OZ―オズ―「束の間の魔法が垣間見せた懐かしい未来」 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

先日の「serial experiments lain感想」 の続き。科学技術はここ200年前後で驚異的に進歩したと言われる。しかしそれ以前と以降(現在)を比較しても人類が進化したとまでは到底思えない。それは例えば歴史なり過去の文学作品なりを紐解いて、それ以前の人間の行動、心理が理解の範疇、共感可能なレベルに留まっていることにある。あるいは未開の地に住む原住民たちの生活を覗いても(文化人類学、マスメディアの発展に伴い、原住民の生活も原住民像に合うように影響を受けているとしても)それは同じことが言えると思う。同様に未来に対して敷衍しても大差ないであろうと想像できる。だからこそSFというジャンルは成立しうるのでしょう。

「空を自由に飛べたなら~♪」「はい、タケコプター空爆!」であったりするわけです(これは先に公開された鋼の錬金術師「シャンバラを征くもの」でもそうでした)。もちろんこれはかなり歪んだバイアスをかけていて、洗濯機やら冷蔵庫のような単に生活を便利にするものが多いことも事実ですけれど、それらの技術の進歩は地味な現在の延長であってあまりSF的空想を刺激しないです。やっぱり「ラララ♪星を越えて~♪」してくれないとつまらないわけです。でもそうだとするとSFの成立する余地って凄い狭い範囲ではないですか?つまり進歩と進化の狭間、大差ないとはいえ厳然としてある差、その部分にいかにリアリティあるいは娯楽性を篭めることができるかということです。

少女漫画におけるSFといえば萩尾望都大先生の「スターレッド」「11人いる!」等が嚆矢ですが、これらの作品が思想性の高い禁欲的な古典的SF小説に近かったのに対して、恋愛要素を積極的に導入し娯楽性を圧倒的に高めたのが、清水玲子、やまざき貴子先生そしてとりあげている「オズ」 (完全版も昨年刊行されました)を描かれた樹なつみ先生だったと思っています。

それにしてもこんなにも豊かに花開いたはずのSFジャンルにおいてどうして後進が出てこないの?先にしばしば言われる技術の進歩の変遷については記しましたが、もう少し個人的経験に基づいた感性的なものも記しておきます。

その答えはちょうど世紀末という節目が子ども時代と重なった人ならば共感を覚えてくれると思います。現在、意図的か否かはともかくとして早くも風化、忘却の彼方にいきつつある同時代的空気ですが、それは1980年代後半から1995年位までがピーク(もしかしたら人為的、真剣にハルマゲドンを起こそうとしたオウム真理教の稚拙で幼稚な姿を連日嫌となるほど見せられたことも大きかったようにも思いますが、やはり故郷は遠きにありて思うものというか、もうすぐそこでありながら、まだある程度先という絶妙な時間的距離が良かったのかな?)で1999年が近づくにつれ急速に沈静化した何かが起こる予感というものです。ノストラダムスの大予言があまりにも有名ですが、アンゴルモア、グランドクロスやらの怪しげな用語が飛び交い、第3次世界大戦が起こるとか、巨大彗星が衝突するとか、人類が滅ぶとかの絵空事が、日常の些細なニュースや出来事と結び付けてリアルに感じられた時があったということです。

そしてその過程で世紀末を題材にした漫画もアニメも山のように作られました。そしてこの現実の延長のようなファンタジーがある種の近未来、SFっぽさを纏えた空気を急激に失った後、残ったのは単なる現実か、ファンタジーのみ(これを否定するわけでは決してないですよ)ということだったのかなと思います。SFが世紀末という近未来、それを自然なものと受け留める時代の空気に依存しすぎたがゆえの悲劇ということではないでしょうか?

この作品は1990年から1992年にもしも第3次世界大戦が起きたならという設定のもとに描かれています。題名が「OZ」なことからも、元ネタとして「オズの魔法使い」が下地にあるということは感じられます。元ネタでは少女は自分の国に帰るため、ライオンは勇気を、かかしは脳を、ブリキは心を求め旅を続けるわけですが、求めるものは旅の過程で手に入れていたという成長物語になっています。この作品になぞらえば少女(フェリシア)とブリキ(サイバノイドたち)を利用しています。

そして魔法の力で自分の国に帰るのではなく、科学技術でもってかつてあった実り豊かな国を取り戻すことを願うフェリシアと、失った母(母国、母なる大地)を取り戻そうと願うリオンの兄妹、ネイトと付き合うことで人の心を探求、学習していく1024が主役であったのだと思います。もちろん1019とムトーこそが物語の主人公であり、話の展開は彼らの愛憎半ばする相克の中で動いていくわけですが…。

何でも叶えることが可能な科学技術を有するOZ…総てを見通し操る神たらんと衛星兵器、そして不老不死を実現するクローン、脳移植…を最初に夢見た状態からやがて単なる悪夢として否定する。OZが幸せなお伽の国から狂気の産物たる血腥い国へ変わっていく様は、科学技術の社会における立ち位置の変遷そのものを表現しています。

この作品を魅力的たらしめているのはその練られたSF設定、次々と場を移動しながら進んでいくスピーディな展開もありますが、一貫しているのは主要登場人物が皆、最終的には他力本願を否定して自らの手で目指すものを手に入れようとする能動性にあります。この点は、一般人代表として頑張るヴィアンカの存在(嫉妬したり最後に適当なところで妥協してしまうところも)のおかげでよりよく分かります。安直な解決、得られる利益(OZの否定のみならず、主人公もわざわざ危険に身を晒すことを選択、ヒューマノイドたちもリスクを背負って心を求めていく)を否定して自らの感情にまっすぐにそして進んでいくさまには惚れるしかありません。

まあ、

『大抵の奴は逆らえないよ。』 『私 大抵の奴 なんていらない。』

『キスするときは目を開けるもんじゃない。お互いの嘘がばれるだろうが。』

みたいなカッコイイ科白に惚れ惚れするだけでも充分に価値はあります。樹先生の作品は基本的に如何にして男性キャラ(それも老若問わず)を魅せるかという点にあるのですが、この作品に関しては女性(というよりは中性キャラ?)がメインであり、それに対して男性キャラがふりまわされていく構図となっています(それでも充分ムトーもネイトもカッコイイのですが)。


892 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 12:25:22 ID:???0
普通の恋愛ものが苦手な自分は、樹マンガしか読めない。いったいいつから、恋愛もの苦手になったんだろう。花咲ける青少年の主人公はルマティだと今でも思ってる自分orz

私にとっては「花咲ける青少年2001」に載っている「孔雀の微笑」にその魅力は集約されているユージェンが主人公だと思っています。

↑の本を入手したい場合は樹なつみ公式サイト・なつみ缶 で直接申し込むことが必要です。

893 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 12:45:38 ID:???0
えー。普通の恋愛もの読めない人が、なんで今のララ読んでいるの?というか、普通の恋愛ものの定義がいまいちよくわからないけど。花咲けるだって、ルマティも恋愛に関わっていたし。

894 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 12:59:15 ID:???0
>893
普通の恋愛ものっていうとマーガとかフレンドとか系の漫画じゃない?ララでいうとなかじとかかなぁ…と。

895 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 13:09:52 ID:???0
樹マンガの場合、恋愛以外のところで続きがきになるつーか、恋愛パートは結構お約束なんだよね…作家本人が昔のマンガスキーだから。ルマティが主人公だと思ってしまった姐さんは、ラギネイ情勢の展開が面白かったんではないかと。そういう人は河惣さんの「ツーリングエクスプレス」とかも好きなんじゃないか?

896 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 13:11:03 ID:???0
恋愛ものの定義か。人それぞれだから難しいな。個人的には男女の恋愛が軸になってるもの全般かと。ララは↑の恋愛に+ファンタジーとか歴史とかSFが多い。 なかじは恋愛ものだね完璧wつーか恋愛しかないというか・・・

899 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 13:58:47 ID:???0
白癬はマーガみたいな純粋な恋愛のみのって少ないよな。樹さん以外でもファンタジー要素入ってたりとかで。自分もただ恋愛のみっていうのはあんまり読めないのでそれが好きかな。

900 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 15:08:24 ID:???O
自分も恋愛だけが話の軸になってると読めない。大抵の学園物とか。

901 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 16:02:14 ID:???0
自分も恋愛主体は苦手だけど、麻生さんの「ことのは」はかなり好きだ。ひかわさんの「女の子は余裕」も…まぁ面白いやつもあるってことで。ひかわさんの作品はファンタジーよりも学園もののほうが好きだったな。

麻生先生の作品も大好きです。「天然素材でいこう」になると思いますが、このような個別記事を書くつもりです。

902 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 18:31:37 ID:???0
登場人物が恋愛のことしか頭にないようなのは どうにも好きになれないな・・・学園モノも別の要素があれば楽しめる

903 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 20:35:18 ID:???0
だから白泉の漫画読むようになったんだよなーコテコテの恋愛主体じゃないのが多いから

904 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/29(月) 21:10:07 ID:???0
でもまーたまには濃い恋愛ものも読みたくなるけど。なかじみたいな薄くて散漫なのはいらん。

905 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/30(火) 11:47:07 ID:???0
濃い恋愛か…確かにララでは最近見かけないな 濃くないかもだけど、清水さんの「22XX」は面白かった。

清水先生。・゚・(ノД`)・゚・愛の深さを測る価値観を文明ごとに相対化した圧倒的な重さのある傑作です!

922 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/09/01(木) 07:28:10 ID:???0
>>899
やっぱりそういう人が多いのか。私はララも花ゆめも大学行ってから読んだから、マーガ系とかと比べるとちょっと物足りないなあとか思って読んでた。でも、マーガ系って言っても別にヒロインが恋愛の事ばっかり思ってる訳じゃ無いんだけどね。

私が白泉社の少女漫画に執着している理由は、まさにこの一連のやりとりが答えです。恋愛だけを描くことを否定するわけでは決してないけれども、数多く読んでいると、パターンをなぞって結局のところ付き合ってそれ以上の展開が望めない(心理描写が極めて魅力的なものならばまだしも)ものが大半なだけにそそられないのです。

914 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/31(水) 12:37:25 ID:???0
「ひかわさん」「清水さん」「森生さん」なのに「なかじ」「津田」なんですね。

915 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/31(水) 12:40:59 ID:???0
好みの問題もあるだろうが、漫画に対する姿勢の差なんじゃねーの

916 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/31(水) 16:23:33 ID:???0
漫画を読んで感じた作者のキャラによるのでは?

917 名前:花と名無しさん 投稿日:2005/08/31(水) 21:22:16 ID:???0
津田さん…津田先生… …改めて書くとなんか気持ち悪いな… もう津田で慣れちゃってるからな

自分ははたしてどうかと過去の記事はあえて読み返しません。おそらくきちんと敬称をつけていると思うのですが…。