(中略)
真木(1981)は、時間意識の形態を、可逆性としての時間-不可逆性としての時間、質としての時間-量としての時間という2本の軸で区切った四象限に対応させて説明している。
①不可逆かつ量としての時間であるのは近代社会で、これを直線的な時間と名付ける。
②可逆かつ量的な時間であるのはヘレニズムで、これが円環的時間
③可逆かつ質的な時間であるのは原始共同体で、反復的な時間
④不可逆かつ質としての時間であるのはヘブライズムで、線分的な時間としている。
時間について可逆的なものと捉えるか不可逆なものと捉えるかという観念の基礎にあるのは、体験としての自然の循環性と、人生の一回性の対比である。例えば、日本であれば春が来て桜が咲いて散り、夏が来て…というように四季は移り変わるが、一年経てばまた春が来て桜が咲くというような感覚であり、他方は一度過ぎてしまった過去には決して戻ることはできないという人生の感覚である。
質的な時間、量的な時間という観念の基礎にあるのは、時間を有限であると捉えるか、無限であると捉えるかの差異である。つまり時間が有限であると認めることは、時間に関して始まりがあり、やがて終わりがあるという立場に立つということである。そして時間の終わりに対する意味づけである終末論という目的を見出すことにより、時間は質的なものとなるのである。一方、時間は無限であると認めることによって、時間関心はその無限の中に拡散、抽象化され、量的なものとなるのである。
(中略)
時間史研究とは暦や時計の発達を歴史の流れの中で辿ることにより、時間が人々にどのような影響を与えてきたかということを明らかにし、翻って現在の時間とは何かという我々を取り巻く枠組みを捉えようと研究するものである。
(中略)
アタリ(1986)やブロワン(2001)を参考にすると、暦や時計というものは古代から王などの権力者にとって支配の権威、正統性を示す手段の一つであり、その権威の高さを示す証として暦や時計の精度を高めるということに関心を高く持っていた。しかし時間に関する知識や技術の高度化、普遍化はやがて異なる様相をもたらすことになる。それはかつての権力者の座に時間そのものがつくという皮肉、つまり近代社会の訪れである。ニーチェは「神は死んだ」と叫んだといわれるが正確には神の座にあった宗教が死んで、新たに時間が神の座についたというべきであろう(否、それまでも覆い隠されていたに過ぎない)。
時計を例にすると、都市のシンボルとして時計台が一つあるという状況からはじまり、やがて各家庭に柱時計として普及し、現在では各個人が腕時計を所有していることは当然のこととなっている。その裏側では我々の生活が時間単位、分単位まで時計的に編成されていくという事態が進行しているのである。それは資本主義化した経済、社会システムの広がる過程でもある。たとえば工場における労働はそれまでの労働とは異なり、時間的正確さや労働時間というカタチでの管理の強化とつながったし、そのような労働を担うことが出来る労働者を育てるために学校(教育)が組織された。同じ時間を皆が共有、生きることが社会に客観化され、計量化され、管理化された秩序が成立することを可能としたのである。
そしてこのような時間というものは、近代社会における貨幣の在り方と本質的に類似しているのである。ベンジャミン=フランクリンがはからずも「時は金なり」と喝破したが、時間を無駄にする、時間を節約する、時間を稼ぐ…というような言葉遣いは日常的にごく自然なものとなっている。時間(貨幣)こそが貴重だという意識が芽生え、結果的に時間(貨幣)こそが目的となるという時間への疎外という問題を孕むようになっているということである。
「時間って一体何なの?(中略)一種の音楽なのよ。いつでも響いているから人間がとりたてて聞きもしない音楽なのよ。でも私はしょっちゅう聞いていたような気がするわ。とっても静かな音楽よ。」
ミヒャエル・エンデ「モモ」