旧時間論① | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

「二つの時間、過去と未来はどのようにして存在するのか。過去はもはや存在しないもの、未来はまだ存在しないものだから、また現在は常に現在であって過去に移り行かないならもはや時間ではなくて永遠である。したがってもし現在が時間であるのは過去に移り去っていくからであるとすれば、現在が存在するとどうして言えるのか。現在にとってそれが存在すると言われるのはまさにそれが存在しないであろうからである。すなわち我々が本来の意味で時間が存在すると言えるのは、まさにそれが存在しない方向に向かっているからである。」(=時間の存在を成立せしめる根拠は存在の無への可変性に存するというパラドクス)
                     アウグスティヌス「告白録」

まずは拙いながらも過去の遺産の再利用から始めてみよう。

この辺りは白井利明氏の著作(「希望の心理学」など)に多分に拠っています。

時間とは現代の我々にとってあまりにも自明な空気のような存在である。そのような時間について哲学的関心ではなく心理学研究として問い直すことにどのような意味、価値があるのかという点について考える。
(中略)
およそ科学の目的とは行動の予測と制御であり、心理学であればその対象が人間であると記しても間違いはなかろう。では例えばある人が次にとるであろう行動を予測するにはどのようにするのが良いだろうか。直後のことであれば直前までの言動、行動を観察していればおよその予測は可能であろう。では翌日、一週間後、一ヵ月後…と予測する行動までの期間が延びればどうだろうか、直前までの行動からだけではその予測の精度が加速度的に落ちていくことは間違いあるまい。ではどうするかといえば一番簡明手法はその予測しなければいけない時に当人がどうするつもりか、あるいはどうだと思うかと本人に聞くことである。これは至極当然のことで、問題はその本人の言葉がどの程度信用できるか、実現可能性があるかと判断することであろう。ここで初めて心理学は時間と出会うと考えるのである。

例えばLewin(1951)は、人間の行動は衝動や本能によって決定されるのではなく、未来と過去への広がりである時間的展望がある現在の生活空間によるとしたし、Nuttin(1964、1984)は人間の行動を動機付けるのは、個人の行動的、合理的概念である目標であるとして、時間的展望の未来の側面が動機付けを説明する重要な要因であるとしている。
(中略)
時間的展望に関する先行研究をまとめると以下のようになる。

①個人は現在の状況によってのみ規定されるのではなく、過去の経験や、未来への希望によっても規定されている。

②そして逆説的だが時間的展望の獲得によって過去のとらわれや未来への不安からも自由になることが出来る。

③時間的展望は行動を引き起こしたり、維持したりする動機付け機能をもつ。

④時間的展望の獲得は現在の視点から過去の再評価や将来の自分の再構築を促す。これらの営みはまさにパーソナリティーの発達、統合過程と密接に関わる。