限り)は無理でしょう。「あずまんが」では高校生活を主題(あえていうとちよちゃん視点が中心ともいえるが、各キャラクターが等分)に据えていたがゆえに作中で淡々と時間を経過させることで、卒業と同時に終了させました。「ぱにぽに」は無限にそして無駄なキャラクターを登場させ続けること、そして時たま裏でかなりシビアな陰謀があることを窺わせること(これを主題としようとしている)で飽きを防ごうとしています。この両者は無限の拡散と収束を意図する点で相容れないものですが、その矛盾こそが作品全体に微妙な揺らぎをもたらし魅力たらしめているのでしょう。

この点カラニシコワ クルニコフさま『ぱにぽに』と『まろまゆ』 で「まろまゆ」について厳しく指弾されていることは最もだと思います。元ネタの偏りと内向き視点と指摘されていますが、同人臭がするというのはキャラクターの流用という二次作品にありがちなことよりも、先にあげた収束という天秤の一方を失った結果ただただ拡散していることに由来するのではないかと私は思います。

そして従来のきちんと落として(変な表現ですね)の笑いと、キャラクター重視の漫画双方の要素を組み合わせた、まさにギャグ漫画の過渡期に登場した漫画が「B.B.joker」(著)にざかな です。

以下※7月31日追加
4コマ漫画読みのblogさま「『萌え4コマ』歴史・現状・展望」補足 で4コマについての詳細な検討があったので追加しておきます。う~ん本流とは違うが細かく源流を遡っていく作業は難しいですね~。ただ細部は細部とある程度割り切って考えるブログ主さまの考え方に賛成です。

この作品では笑いの質が綺麗に分散しています。それは言葉遊び(駄洒落)からシュールな黒い笑い(「教育4コマ」とか)からキャラクター依存の笑いから設定での1発狙い(「犬になる迄」とか)、そして自分史まで色々な水準でネタが分散して配されているという意味と…面白いものとつまらないものの(これはネタが分散しているので読者の笑いのツボがどこに置かれているかという個人差がそのまま反映するとしても)落差が激しく、クオリティーが安定していないという作品の質が分散しているという意味も含みます。

私は「マンガ道」という作者であるにざかな(にざ氏)自身の体験に多分に基づいたと思われるギャグ漫画を描く私という自虐的なシリーズ、「グリーンハイツ202」というヒッキーな女性の妄想と現実の狭間で行ったり来たりしているシリーズ、「長谷川物語」という美少年と友人(男性、女性)がその美少年という設定に引きずりまわされるシリーズがとりわけお勧めです。

ただ、巻末に併録されているギャグではない真面目なショートマンガ、作画がかな氏でない諸作品をみると途端に退屈極まりない作品になってしまう。してみるとにざ氏の基本的に黒い発想に基づくネタと、かな氏の萌え系の作画が組み合わせって生じる落差そのものに笑いの大部分が宿っているということのようです(あまりこの結論は肯んじたくないけれど)。解散から幾年、先日「にざかな」再結成の運びと聞き素直に祝福します!


無関係な話ですが今、ネット上で評判を呼んでいる「嫌韓流」 もあくまでも一種のユーモア(その内容が事実としても)として受け止める余裕があればと切に願います。


『すべて人間的なるものは悲しみに満ちている。ユーモアだってその隠された源は喜びではなく悲しみなのだ。だから天国にはユーモアは存在しない。』

                      マーク・トゥエイン


Comments
はじめましてで合っています。

こちらこそ萌え4コマを時代で区切っての分析に大変刺激を受けることが出来ました。「あずまんが」を嚆矢(コメント欄での細かいツッコミを見ると、大きなうねりを作り出したとしたほうが無難?)として見出した点で着眼点を同じくしていることもあり、とても納得できるものでした。

萌え4コマ単体でのジャンルの確立は失敗してしまいましたが、それは芳文社の「トリコロ」の孵し方を誤ったことが致命的だったと考えています(あげくに海濫先生を他社にとられ漂流)。市場を拡大すること(量の拡大)にかまけて質の向上を疎かにすれば当然の帰結ともいえましょうが…ね。
commented by 遊鬱
posted at 2005/08/02 21:09
はじめまして(でいいのでしょうか?)。トラックバックとコメントありがとうございます。
『流れの中の位置づけ、あるいは流れる先を模索する楽しみもある』とのコメントにははっとしました。どうも自分の目は過去に向き過ぎてたようです。過去も踏まえた上で、現状と展望についての考察がこれからも必要になりそうです。
遊鬱さんの考察も拝見させていただきました。「ぱにぽに」のやたらと多いキャラクターに意味を見出せなかった自分にとっては、とても興味深い考察でした。
これからも遊鬱さんの考察を楽しみにしています。それでは。
commented by すいーとポテト
posted at 2005/08/02 00:32