中内功氏死去との報にあわせて借金についての何か | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

貨幣は現在の神、それは金塊でもなく、紙幣でもなく、現在、未来にわたる恒常性への無根拠な信頼が成り立たせるもの。崇め奉る信者の存在があってはじめて観測される存在であるが、その信奉の度合いこそ許容範囲があるが無神論をとることは許されない。

『満足せる人々は短期的な問題に目を向けるが、長期的な問題は無視するか、先送りする。』

                  ガルブレイス「満足の文化」

ダイエー創業の中内功氏が死去
>中内氏は1957年、大阪市内に1号店となる「主婦の店ダイエー」を設立。米国流のセルフ販売によるスーパーマーケットの仕組みを取り入れ、日本の流通構造の近代化を推進した。72年には三越を抜き、売上高で小売業首位にまで成長させた。

>ダイエーはM&A(企業の合併・買収)の手法で、次々と企業を傘下に収め、事業を急拡大した。旧ユニード、旧忠実屋など流通企業を傘下に入れ、全国的な店舗網を構築した。また、リッカー、リクルートなど異業種企業もグループに加え、総合生活産業企業に成長した。

中内功氏死去“遺産”処理難題山積み
>中内氏は昨年、東京・田園調布や兵庫県芦屋市の豪邸や保有株など、200億-300億円といわれた全資産の売却を発表。500億円近いとされる借金の弁済が目的とされ、「資産はないに等しいのでは」(関係者)と指摘される。

>功罪が際だった中内氏の存在について、佐野氏はしんみりとこう振り返った。「困ったオヤジだったが、日本人の生活の根源を変えた中内さんに対する人気は最期まで高かった。『戦後』という時代精神が宿った最後の人が逝った思いだ。くしくも、竹中平蔵(郵政民営化担当相)という若僧が、戦後体制を一掃すると旗を振った構造改革路線で自民党が地すべり的大勝をした、そのタイミングで逝ったことにも思うものがある」


「カリスマ」は面白い評伝小説です。「誰が本を殺すのか」でもそうでしたが、佐野氏の調査、逸話の発掘の目の付け所には感服致します(若干説教臭いのが玉に瑕ですが…)。それはさておき、中内氏の生涯をふりかえるとつくづく盛者必衰という言葉しか思いつきません。その晩年において何を思ったのでしょうね、おそらく大人しく教鞭をとっていたことからリベンジに挑む気力はなく、「難波のことは夢のまた夢」の心境だったのではないかと思います。一度どん底みた会社でもかつて傘下にあった「リクルート」はいまや超優良企業として燦然と輝いています。「ダイエー」もまた甦るかもしれないという向き(御用達マスコミの太鼓持ち特集は数多くある)もあるのかもしれませんが、確かに国の面子にかけて潰れる可能性は皆無だと思います。ただ、輝く可能性は皆無としか思えない。やはり輝きは総て中内氏の個人的なカリスマに負うものだったと思います。

『全世界で足りなかった人にも、一つの墓で充分である。』

                   アレクサンドル皇帝の墓碑銘

で、ダイエーのような大企業にとってのみならず、個人にとっても身の丈にあった借金の限界はあるという当たり前の話(そして踊っている人間にとってはその現実が見えなくなってしまうということ)についてしみじみと分からせてくれるエピソードが↓。

□借金は身を滅ぼす□

脚色はあると思いますが、借金が雪ダルマ式に膨れ上げる様をリアルに描いています。ロシアの農奴ではないけれど消費者金融にとって一番おいしい客です。小額の借金だとすぐに元本返済に手がまわりますが、額が膨れ上がると利息分だけで精一杯になるのです。そしてその巧妙な餌が返済回数の罠です。50万円前後の借り入れを境に基本返済額が変わるのです。二社で50万ずつ借りるのに比べて一社で100万借りた方が同じ利息でも基本返済額が下がるのです(※基本返済額とは~回で完済する目安として提示されている金額)。額が増えれば基本返済額において返済回数が増え一見負担が減るようにみえてしまうのです。利息分のみを納め続けるしかない状況に陥ったら迷わず債務整理するしかありません(これもダイエーと被る)。「無いものは無い」という貧者の開き直りほど債権者にとって怖いものはこの世にないのだから(以前ちらっと纏めたのが→http://newmoon1.bblog.jp/entry/218891/ )。

借金をするということ、そのことの意味は時間を買うこと、そして同時に買った以上に自分の時間を差し出すという行為に他ならない。現在の手持ちでは出来ない行為を可能にするために借りて使う。代わりに自分の未来において少しずつ返済するということ。そのとき返済できるから今の欲求を満たして大丈夫だと考えるその根拠のご都合主義に目がいかなくなるのは、まさに貨幣に対する根拠が恒常性への信頼でしかありえないということを考えればおかしなことではない。自分への恒常的な信頼を供物として捧げているだけのことだから。

『身体は心に依存している。心は財布に依存している。お金は悪でも呪いでもない。それは人を祝福するものである。人を傷付けるものは3つある。悩み、いさかい、空の財布。そのうち空の財布が最も人を傷付ける。聖書は光を投げかけ、金は暖かさを投げかける。金貨が鳴れば悪口が静まる。』

                         ユダヤの格言